香港研修「香港で考える東アジアの共生 -2018-」 報告 柴田 温比古

香港研修「香港で考える東アジアの共生 -2018-」 報告 柴田 温比古

日時
2018年2月21日(水)〜2月24日(土)
場所
香港市内およびその周辺
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト2「共生のプラクシス──市民社会と地域という思想」
協力
香港城市大学

本研修は、香港の歴史的な遺跡や博物館等の訪問と、参加学生の研究発表によるカンファレンスからなる二本立ての研修であり、2018年2月21日〜24日にかけて行われた。

まず、到着の21日の夕方は城市大のDong氏の案内で、旺角駅周辺を散策し、地元の料理店で香港料理を味わった後、九龍塘駅周辺の様々な宗派の宗教施設の外観を見学した。

翌日の22日は林少陽先生の案内で、香港市内を観光した。まず、重慶大厦や日本占領下で香港軍政庁が置かれたホテル「ザ・ペニンシュラ香港」の外観を見学したのち、香港島を訪れた。狭小な島嶼である香港島は、海岸沿いの低地から、一気に急勾配が広がっている。英国植民地期には、こうした高低の差が、そのまま社会的なヒエラルキーを反映し、白人植民者たちが高地に居住する一方、被植民者たちは低地に居住することを強いられたそうである。

タクシーでこの丘陵を上ったのち、香港植民地総督Cecile Clementiにまつわる建築物を見学し、林先生による香港の歴史についての解説を伺った。林先生によれば、香港の歴史は、植民地期の英国あるいは現在の大陸中国とのコロニアルないしインペリアルな関係とともに、宥和的な態度により利益を享受する華人エリートやビジネスマンらによる協力的ナショナリズム、そして独立への志向を強める対抗的ナショナリズムという三項関係において展開してきた。Clementiによる1925年~1930年の治世はそうした関係の象徴的な局面であるという。

その後、丘陵部を降り、セントラル(中環)地区を訪れた。セントラル地区は、かつて植民地時代には植民地政府が置かれた重要な地区であり、現在でも、議会や裁判所が置かれる他、大銀行やグローバルな高級ファッション・ブティックなどが集中する高級地区ともなっているが、オキュパイ・セントラルや雨傘運動の舞台ともなった。これらの運動は、一方で巨大な格差や貧困を産み落とす香港の金融資本主義を巡って、他方で大陸中国の政治権力との関係や民主主義を巡って、組織された抵抗運動である。そこに現出した可能性や限界の評価はともかくとして、それらの運動が行われた現場に実際に足を運び、国家権力とグローバル資本主義との交錯が生じていく歪みの行方を思わざるを得なかった。

さらに午後には香港料理を味わい、香港の食文化を堪能した後、香港歴史博物館を訪問した。林先生によれば、香港は従来、大陸中国や台湾等から、徹底して資本主義や拝金主義の支配する地域であり、文化や歴史の面での豊かさにおいて劣る、という蔑視を受けてきたが、そうしたネガティブな香港観を払拭し、香港の文化的・歴史的豊かさを対内的・対外的にアピールするため、近年博物館や美術館の整備・拡充に努めているそうである。

実際、歴史博物館では4万年前に遡る自然環境についての展示を含め、本地人・客家・福佬・水上人などの集団がそれぞれの生活を営んだ前近代史から、英国による植民地化、大日本帝国による占領、中華人民共和国への返還に至る近現代史まで、長い歴史的射程で充実した展示が行われていた。展示技法の面でも、単に文字情報を充実させるのみならず、豊富な模型やジオラマなどによる多様な生活の再現を行うなど、展示の質は非常に高いものとなっており、上記のような機能を果たすべく文化政策上の潤沢な投資が行われていることが伺われた。

23日に開催されたカンファレンスでは、東大と香港城市大の院生に加え、シンガポールと台湾からも学生が参加し、各参加学生による研究発表が行われた。主題としては、社会学や国際関係論から香港研究、中国古典文学など多岐に渡る研究領域についての発表が集った。

運営面では、1日の中に20人以上の発表が詰め込まれ、時間がかなり限られていたため、発表者あたり質問1問ずつ程度の質疑応答が限度であり、十分な議論が交わせ得なかった。また、様々な主題についての発表がやや乱雑に並置されたに留まり、全体を貫く鍵語があまり見つからないなど、統一性にやや欠けた感も否めない。さらに、英語での発表が(少なくとも東大側としては)要件とされたインターナショナルなカンファレンスであるにもかかわらず、実際には多くの参加者が中国語での発表を行い、ほとんど内容が理解できなかった。個々の発表は興味深いものも多々あっただけに、学際的な知的・学的交流を阻むこれらの点は大変残念であった。

