「大子町フィールドワーク」報告 ピーピョミッ

「大子町フィールドワーク」報告 ピーピョミッ

日時
2020年2月26日(水)〜27日(木)
訪問先
大子町役場など
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクトN「科学技術と共生社会」

2020年2月26日から一泊二日で茨城県大子町研修へ参加した。研修の主な目的は、フィールドワークを通して、人口減少や高齢化問題について行政や地域の方々からお話を伺い、地域で直面する課題やそれに対する取り組みを理解することである。

近年、日本政府は少子高齢化による人手不足の問題に対し、国会で新たな技能実習生受け入れの法案を通し、海外からの技能実習生の受け入れを積極的に行なっている。一方地方に比べ、東京・大阪などの大都市では、人口が集中し、働き手の需要・供給バランスが良い。高齢化や人口減少の社会問題に直面しているのは、主に地方であるが、地理や産業形態などの地域特性によって直面する課題は異なる。高齢化の社会問題を理解するためには、現場に足を運び、政府機関の方針や役場、地域住民の方々が直面する問題意識、また地域に適した再生の取り組みがどのようなものかを理解することが必要ではないだろうか。

このような問題意識をもち、東京から車で3時間かけて茨城県久慈市大子町を訪れ、フィールドワークを行なった。大子町は茨城県県北地域に所在し、町の80%は森林で覆われ、残りの20%は平地である。大子町は日本国内においてこんにゃく粉の発祥地と言われており、地理的にリンゴが取れる最南、お茶が取れる最北の位置にある。日本の三大地鶏の奥久慈しゃも、鮎などが名物である。さらに、日本三名瀑の一つである袋田の滝がある。このような特徴があるにも関わらず、大子町の一番の課題は、高齢化や人口減少である。

今回、まず大子町役場を訪問し、県庁の大森氏と町役場の川又氏・仲澤氏から大子町の現状と地域再生の取り組みに関するお話を伺った。大子町には若者が働く場が少なく、町の主な産業は農業や林業であり、女性が働くポストはさらに少ない。その結果、地域外へ若者が流出してしまう。定住人口を増やすために企業誘致を行い、働く場を作ろうとしても、地域特性の問題でなかなか企業は来ない。そのため、定住人口より、交流人口を増やすことを目標にし、どうしたら良いのかを考えた際、地場産業を育て、ここに来ないと味わえないブランド商品を産出する結論に至った。

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今回のフィールドワークでは、地場産業の成功事例となる二つの場所を訪問した。

まず、藤田観光りんご園を訪問した。農園主である藤田氏によると、およそ60年前に、大子町の6、7軒の農家がりんごを試しに栽培し始めた。大子町のりんご農家たちは、当時りんご産地として有名な青森を訪問し、りんご栽培の技術などを習い、大子町で「ふじ」品種のりんごを導入した。それ以来、大子町はりんご栽培の最南端という地域特性のため、同じ品種でも他の地域のりんごと比べると蜜入りが多い。わざわざ大子町のりんごを買い求めにお客さんがやってきて、このように大子町のりんご園が一つの地場産業として成立するようになった。最初大子町では6、7軒のみのりんご農家が、現在約50軒に増加した。

しかし、現在では、高齢化や人口減少の影響を受けてりんご園の後継者や働き手の不足が問題となっている。2ヘクタール以上の大手のりんご園は12〜13軒ある中、3、4軒が2、3年前は後継者が見つからなくて、困っていたが、現在は後継者が見つかって問題解決した。その後継者の年齢は50代の方である。規模の小さい農園の中では、後継者がいなくて、何十年間も育てたりんごの木を伐採して、やめられた方がいる。さらに、りんご園を管理するのは重労働であり、地域外の人々より知人にりんご園を継承してもらいたいという、農家の希望もあって、後継者を見つけることは簡単なことではない。

現在日本政府は人手不足の問題解決策として、海外からの技能実習生の受け入れを行なっている。ただし、大子町のりんご園の仕事は季節労働であるため、技能実習生制度を利用することには適していない。そのため、りんご農家は生産量を増やすより、商品の質を管理し、付加価値をつけて、ブランド化を図るようになった。例えば、観光農園として観光客を呼び寄せ、収益を増やす方法だった。

