「思考する身体―シャンカル・ヴェンカテーシュワラン氏ワークショップ」 報告 ピーピョミッ

「思考する身体―シャンカル・ヴェンカテーシュワラン氏ワークショップ」 報告 ピーピョミッ

日時
2020年2月24日(月)
場所
東京大学駒場キャンパスコミュニケーションプラザ 身体運動実習室
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクトH「生命のポイエーシスと多文化共生のプラクシス」

2020年2月24日、東京大学駒場キャンパスコミュニケーションプラザ・身体運動実習室においてシャンカル・ヴェンカテーシュラン氏のワークショップが行われた。シャンカル氏は、インドケーララ州出身の演出家で、シアター・ルーツ&ウィングスを主宰している。ケーララ州の山中に地元の人たちと劇場を建設し、国内外での演劇活動の傍ら、世界各地で独自のトレーニング法を取り入れたワークショップを開催している。本ワークショップの目的は、シャンカル氏のトレーニング方法の中の9つの動作を学ぶことを通して、舞台上における演じ手の身体表現と舞台との関わり方について理解を深めることである。ワークショップにはIHSプログラム生や修了生、社会人など計11名が参加した。本報告では、ワークショップ全体について述べながら発見したものを報告する。

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多文化共生を考えた際、身体は各個人が育ち享受してきた社会的環境を表すそのものではないだろうか。シャンカル・ヴェンカテーシュワラン氏のワークショップ「思考する身体」へ参加する出発点として、自らの身体について疑問をいだくようになったことによる。年齢とともに身体や思考も成長しているはずだ。しかし思考力のみに重みを置き、身体は思考に支配され、身体の主体性を忘れがちである。それらの間ではヒエラルキー的な構造はなく、思考と同じように身体も社会的規範に縛り付けられながら、思考しているのである。身体の思考を新たに解釈することによって、社会的規範から解放させる必要性があると考えて、今回の研修に参加した。

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舞台上において、演じ手はどのように自らの身体と意識をコントロールしながら演じるのか? シャンカル氏は良い演じ手であるかどうかは、演技をする者自身の表現の仕方であるというより、周囲の演劇的作為に対する自身の反応の表現が重要であると言われた。本ワークショップでは演じる身体と思考について、9つのキーワードを通して、理解することを目的とした。5時間にわたるワークショップ内では、主に、9つの動作を意識して繰り返すことを実践してきた。9つのテーマは、「動作の繰り返し」「空間の把握」「身体の表現」の3つのカテゴリーに分けることができ、各カテゴリーにはそれぞれ3つの要素がある。

まず、「動作の繰り返し」のカテゴリーの中で、ある動作をどのぐらい遅く、または早くすることができるのかの「速度」、どのぐらい同じ動作を継続して行うことができるのかの「継続時間」、そして「即発的反応」の三つの要素が含まれる。「空間の把握」については、地面を模様として捉える「フロアチャート」、各身体間の「距離」と「建築物」の3要素を把握する。最後に、「身体の表現」に関しては、身体の「曲線」や「しぐさ」、動作の「反復」の3つを通して表現することになる。本ワークショップの参加者は、知り合いもいれば、初対面の参加者もいた。さらに、コンテンポラリーダンスの経験者、普段ダンスや演劇と関わりあう機会のない者、研究分野が異なる参加者などそれぞれだった。このように、他の参加者と自らの身体との間には緊張関係があったと言えるだろう。

ワークショップを通して、様々な実践を行い、空間内における自らの位置付けや周囲との関係性や影響について注目した。まず、空間の中に「音」を作り出すことが周囲との緊張関係を和らげる効果があり、身体の解放と自らの身体へ向き合うためのステップの一つであることは印象に残った。同じ空間下にいる参加者の、周りに対する意識や身体に取り巻く社会的規範に対する意識を外すためには、日常生活ではめったにしないような動作を行うことから始まった。それは、足音を意識して「ドンドン」と大きく鳴らし、一定の速度や間隔で歩く身体動作だった。この動作はジェンダーや社会的規範から解放するという意図があり、これができて初めて、空間内における緊張関係が和らぐことになる。誰かがリードして行い、徐々に周りもその動作を踏襲することに抵抗感がなくなってくる。これはある意味、個人が身体に背負っている負荷を下ろし、はじめて自らの身体と向き合うことができた瞬間なのだろうと考えた。ここでは全ての参加者が、同じ動作を真似して行なうことを強調しているわけではない。その動作が持つ意味そのものを、参加者が自らの身体をもって感じたり、意識することではじめて共感し、他者を通して身体間には言葉を超え、呼吸し合うハーモニーが生まれるようになったのだ。

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2つ目の発見は、身体間の距離を日常と非日常的な場面において、表現を比較して考えられることである。日常生活では、人と人は一定の距離を保つと心地よいとされてきた。この距離は状況・関係性によって変わってくるが、いくら関係性が近かろうが、一定の距離を保つ傾向がある。ただし、舞台という非日常的な場ではどのようになるのだろうか。これについて、「空間」に対する身体の距離のワークを述べていきたい。

床で寝転ぶ動作を行っている時、隣で同じ動作をしている他の参加者との距離は、片方が4分の3回転すれば、二人の身体は接触する。両者があと少し回転するかどうかと戸惑うなかで、筆者は動くことができずにそのままの状態を維持している時間が長かった。その状態とは、人を円形であると例えれば、お互いが接触する状態になるためには、3分の1回転すればいい。一周転がると2つの円が重さなるのだ。しかしその状態になることに戸惑って、筆者が行った行動は、意識して接触する状況を作ったのだ。円だと重複することになるが、身体が4分の3回ったところで回転を止め、90度だけ身体を動かしたのだ。そうすると2つの身体が接触する。そのようなワークの体験が、身体を通してハーモニーを作り上げるという、個から全体へとつながる新たな変化を生んだ。それは、身体間の距離を筆者から超えるという意識がもう一方に伝わり、他者からも、さらなる動作の応答を促す働きかけにもなったのではないかと考えた。

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3つ目は、自己を対象化する意識が生まれたことである。上記の変化が生じたことで、周りの動作を意識して模倣することができるようになった。周囲の動作を模倣したり、普段自らの身体が戸惑う動作を意識的に行なったりすることで、身体は徐々に自己抑制が解除され、やってみたかった動作が現れ、素直にそれを実践できるようになった。当初は周りに気を配る傾向にあったが、動作を模倣することによって、自らが何をしたいのかという内在化した意識が立ち上がる。もちろん、周りに気を配る気持ちはあるが、それは身体表現の戸惑というより身体動作を伴いながら、周りとハーモニーを取るための意識となり、自己対象化ができるという変化が起きる。

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最後に、周りに気を配る意識、環境への反応、場の雰囲気の知覚は、身体が自由に動作を行うことができるのかの重要な決め手となった。そして、同じ動作を繰り返し行うことの難しさも体験することができた。さらに、日常・非日常がはっきりと分かれていない状態下の身体が、自由に思考できるためには、意識してコントロールする必要性があることを感じた。演劇という舞台上においても、日常・非日常が混ざり合う瞬間がある。ワークショップで学んだ9つのキーワードを意識して実践することで、演じ手は舞台上において、日常・非日常の瞬間をコントロールできるようになる。練習を積み重ねることの必要性をワークショップを通して学ぶことができた。