本研修を通じて、私自身が個人的に最も強く感じたのは、香港という都市の魔力と魅力である。香港を訪れるのは初めてであったが、その圧倒的な過密が生み出す都市の人工環境の美学に、率直に魅惑された。空港から中心地に向かうハイウェイにおいてすでに、両脇に立ち並ぶ超高層建築や建設中のクレーンの群れは、東京に比してもより強烈に都市の過剰を表しているようであり、中心部へ向かうにつれてその印象は強化された。

所狭しと立ち並ぶ集合住宅や建築物はその多くが超高層であり、そこから広告や看板が突き出してビル群の狭間に穿たれた空間さえをも覆う。無数の行き交う人々の喧騒や、街路のゴミや壁面の汚れが、何よりも圧倒的な過密を物語っている。極端な過密は人々の欲望を飲み込み、周囲の自然を食い尽くして、わずかに残された空間をも建築物の中に回収していこうとするかのようである。建築物どうしも多くが空中回廊や地下通路などで繋がり、建築物の内部と外部の区別を無化し、全体として乱雑さを保ちながらトポロジカルに反転する空間の広がりを構築している。ふつう「自然」と言って思い浮かべる動植物の姿はそこにはほとんどなく、むしろ建物の内/外という区別さえ消失させるかのように複雑に張り巡らされる人工的な構築物こそが、この都市の〈自然〉なのだと思わされる。そのような別種の〈自然〉が息づくこの都市において、人間性の形さえ、どこかその姿を変えていくように思われた。

知られるように、香港では狭隘な空間に大量の人口が犇めきあい、不動産価格が異常に高騰して、世界的にも類稀な住環境を構成している。ごく一握りの富裕層が限界を超えて富んでいく一方、多くの人々は、林立する超高層集合住宅の狭小な住居の賃料のために収入の多くを吸い上げられ、時に親との同居やシェアハウスと言った形態を強いられている。稼げない者は貧困のうちに打ち捨てられる。過剰な密集は住環境を急速に悪化させ、悪臭や汚染、インフラの劣化などを生ぜしめもする。にもかかわらず、この都市は過密への意志を捨てないかに見える。

こうした印象は、一旅行者の幻想に過ぎないかもしれないし、サイバーパンクSFに代表されるように、この都市が長らく惹きつけてきたオリエンタリズム的な視線に多かれ少なかれ共振している。居住者にとってはそれほど異常なことではないかもしれないし、また美学的に興奮を誘う特別な物ではないのかもしれない。とはいえ、香港とその外部者との間の権力の非対称や落差から来る視線の歪みへ反省を加えたとしても、やはり香港という都市自体が持つ過密への異常な意志と、それが伴う住環境や社会的格差の深刻さ、そしてそれが逆説的に生み出す独特の美学と蠱惑性は否み難いように思われる。

0.5を上回るジニ係数が表すように格差は深刻であり、富裕層への行き過ぎた富の集中と、不運と構造的障壁の前に見捨てられていく貧困層の苦悩は、正義の観点からして弁解の余地がないように思われる。もし本当に公正な社会を目指すならば、軽視されてきた社会保障を拡充し、適切な住宅政策等を通じて人々を食いつぶすような不動産価格や賃料の高騰に歯止めをかける──社会政策・公共政策の立場からすれば、そうした方向性が望ましいはずだ。

だが、そうした政策が格差の解消や医療や介護、公衆衛生など社会保障の充実、住環境の改善などを通じて、快適さと人間らしい生活を十全に実現した暁には、香港の過密が引き起こす魔性を霧散させてしまうようにさえ予感される。香港を香港たらしめているその魅力の大部分は、人間性自体がとめどない資本と欲望の奔流の中に飲み込まれて蒸発していくような、都市の不安と速度に由来しているように思われるからである。それは正義と美学の対立であり、正義と文化的な固有性との対立でもある。社会学や政治理論を通じて社会の公正についてまがりなりにも考えてきた私は、同時にそれを裏切るような都市の美学に否応なく惹きつけられてもいる。その逆説を突きつけてくること自体が香港のふたつの顔であり、魔性なのかもしれない。

正義や理念によって割り切ることのできない現実の強度と過剰が存在しているということ。香港という特異な都市との出会いを通じてそのことを改めて考えさせられる研修であった。

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報告日:2018年2月26日