駒場博物館特別展『境界を引く⇔越える』関連イベント
アーティストトーク報告 原田 匠

駒場博物館特別展『境界を引く⇔越える』関連イベント
アーティストトーク報告
原田 匠

日時:
2015年5月30日(土)14:00−15:30
場所:
東京大学駒場Ⅰキャンパス 駒場博物館
講演者:
渡邊雄一郎(総合文化研究科・教授)
主催:
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト3「科学技術と共生社会」

駒場博物館特別展では「境界」を一つのテーマとしており、かたちが生まれることで発生する境界とは何か、発生学的視点で見た生物の細胞の形から周囲との境界を改めて問い直した点について語られた。どういう過程で細胞が形を成していくのか、どのようになれば生物らしいのかという細胞を観察したときに思う疑問から始まり、研究者視点での顕微鏡画像がどうして綺麗に像が取れるのか、なぜ取ろうとするのかといった点、そして自身の研究である植物の環境応答まで含めた内容であった。

細胞の形はおそらく長年の進化の過程で得られた非常に効率的な形態をしている。そこには我々が思いもしなった秘密が隠されている神秘さがあるように感じ取れる。ひとつの発生学的視点からでも卵割の部分割のような一部分のみの分裂が進行するのかを考えると、その格差、不均一あるいは不平等的要素が見られ、なぜそのような差が存在するのであろうかという新たな疑問を提示してくれる。植物というものを見てもその置かれた環境によって大きく成長の度合いが変化する。それは環境による応答としてRNA顆粒の凝集の度合いが異なってくる影響との関係性が考えられる。その凝集の度合いが異なる要因は何なのか、そこから非常に複雑に構築された生物のシステムの一端が垣間見えてくる。そして技術的な限界から見えるものと見えていない物が存在し、そこからも何か見えそうで見えない境界がある。

生物のかたちからもたらされる境界というのは顕微鏡に見られるような画像化技術の発達に伴って新たに見えてきた物理的側面による境界もあれば、生物らしさとは何で、どこからが生物であるのだろうかというような概念的側面の境界もある。その中で我々が境界を明確にしていくことは科学的理解の上でも重要であり、また概念的な境界という定義づけにおいては今後の倫理的諸問題の対応する上でも重要ではないだろうか。社会的問題に目を向けても何か境界を引くこと、そしてそれを超えることが一つの解決策へのステップであるが、無関係のように思える生物学的観点での生物のかたちから想起されるこの問題提起が何かのつながりがあるように思えてくるところがあった。

IHS_R_3_150611_Museum_01.jpg
報告日:2015年6月11日