つくばみらい市農業実習 報告 江口 建、崎濱 紗奈

つくばみらい市農業実習 報告 江口 建、崎濱 紗奈

日時
2014年5月17日(土)9:20〜15:00
場所
茨城県つくばみらい市寺畑の圃場
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)「共生のプラクシス――市民社会と地域という思想」教育プロジェクト
協力
NPO法人「古瀬の自然と文化を守る会」

江口 建

 本企画は、「共生のプラクシス」教育プロジェクト(プロジェクト2)の活動の一環として、東京大学大学院農学生命科学研究科農学国際専攻の協力のもとに実施されたものである。現場の農家の人々に教えを乞いながら、実際に農作業に携わることで、農家と農村への理解を深めつつ、今後の日本の「食」と「農」のあり方、ならびに地域に根差した市民社会のあり方を模索することが、本プロジェクトの目的である。
 今回、IHSからは、中島隆博教授を初めとして、特任講師1名、特任助教1名、特任研究員4名、プログラム生1名が参加した。
 当日は、晴天に恵まれ、農作業にはうってつけの自然条件であった。参加者一行は、実習地の最寄り駅である小絹駅から徒歩で圃場へと向かった。道中、東京とは違った景色に癒されながら、日本の都市開発のあり方と、地方に残された日本の原風景の意味について想いを馳せた。
 農業実習の場所である田圃に到着すると、まず、農家主体のNPO「古瀬の自然と文化を守る会」の方々から、作業の趣旨についてご説明をいただいた。今回の主な活動は、田植えの事前作業としての「水田の雑草除去」である。作業に着手するにあたっての注意点や作業手順などについて、丁寧にご指導をいただいた。「古瀬の自然と文化を守る会」の方々、および小林和彦教授(農学生命科学研究科)のご差配のもと、班に分かれ、それぞれ作業場へと移動した。
 報告者は、水田に入って機具で泥を掘り起こしながら除草をするグループに参加した。実際にやってみて、すぐに一筋縄ではゆかないことに気づいた。第一に、泥に足を取られて、バランスを保つことが非常に難しい。幸いにも報告者は、最初から裸足で水田に入ったため、比較的、足の動作を自由におこなうことができたが、長靴で水田に入っていた農学生命科学研究科の女子学生は、足を泥から抜くことができずに立ち往生する場面が見られた。
 第二に、重い農具を押しながら除草をおこなうわけだが、泥の中で農具を転がすのに相当な技術が要る。うっかりすると、すぐに泥に嵌ってしまって、農具をスムーズに移動させることができない。かといって、水田に対して農具を浅く構えると、水底から生えている雑草を十分に刈り取ることができない。さらに、農具の構え方(姿勢)についても、工夫が要る。背筋を伸ばして、重心を高くして農具を用いると、確かに楽ではあるが、泥に足を取られてしまい、バランスが取りづらい。他方、腰を落として、重心を低く構えると、なるほど確かに力が入るし、農具も扱いやすいのだが、たちまち腰に影響が出る。腰に負担がかかると、長時間、作業を続けることができない。
 畢竟、水田での作業には、絶妙のバランスと身体感覚が要求され、農家の方々は、それを何年もかけて体得してきたのだということが如実に理解された。
 そのような作業を通じて強く印象に残ったのは、農作業における独特の身体の使い方である。農作業には、農作業の身体の動かし方というものがある。水田では、水田作業に適した身体運動がある。平地での生活とはおのずと使う筋肉も異なる。今回の農作業は、いわば「身体知」とでも言うべきものについて考える絶好の機会となった。
 平地での暮らしに慣れきっている都会人は、概して〈農業的な身体知〉を持ち合わせていない。みずからの身体を注意深く観察することで得られる知識(身体についての知識)と、みずからの身体を動かすことで得られる知識(身体による知識)が、圧倒的に不足していると感じる。身体的な知性は、身体的な機能を十全に発揮することによってしか獲得しえない。
 鉄筋コンクリートの建物に囲まれ、アスファルトで舗装された道路の上で生活することの多い現代人(都会人)は、みずからの身体の機能に鈍感になっているように思える。あらゆるものがコンピューター化され、自動化された社会で暮らしているわれわれは、かつて人間が持っていたはずの「本来の自然との関係」に即応した仕方で自己の身体を用いる技法を、いつのまにか忘却してしまったように思える。今回の農業実習は、そのことを改めて実感させてくれた。
 作業中、農家の人々の話を伺いながら、共同体のあり方についても深く考えた。彼らは、できるだけ現地の産物は現地で消費し(地産地消)、利益を度外視してでも栄養価の高いもの、美味しいものを届けようと心がけてくださっているが(無農薬栽培)、市民社会の成熟は、国家や政治との関係だけでなく、「経済」との絡みも大きい。一部の人々が、自分たちの利益を度外視して「良かれ」と思うことを実践し、結果、負担を被るシステムは、どこかで破綻を招くのではないか。人間の無限の欲望を煽る資本主義のシステムは、われわれの意図とは無縁のところで自己増殖してゆくが、そのような資本主義のメカニズムの中で、生産者と消費者は、どのような関係を保つべきなのか。そのことを改めて模索する必要があると感じた。ここには、スローフード運動や、食育、地産地消、町づくり、村おこしなど、さまざまな観点が投入されてくるが、分断された知ではなく、総体的な知を用いて、また、地域の実情に即した、地域がもともと持っている「活力」を掘り起こすような持続的な分析から、私たちは思想を立ち上げなければならない。そのように強く感じた実習であった。