さらに、2008年に藤田さんの奥さんの考えで、りんごを加工してアップルバイを製品化して販売しはじめた。当初は口コミで、親戚や地域の方々から注文をもらったが、徐々に奥さんの活発なマーケティングで地域外からも注文を受けるようになってきた。さらに、道の駅にも藤田観光りんご園のコーナーを作成し、アップルパイやアップルジュース・アップルチップスなどを販売していった。アップルパイを生産するようになってから、りんご狩りなどで売られていないりんごのロスはなくなり、加工品として販売することで、商品に付加価値がつけられ、収入も増加するようになったのだ。まさに6次産業としての成功例である。

奥さんは今後事業を拡大していきたい考えだが、働き手不足でりんご園の拡大には限界があると感じた。藤田さんはご自身ができるだけの範囲でりんご園を続けていきたい。さらに、後継者の問題に関しても、子供本人の希望を尊重し、継承したくなければ、自分らの代で観光りんご園を終わりにしても良いと話された。後継者と人手不足の問題は大子町の地場産業の生存に関わっていると痛感した。政府が打ち出す技能実習生制度はこの地域の地場産業の活性化には適用できないことを理解した。

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次に、漆器の大子漆八溝塗、器而庵へ伺った。大子町の農家は昔から農地の一角に漆を数本栽培して、漆掻き職人に漆の木を売って副業とし、漆掻き職人は漆掻きをして問屋を経て販売していた。日本国内で使われる漆の原料の97%は中国産であり、残りの3%は日本産である。日本産の中で大子町の漆は3割未満であるが、透明度がよくて質が高いことから、一つのブランドとなっている。

2017年3月に、4年間かけて行われた国宝の日光東照宮の陽明門の修復を経て、文化庁は今後国宝の修復において、海外産ではなく国産の漆を使うという方針を出したそうだ。その影響を受けて大子町でも5年前から漆栽培の規模を拡大するようになった。漆の木は、10年育ててはじめて、漆掻きをして漆の原料がとれるようになる。現在、大子町で漆かきに従事しているのは70歳以上の方々である。漆掻きの作業は、山や森で一人で長時間同じ作業を繰り返して行う重労働であるため、精神的につらく、しかも季節労働である。現在、漆掻きに従事する働き手はなんとか足りているが、漆が育つ5年先には人手不足問題が生じてくるだろう。5年先に生じうる問題に対する解決方法はまだ検討されていない状況である。

器而庵の辻氏は大子町で漆の木を栽培し、漆を精製して、「八溝塗」という漆器を生産販売する先駆者である。漆器の中には有形文化遺産に登録されている作品も多数知られており、欲しがる人が多いのではないかという印象を持っていた。実際、辻氏にお話を伺ってみると、そうではないことがわかった。もともと漆器は日常品であったが、今では安いプラスチック製品などの代替品が出回り、漆器は有形文化遺産に登録された伝統工芸品として、日常からかけ離れた存在になった。漆器といえば、高級品や特別な時にのみ使用するというイメージがあり、例えばお正月のお重箱や食器として使用されたり、客のおもてなしの際に使用したりする。漆器は値段も高く、気軽に使って楽しむものではなくなった。辻氏も漆器を日常品として気軽に買ってもらえる方法を模索している。報告者は器而庵店内にいた際、「綺麗だな」と思いながら、商品ひとつひとつを見て回った。漆器の触感はどのようなものであるかを知りたかったが、手で触れてみることはなかった。漆器は伝統工芸品であって、簡単に触ってはいけないという雰囲気があったからだ。漆器の利用者数を増やすためには、生産者と使用者間のギャップを埋める何らかの工夫をする必要があるではないだろうか。

器而庵の場合、今現在高齢化の問題に困ってはないが、5年前に植えた漆が育つ5年後には掻手(季節労働者)が必要になる。この際も、藤田観光りんご園のように、政府の技能実習生や特別技能実習生制度を利用できるとは思えない。

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今回のフィールドワークを通して、国レベルで考案される政策は地域によっては問題解決方法としては適していないことがわかった。大子町では既に地場産業がブランド化された今、地場産業を拡大することが、地場産業での雇用を増やすことに繋がるのではないだろうか。地域外にいる若者に故郷の魅力をアピールし、地場産業に携わってもらうことが、定住人口を増やすことに繋がる可能性もあるだろう。さらに、拡大した地場産業によって増えた商品を地域外へ販売することが交流人口が増えることにつながり、大子町の知名度が上がるだろう。日本政府も全体論に政策の中心を置くより、もっと柔軟に地域に適した対策を考案する必要があると感じた。今回のフィールドワークを通して、観察してきたことを報告し、結びとする。