「障がい者アートの現場から─ぎゃるり でんぐりとの協働」 報告 平島 朝子

「障がい者アートの現場から─ぎゃるり でんぐりとの協働」 報告 平島 朝子

日時
  • 2019年2月6日、13日、20日、27日:絵画活動ボランティア
  • 2019年3月17日〜23日:アート展示
場所
  • 東京都東村山市「東京都社会福祉事業団 希望の郷 東村山」
  • 東京都世田谷区「ぎゃるり でんぐり」
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクトH「生命のポイエーシスと多文化共生のプラクシス」
協力
「東京都社会福祉事業団 希望の郷 東村山」、「ぎゃるり でんぐり」

本報告書は、東京大学大学院IHSプログラム、東京都社会福祉事業団による重度・最重度とされる知的障害のある方が暮らす施設「希望の郷 東村山」、そして下高井戸商店街にあるギャラリー「ぎゃるり でんぐり」の三者の協働によって企画された「ハジメマシテアナタ展」について記録するものである。全体の流れとして、2月には「希望の郷 東村山」の日中活動である絵画活動にIHSの学生らが参加した。施設の利用者の方たちが創作をする前にエプロンを着ることなどを手伝ったり、施設がそもそもどのような場所なのかについて知るためであった。このときの経験をもとに話し合いを重ね、3月17日から23日まで展覧会を開催した。以下、その経緯を丁寧に追っていきたい。

2019年2月初旬から3月下旬のおよそ二ヶ月間を、「ハジメマシテアナタ展」のプロジェクトが駆け抜けた。これは初めから「ハジメマシテアナタ展」という名前を持っていたわけではないし、きっと別様の展覧会にもなり得たものだ。プロジェクトの経過を思い起こしながら、どのようにして「ハジメマシテアナタ」というメッセージを伝える1週間が立ち上がっていったのか、そしてそこから生まれたものを確かめていこう。

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1.協働のスタート

この展覧会は、東大IHSを含む三者の協働プロジェクトである。三者のうちの一つ、「希望の郷 東村山」(以下、希望の郷)は、東村山市にある東京都社会福祉事業団の施設である。ここには、重度・最重度とされる主に知的障害の方が暮らしている。また、多くはないが、地域で暮らすための練習をしている人もいるそうだ。それから「ぎゃるり でんぐり」(以下、でんぐり)は、世田谷区の下高井戸商店街に佇むギャラリーだ。ここは、都電の踏み切りの真横にあって、リンリンリンという音が聞こえてきたり、上がるには靴を脱がなくてはならなかったりと、初めて来る人にですら懐かしい日常を感じさせてくれる場所だ。

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三者がどのように協働したかというと、まず東大IHSの学生たちが、希望の郷の日中活動として行われている絵画教室に参加させてもらう。そして、そこで何かを感じたり、考えたりして、「形になったもの・こと」を、でんぐりにて展示する。東大IHSの学生たちはアートや福祉活動の素人なので、希望の郷の職員さんたちや、絵画講師として勤められているアーティストの方々、でんぐりのオーナーの伝宝詩子さんからのアドバイスが必要であり、「協働」の中にも「授業」の要素が混じっている。

そもそもこのプロジェクトが始動したのは、IHSの特任研究員の内藤さんが、希望の郷の絵画教室の作品に出会い、惹かれたからだそうだ。そうして内藤さんをめぐる人々(アーティストさんや伝宝さん)に声がかかり、IHS生の研修授業として企画され、私を含めて5人の学生が集まった。この5人は、それぞれ異なることにアンテナを伸ばしているけれども、どこか似たような何かを感じていそうなところがあった。映像を作る人、踊る人、歌う人、作品を見る人、それから私。私は多分、ただそこにいたい人、といったところだと思う。

どんな展覧会になるのか、とにもかくにも絵画教室を自分の目で見て、一緒に参加してみなければ始まらない。ということで、このメンバーで、2月に入るとさっそく希望の郷に赴いたのであった。

2.絵画教室への参加:Kさんとの出会い

絵画教室には、私は2月6日と20日の2回参加した。希望の郷の大きな建物のうちの一室で、絵画教室は行われている。建物の他の部分はシンプルなのだが、この部屋だけは、壁が作品で埋まっていたり、飛び散った絵の具が床を彩っていたり、見るからに賑やかである。

