駒場博物館特別展『境界を引く⇔越える』関連イベント
トークイベント『当事者研究とアート』 石 田

駒場博物館特別展『境界を引く⇔越える』関連イベント
トークイベント『当事者研究とアート』
石 田

日時:
2015年6月27日(土)14:00-17:00
場所:
東京大学駒場キャンパス 駒場博物館
講演者:
石原孝二(IHS)
水谷みつる(こまば当事者研究会)
主催:
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト3「科学技術と共生社会」
共催:
東京大学・駒場博物館

本イベントは、展覧会『境界を引く⇔越える』(2015年4月25日〜6月28日、東京大学駒場博物館)の一環として行われた、石原・水谷両氏による講演会である。石原准教授はIHS担当教員であり、精神医学の現象学、および当事者研究を専門とする。水谷氏は本学UTCP共同研究者であり、芸術論を専門とする傍ら、同氏もまた近年は当事者研究に関心をいだき様々な実践を行っている。両氏の講演では、障害という事象に対してアートが果たしうる役割が論じられ、「科学・アート・障がい」と題した今学期の実験実習の中心的課題が整理されたと言えよう。

まず、石原氏は「見る」ことの非同質性に注目する。「見る」ことで対象から得られる情報は、第一義的には光学的なものだが、エピソードをはじめとしたその他の情報を伴うことがしばしばである。したがって、各自の(デカルトの語法に従えば)魂が「見る」ことを通して作る対象のイメージは、身体の一部分である感覚器官が受容するデータよりも多くの情報を含んでおり、決して対象のコピーではない。我々が視覚的イメージを対象のコピーであるかのように錯覚するのは、実際には我々の大半がおおむね同様のイメージを魂において形成しているからではないか。そうであるならば、たとえば4色覚者であるConcetta Antico氏の作品のように、アートが「見る」ということそれ自体を主題とすることで、イメージの形成の多様性が明らかとなりうる。

当事者研究は、アートのこうした側面と同様の機能を持つ。歴史的に、妄想の発露は精神疾患からの回復を妨げると考えられ、精神医療の現場において、患者たちは長く「語る」機会を得られなかった。こうした問題意識のもとで、当事者研究はかれらに「語る」場を提供し、それによって世界の切り分け方・捉え方の非同質性を際立たせるのである。「語る」ことは「見る」ことより多くの情報を含むため、「見る」ことよりさらに多様だ。そして、「語る」ことは常に相手を必要とするため、「語り」におけるイメージの不一致は「見る」ことの場合よりも強く排除と連関する。当事者研究は、アートの機能を「語り」に対して用いることによって、我々が認識しているものは実際の世界のコピーである、という錯覚を突き崩すことを試みているのである。

続いて、水谷氏は「アール・ブリュット(Art Brut)」に触れつつ、アートによる障害者の表現にいかに向き合うべきかについて考察する。「アール・ブリュット」が評価するものは、芸術的教養の影響下にない者、たとえば障害者が、芸術表現をする際の純粋さである。類似の概念である「アウトサイダー・アート(Outsider Art)」は、芸術的教養の外部からなされる創造的・革新的な表現を評価するものであるが、こちらはその語感から障害者の排除というイメージを負ってきた。それにもかかわらず、障害者と芸術の関係を論じるにあたっては、「アール・ブリュット」もまた問題を抱えている、と水谷氏は言う。「アール・ブリュット」が着目するのは障害者による純粋・無垢な表現であるが、障害者の芸術表現は現実には反社会的な要素を含むものであり、またそうした表現こそが彼らの「語り」となっている可能性がある。「アール・ブリュット」は、純粋さというレッテル貼りから出発する限り、こうした「語り」を掬い取ることはできないのではないか。

では、アートを通した障害者の「語り」は、どのように受容可能か。水谷氏は、作品と鑑賞者との関係こそがキーであると主張し、それを示す事例として「心のアート展」を挙げる。「心のアート展」は、以前に講演(当該記事の報告はこちらをしていただいた荒井裕樹氏が携わる展覧会であり、同氏が提起する問題、すなわち論理によってカバーしきれない障害者の経験はどのように語られうるかという問題を反映する場でもある。そこで展示されている作品は、それをどのように見るかという問いを常に鑑賞者に投げかけ、「純粋」「外部」といったようなテンプレートを用いて作品を見ることを許さない。そして、作品と関係する中で、対象を十分に表現できる言葉を自分が持っていないという事実を突きつけられた鑑賞者は、自分の認識様式を書き換えざるを得なくなる、と水谷氏は解説する。求められるのは、「アール・ブリュット」や「アウトサイダー・アート」といったテンプレートに基づく鑑賞スタイルを放棄し、作品の見方を、自分自身と作品との関係において模索し獲得しようとすることなのである。

本実験実習は「科学・アート・障がい」と名付けられている。両氏が述べたことからわかるように、障害の現場においてアートは単なる作業療法という以上の意味を持つことがあり、それは非障害者にとっても、自分の認識様式とは異なる認識様式があることをはっきりと知ることのできる重要な機会である。それでは、科学はこのような相対化の波の中で力を失うのだろうか。石原氏はこれを否定する。たとえば、「4色覚」という状態は日常的な「語り」が表現できる範囲を超えており、こうした記述は科学によって初めて可能となったものだ。たとえアートによって何らかの違いがあることが明らかになったとしても、その違いを明確に記述することは「語り」には不可能である。このように考えると、科学とアートが二者択一の対象ではなく、異なるしかたで世界を捉えている人々同士の共生にとって不可欠な両輪であることは、もはや言うまでもないことだ。

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報告日:2015年6月20日