総合地球環境学研究所との合同カンファレンス「地球環境と民主主義 人新世(Anthropocene)における学び」 報告 宮田 晃碩

総合地球環境学研究所との合同カンファレンス「地球環境と民主主義 人新世(Anthropocene)における学び」 報告 宮田 晃碩

日時:
2018年1月27日(土)
場所:
東京大学駒場キャンパス21KOMCEE West 地下レクチャーホール・K-401・K-402
主催:
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト2「共生のプラクシス──市民社会と地域という思想」
共催:
総合地球環境学研究所

今回私は、総合地球環境学研究所(以下地球研)とIHSとの合同イベントである、第9回地球研東京セミナー「地球環境と民主主義──人新世(Anthropocene)における学び」に参加させていただいた。一年前には、第8回東京セミナーにポスター発表という形で参加させていただいたが、それに引き続き参加できたことを大変うれしく思う。今回発表者は全員、ポスター発表だけでなくその内容に関するスライドを使ってのフラッシュ発表を行い、またワークショップにも加わったのだが、高崎経済大学〔当時〕の國分功一郎先生、地球研の熊澤輝一先生のお話と合わせて、会全体が実践と理論を統合できるように有機的に構成されていた。このこと自体が実験的であり、刺戟的な試みだったように思われる。私自身、この会を通じて多くのものを得たと感ずるので、以下そのことを簡単に記したい。

ポスターは、IHSで同期の田邊裕子さんとの共同発表というかたちで、「観光を熟議する──旅と日常のあいだの民主主義」という題で制作した。この発表の問題意識は、「そもそも『自分たちの環境』という意識はいかにして醸成されうるだろうか」というものである。これに関して私たちは、「語り部」の働きを取り上げて検討した。語り部とは、自分たちの生活や歴史を他者に対して物語りながら、語りそのものを織り上げていく存在である。

じつはこの発表は、昨年度にIHSの学生自主企画として実施した、熊野研修での経験から着想を得ている。特に熊野古道では、「本宮語り部の会」の語り部の方に案内していただきながら歩き、歴史や生活の一端を追体験することができた。そこで我々はいわば「観光客」的な存在だったわけだが、一般的には、語り部が語りかける「他者」はそうした空間的な「他所者」に限られない。時間性に目を向ければ「過去や未来の生活者」との対話が(例えば伝承を通じて)考えられるし、制度的な他者として「公共の市民と組織」も考えられる。そうした他者との語り合いを通じて、普段は意識されない環境や日常が、あらためて「自分たちのもの」として意識にもたらされ、いわば共有資源、「コモンズ」となっていくのだと言える。以上のような主旨の発表であった。

限られた時間ではあったが、この発表が具体的な事例を検討する手がかりとなったことはうれしい。とりわけ水俣病のような公害問題についてはどのように「語り」を織り上げることが考えられるか、という問いをいただいたが、こうした事例と向き合うことは今後の重大な課題として引き受けたい。また私自身としては、自主企画を含めたIHSでの活動がこうして連続性をもって実現することに手応えを感じている。もはや「専門の違い」などあまり意識もしないが、分野を越えて共同研究めいたことを進められたことも有意義なステップであった。さらに、今回制作したポスターは具体的な事例の構造を検討するための「地図」として作ったもので、今後も検討を加えながら利用することができるだろう。今回のイベントに際しては、「継続性」ということを様々な点で考えさせられた。それはおそらく、このイベント自体の意義にも関わることである。

二名の先生の講演はいずれも実践に基づくお話であった。國分先生は小平市の道路計画と吉野川可動堰計画、それぞれに対する住民投票運動を中心に、住民が政治と環境に関わることの可能性をお話しされ、熊澤先生は地球研のプロジェクトが関わっている朽木村や鹿背山での地域コミュニティの実践を中心に、いかにして「地域らしさ」を形成することができるか、特に研究者はそれにどう関わることができるかということをお話しされた。講演について私が特に関心を抱いたのは、プロセスへの視線である。例えば住民運動は、それ自体として継続性を持ちうるような構造を持たねばならない。また地域振興といっても、結果を具体的に見こして計画を策定しそれが首尾よく実行されるといったことは稀であり、むしろ「模索」をどうデザインするかということが課題となる。殊に「民主主義」ということが問題となるとき、本質的なのは、最終的にどうなるか分からない未来を、それにも拘らず信頼して実際に行動する、ということであるように思われる。この「信頼」を具体的に形にしていくこと、さらにそれを行動に結びつけていくこと、この点におそらく研究者が関わりうる。私自身の主専攻での研究が、哲学的に「信頼」を捉えることに関連することもあって、講演からは理論的にも実践的にも多くの示唆を得ることができた。

ワークショップは、ポスター発表者に一般参加者も加わり、また地球研およびIHS、UTCPの方々がファシリテーターとなり、7つのテーマに分かれて「地球環境と民主主義」に関する具体的な提案を捻出するというものだった。時間の制限もあり有意義な議論ができるか不安だったものの、結果から言えばかなり実りのある議論をすることができたように思う。その理由としては、ポスター発表や講演などを土台としたおかげで、各々の視点と知見をもって議論に臨めた、ということが大きいだろう。私の参加したグループでは、発表者以外に加わってくださった方々も、それぞれの実践の領域を有していた。さらに、IHSからの参加者は事前に勉強会を重ねて臨んだということも大いに助けとなった。突発的に議論の場を設けるだけでは、一般的な前提と一般的な問題意識から一般的な結論を導き出すに終わることがほとんどだろう。とはいえ「それぞれの専門性を活かした議論」というのも、具体的な問題を共有できなければすれ違いがちになる。その点今回のワークショップは、実践と理念とを行き来しながら、いくつもの立場から問題を具体的に検討し、概念を彫琢することができたように思う。私の参加したグループには「コモンズ」というテーマが設定されていたのだが、「何が価値といえるか」「誰が価値を見出すのか」「価値を自分たちで見出すとはどういうことか」「将来世代との関わりはどのように考えられるか」など根本的な問いを共有しながら議論することができた。

イベントの締めくくりにおいて、國分先生は「議論には概念が必要である、この点において哲学には為すべきことがある」と話された。じつは熊澤先生も「概念工学」の話をされている。ただしおそらく、そこで言われる「概念」とは、単に現象を整合的に捉えるための枠組みなのではない。それは寧ろ、現実の問題に直面して我々自身が用い得るものでなければならず、またそのためこの概念は、はじめから現実の問題への取り組みのなかで掴み取られるべきものだろう。そうした概念は、同じく現実の問題に取り組む人たちとの対話の中で醸成される必要がある。今回のイベントでは、まさにそうした活動の一端に加わることができたのだと思う。もちろん、ワークショップでの話し合いが直ちに実践に結びつくとは言えないだろう。けれども対話は一度きりで終わるものではない。そこで得たものをいかに次の対話へ向けて育み、また実践するかということが、我々には委ねられている。私自身はといえば、この縁を通じて、地球研にさらに深く関わらせていただければと考えている。哲学研究者としてその経験をいかに深め発展させるかが、さらなる課題となるだろう。

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報告日:2018年2月15日