施設の利用者の方達がくる前に、職員の松井さんからいくつかの注意事項を受けた。それは、強度行動障害という言葉はどういう振る舞いを指しているのか、利用者さん達の中でもとりわけストレスを感じやすい方が座る場所、あまり話しかけられるのが好きではない人には無理やりコミュニケーションを取ろうとしないことなどである。一方、絵画講師の渡邉知樹さんは、あまり考え過ぎずに自然に接するのもまた良いだろうと考えておられた。障害のことをあまり考えないようにするというのは、その人が何をされたら嫌なのかとかをあらかじめ知ることができにくいので、遠回りではある。けれど、むしろ遠回りしたからこそ、仲良くなれた人もいるのだそうだ。とりあえず、私自身無理せず、まずは一緒にいさせてもらおう、というつもりで臨むことにした。そのくらい構えずに参加しても、何となく気があう人だったり、そばにいることになったりする人とは出会うものだと思うし、実際そのようになった。

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私が出会ったうちでとりわけ印象深かったのが、Kさんという女性だ。彼女が“描く”絵の多くは、淡い蛍光色のピンクか黄色で、少し乱れたリズムで太い線や細い線、しっかり筆を押した跡やぶつかっただけのような跡、絵の具が紙をつたって落ちていった跡でできている。彼女は車椅子に乗っていて、手首を少し動かせるのと、大きな目でコミュニケーションをとることができる。彼女には介助者さんがついている。その介助者さんが画板を回したり、近づけたりすると、彼女の手から落ちずに何とか収まっている筆先から色が歩き出す。と思いきや、ある時には彼女は実は寝ていたりもする。薬の影響で、よく眠くなるらしい。

Kさんの“創作”シーンは、きっと多くの人を戸惑わせると思う。私も、大いに戸惑った。私はこれまで障害のある人の表現活動に少しばかり関わってきたけれども、そこで出会った人たちは、何らかの受賞経験があったり、個展を開いたりされていた。才能があるのにも関わらずアートワールドから排除されてきたことへの乗り越え、という文脈に位置する活動に出会ってきたのだと思う。もちろんそうしたアーティストの方達にしか会っていないわけではないし、そもそも障害者アートといった言葉の中にあまりに多様な営みが含まれている。

ただし、そうした多様な営みの中でも、障害当事者によって批判されてきたことがある。それは「健常者が障害者を子供扱いして、アートを与える」という構図が発生するような事態である[Barnes, 1999]。これまで障害者の権利運動で言われてきたことは次のようなことで、それらはどれももっともなことだ。つまり、障害者と健常者とが一緒に何かをしたり、障害者が健常者から手伝われる時には、障害者の意図が見過ごされたり、誤った受け止められ方をすること。例えば、表情の筋肉があまり動かない障害者に向かって「〇〇ちゃん楽しいのね、いいね」と子供扱いしながら良いことをしている気になるのは、実はその人があまり楽しんでいないのだとしたら、単純に健常者の身勝手である。それから、健常とされる人が、障害のある人をただ受動的な存在とみなして、表現行為を“与える”というのは差別的だということ。なぜなら障害を社会課題として捉えるとき、障害のある人は表現行為を奪われてきたのであって、再び表現行為に向かうとき、それは与えられるものではあってはならず、障害のある人がその主体でなければならないからだ。

これら障害当事者からの批判は、それ自体もっともなことではある。Kさんの場合はどうだろう。きっとこれらの批判を当てはめようと思えば、当てはめられるのだと思う。でも、感覚的に、これらの批判をKさんの表現に当てはめるのは、ふさわしくないように思うのだ。Kさんと、Kさんの周りの人に向かって、あなたたちの表現活動は「健常者が障害者を子供扱いして、アートを与える」ことになってますよ、なんて言うのは、表面上の論理的齟齬はないのだけれど、ものすごく的外れに感じられるのだ。はっきり言って、今の私にとって、KさんとKさんの周りの人が織りなす表現活動は、とても大切なものに思えるのだ。

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Kさん、正直、私はあなたが何をしたいと思っているのかわかりませんでした。でも、家族や長い付き合いの介助者さんを通じて、この絵画教室に参加されたと聞いているから、きっと絵がお好きなのではと思っています。それに、あくまで想像ですが、私がKさんだったら、手首を保って筆を支え、介助者さんとの共同作業で何か色と形が現れるのは喜びだと思います。それに、あなたは少し私と目を合わせてくれましたが、介助者さんとは随分と目を合わせたり、表情を動かされたりして、コミュニケーションをとっておられたようでした。だから、介助者さんが勝手に勘違いして「Kさん楽しいのね」と言っているのではないと思いました。本当のところ、どうなのでしょうか。また、希望の郷に遊びに行かせてください。