報告日:2014年5月30日

崎濱 紗奈

 この度、報告者(崎濱)はIHSプログラム生として「共生のプラクシス――市民社会と地域という思想」プロジェクトの一環として行われた農業実習に参加する機会に恵まれた。午前9時20分、IHSおよび東京大学大学院農学生命科学研究科農学国際専攻からの参加者が小絹駅に集合し、一行は「NPO法人古瀬の自然と文化を守る会」の皆さまが管理されている水田へと徒歩にて向かった。
 実習では、二班に分かれて二種類の作業(草刈り機による水田周辺の草刈り作業と、除草機による水田中の草取り作業)を行った。報告者は、午前・午後を通して水田中の草取り作業に参加した。水田は、昔ながらの農法で管理されているということで、通常の水田とは異なり除草剤等は一切使用しておらず、それゆえに日々人力で雑草を除去する必要が生じるとのことだった。農作業には大変縁遠く、今まで水田に関わる機会を一度も持たなかった報告者にとって、通常の水田がどのように耕作されているのかということに始まり、今回作業をした水田が通常の水田とどのように異なるのかということに至るまで、何もかもが初めて触れる情報ばかりで大変新鮮だった。
 除草機は、柄の先に回転式の鋤が取り付けられている、といったような道具で、明治時代に導入された器具ということだった。鋤によって雑草を根から絡め取り、それを泥中に混ぜ込むことによって腐らせるという仕組みだそうだ。作業は、整列した稲の苗の列に沿って除草機をコロコロ転がす形で進められた。この器具が導入される以前は、田植えといえば各々各自の方法でランダムに植えていくのが普通だったが、除草機が導入されるにあたって、列を整えて植える必要性が生じた。従来通りランダムに植えた方が作業が捗ると主張する農家と、合理的に作業を進めるために整列して植えるようにと指導する行政との間には対立も生じたというお話を伺った。しかしその除草機も、除草剤や田植え機が導入されるようになった今となっては、昔ながらの農機具となっている。こうしたお話から、日本社会における農業技術の発展史と、それが人々の行動様式に与えた影響が垣間見えて、大変興味深かった。
 昼食は、「古瀬の自然と文化を守る会」の方々が用意してくださったものを、青空の下、皆で頂いた。冷えたトマト、コロッケ、お味噌汁、お漬物、蕗の煮つけ、白米、どれも最高においしかった。こんなにおいしい昼食を頂いたからには、午後も張り切って頑張ろうと思ったのだが、しかし、作業はなかなか思うように進まず、結局二枚目の水田の途中で除草作業は終わってしまった。たった一日、それもほんの数時間、作業に従事しただけだったが、農作業の苛酷さに触れた貴重な経験となった。しかし、大変な反面、素足で確かめた水田の感触や、自由に泳ぎ回る蛙やアメンボを目にしたこと、また共同作業の楽しみなど、普段は味わうことのできない喜びも得ることができた。
 「こんなことをやる人はまずほとんどいない。遊びだからやっていられる。この方法でまともな米を作るには相当な苦労をしなくちゃいけない」とおっしゃったある会員の方の言葉が、今も耳に残っている。なぜ、敢えてこのような取り組みを今行うのか。取り組みを通して、何を構築しようとされているのか。ただ"お客様"として参加するのではなく、実習への参加を通して「古瀬の自然と文化を守る会」に集う皆さまと、ゆっくり、じっくり、対話を重ねていく中で、自分自身の問いとして考えていくことができればと思う。

報告日:2014年5月26日