「障害の現場 べてるの家ウィンタースクール2020」報告 長廻 佳汰

「障害の現場 べてるの家ウィンタースクール2020」報告 長廻 佳汰

日時
2020年2月16日(日)〜23日(日)
訪問先
社会福祉法人浦河べてるの家など
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム((IHS)」教育プロジェクトN「科学技術と共生社会」

「べてるウィンタースクール」と題して、浦河に1週間滞在し、「浦河べてるの家」の見学を行った。私自身ははじめての参加であったが、入学前からこの研修の存在を知り関心を寄せていた。今回はその念願が叶った形となる。

浦河べてるの家の朝は、朝ミーティングから始まる。それぞれが体調と気分を自己申告し、希望する勤務時間を述べる。この体調・気分の申告は、朝ミーティングを始めとするあらゆるミーティングの開始時に行われる。浦河べてるの家のスローガンに「三度の飯よりミーティング」というものがあるが、それぞれのコンディションが随時共有され、状態の変化や普段とは違う状態に気づけるという点で、かなり上手い仕組みと言えるだろう。自分は自身の体調の変化に気づきづらく、気づいたら無理をしていることが多々あるが、あらゆる場面で体調と気分を尋ねられることによって、その変化に気づきやすく、無理が減ったように思う。

浦河べてるの家を有名にした要素の一つが当事者研究である。当事者研究について何となく把握していたが、実際にその過程を見るのは初めてであった。当事者研究では、発表者以外の人はそれぞれ思い思いに質問や提案をする。それぞれ制限なく好きなように質問や提案をするからというのもあり、問題解決を主眼に置くなら遅々として進まないもどかしさがある。当事者研究に関して、「弱さ」の集合知のようなもので解決策をすっぱり示してくれるものと予想していたが、それは誤解であった。解決策を持つ誰かによる答えを待つ場ではないとしたら、当事者研究はいったいどのような手続きでもって当事者の問題を明らかにするのか。

当事者研究は当事者の研究であり、答えを見つけるのは当事者である自分なので、他人が答えを与えてくれるのを待っていては何も進まないという点においては、我々が大学でするような研究と同じだ。我々の研究における助言は、専門知識に則ってなされるのが原則だが、当事者研究ではそれぞれが自由に発言する。その時、発言をするメンバーは、発表者の問題をいちど自分に引きつけて、その上で憚りのない発言をしているのだろう。問題は自分一人のものでもなく、また当初期待していたような他人任せでもなく、皆が自分になってくれたような感覚を伴って、自分一人で、共になされる。

私は学部の卒業論文の執筆にあたって、研究の「答え」を自分以外の何か別のものに期待して自身の愚かさに打ちひしがれたが、研究は自分自身でするものだということを真に理解したのは、考えのまとめあげの遅い自分にとっては、この研修でべてるに身をおいてやっとのことだ。修士論文の執筆にあたっては、自分自身が問題の「当事者」となるような分野について研究をする計画でいるが、方法のベースとなる思考枠組みは、研究と当事者研究では大方同じことのように思う──他者の力を借りながら、それに完全に身を任せるわけではなく、最後にまとめ上げるのは自分だ。

本研修で、私は学生による研究発表の担当となっていたが、当事者研究のセッションを見学して、自分の用意していたスライドがあらゆる点で相応しくないものだということに気づき、その日の夜に大慌てで作り直した──自分自身にとって、「おちゃめ機能」(発表内で使用した概念:自分が他者と関わる際に立ち上がる脳内エージェントであり、これによってある程度適切な受け答えができる)とは何であるか、考えを詰めて説明できるのは、他ならぬ自分自身であり、それを自分がしなければ、誰もそれを理解することができないということに気づき、「おちゃめ機能」とは何であるかという問いについて改めて熟考し、ページ数を多く割いた。結果として、自分が「おちゃめ機能」と呼ぶものの輪郭が、以前よりも遥かに解像度を増したように思う。

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べてるの家のミーティングはさまざまな名目で行われる。「パパミーティング」や「○○さん応援ミーティング」といったものがあり、相互に知恵の交換や助言、励ましを行いあう。

父親との軋轢を経験した私は、「パパミーティング」で過去の苦労を共有したところ、たまたま、自分と同じような状況にある子を持つ親が参加者におり、思うところを述べた。自分の発言がその参加者に対してプレッシャーを与えてしまわないかどうか、本レポートを執筆中の今でもとても不安でならないが、似た経験をした自分があの場で元気に存在したことで、少しでも励ましになってほしいと強く願うばかりである。

あるミーティングで、ある方の発言が支離滅裂なものに思えたこともあったが、横にいたファシリテーターによる解説を伴うと、その単語一つ一つには、表現したい内容との確かな関連があることが確認された。支離滅裂なものとは、結局は自分の理解の至らなさでしかないのではないかと思い至り、自分が最初に受けた印象を恥じた。同時に、「理解」のためには、ゆっくり丁寧な関わりがよく効くということもまた気付かされた。

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「この研修は勉強のためというより人生修業であった」と言ったならば、研修参加者の多くは同意してくれることだろう。べてるの家では、絶えず自分自身と向き合うことが要求される。自分自身と向き合うための助けは環境やメンバーが提供してくれるが、それでも自分自身と向き合うことにエネルギーを使うことには変わりはない。各日の夜の時間に長い自由時間があることから、そこでいくつかの作業を進めてしまう計画でいたが、その目論見は外れ、その日あったことをなんとか咀嚼し消化するだけでいっぱいいっぱいで、考えをまとめ上げられず「参って」しまうこともあった。研修の時間は、それだけ密度の高い時間であった。

浦河べてるの家の方法の中で、福祉のあり方に対して示唆的であったのは、商業的な行為を躊躇しないことであった。一般的には「弱さ」を売ることは、「惨めな」こととして捉えられるように思うが、その背景には、「弱さ」をネガティヴなものとして捉える価値観があるのではないか。浦河べてるの家では、一方、「弱さ」を寧ろポジティヴなものとして捉え、隠さず、価値あるものとして発信する。研修初日に配布されたパンフレット『ようこそべてるへ』の1ページに「俺の病気が悪い方がよく売れるんだべさ」という文句があるが、この一文はまさにその態度を象徴しているように思う。翻って、一般的な福祉のあり方は、社会保障の助けでもって、社会に迷惑を掛けぬよう目立つまいと徹することが強調されるという点で対照的だ。福祉が福祉を超えるとしたら、まずは価値観の問題からだということを、浦河べてるの家の事例が示しているように思う。弱者はそれ自体では弱いものだというとトートロジーだが、自分の弱さを知って受け入れた人はその苦しみの先に価値を得られるだろうし、べてるの家は弱さの強調によって「強く」なれる環境があるように思う。「弱さ」を「惨めさ」で終わらせない強かさは、あらゆる弱者の生存戦略として学び取るべきことではないか。

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浦河ひがし町診療所の見学で示唆的だったのが、日赤病院の精神科病棟閉鎖の経緯について説明を受ける際に、障害者支援をさらに発展・拡大させた「健常者支援」が必要だと言う趣旨の提言だ。現代では、誰しも大なり小なり「生きづらさ」を抱えているものだ。「生きづらさ」と向き合い、自分らしく生活するために、浦河べてるの家の方法から学び取るべきことがあるのは、何も精神障害者に限らず、いわゆる健常者にとってもそうではないか。私は、軽度障害者への支援を関心の対象に置いているが、その方法を検討するにあたって、非常に多くの示唆を得られたように思う。