3.打ち合わせ:ハジメマシテアナタ

私はKさんと出会って、結構考え込んでしまっていたのだが、そんなこんなしている間に他の学生もそれぞれに出会いがあったようだ。ある利用者さんと特に気が合ったり、あるいは過ごしている間に自分の知らない一面を知ったり、そのような時間が集合的に経験されていった。そうして、このような経験を伝えていこうということで、「ハジメマシテアナタ」という展覧会名が決定した。アナタというのは利用者さんのことでもあるし、自分自身のことでもあるのだ。

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さらに、とりわけ障害のある人たちに出会うことが少なかった自分たちの過ごしてきた社会の輪郭を思い、「まず、障害のある人に出会うこと」に意味があるということになった。これまで排除されてきた障害のある人たちが、日常感あふれるでんぐりでの展覧会を通じて身近な存在となるということ。こうした観点からは、でんぐりという場所で行うことを含めて、展覧会そのものがインスタレーションであったと言える。

打ち合わせは、2月の6日、20日、その他数日学生だけで集まったりなどして、毎度かなり濃厚なものとなった。たくさんのアイデアや、それぞれが大切にしたいポイント、悩んでいることなどを分かち合ったが、振り返ってみれば「ハジメマシテアナタ」というテーマにいろんな角度から立ち返る時間であったと思う。

そうして、利用者さんの作品、学生たちの体験記、音や写真を使って、ハジメマシテアナタの記録を来場者の人たちに追体験してもらおうという方向に定まり、本番に向けて用意が進められていった。

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4.展覧会本番:そこから生まれるハジメマシテ

打ち合わせを通じて大切に深めていったハジメマシテアナタという考えだが、実際に、展覧会に来てくれた人たちに、伝えられただろうか。来場者に回答していただいたアンケートからは、よくわからなかったという辛口の意見もある一方で、きっと受け止めてくれたのではないかと思える感想をいただいている。

利用者と初めて会ったときの気持ちがずっと働き続けていくと思い出せなくなります。ハジメマシテアナタ展で、その時の気持ちがキュレーターさんの言葉で文字で思い出せてきました。とても新鮮でした。

その人を知りたいということからいろいろな関係が生まれてくるのだと思います。むずかしいことだけれど。私も努めていきたいと思いました。

それぞれのキュレーターの方の色が出ていてどれも面白かったです!

いつも働いている施設を別の視点で見ることができ、利用者さんに会うのが楽しみになりました。今ユニット職員ですが、ぜひ絵画活動に参加してみたいです!

私自身、7才頃盛んに描いて楽しかったことを思い出しました。時間を忘れ描いていたものですが…急速に集中力を失いましたが…

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希望の郷の職員さんたちが何人か来てくださったが、初めて利用者さんたちと出会ったときのことを思い出した、とか、利用者さんに会うのが楽しみだ、という声が聞かれた。アンケートには残されていないが、「〇〇さんって、こんな優しげな絵を描くんだ!」と、利用者さんのイメージが変わった、知らなかった一面に出会ったという感想もいただいた。作品とともに、その背後にある人を伝えることが、少しはできたのではないかな、と思う。

また、学生キュレーターがどんな人間なのかを汲み取ってくれた人、かつての自分を思い出した人など、利用者さんに対してだけではないハジメマシテを経験してもらえたのではないかと思う。

5.今後に向けて:作品そのものと向き合うこと

今回、学生たちの素直な経験を直球で伝えていくことができたと思う。一方、今回選んだ方向性のためにおろそかになってしまったことがあるはずだ。その中で、最も私が見落としていたことは、それぞれの作品のアートとしての良さである。言い方を変えれば、作品が生まれてくる場や作り出す人に惹かれるあまり、作品そのものとじっくり向き合うことを忘れていたように思うのだ。

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福祉施設で生まれてくるアートが、福祉という文脈を離れて語られることは容易ではない。倉本智明は、生まれてきた作品は絵画なり音楽なり、何らかの既存の領域に位置付けられるにも関わらず、それを福祉や社会保障といった別の言語で語り続けようとすることは乱暴であるという[倉本2010]。また、絵画講師の尾関立子さんは、作品は作者の手を離れて一人で歩いていくのだと言っていた(本展覧会ギャラリートークより)。アンケートからも、作品自体に惹かれた来場者もまた多かったことがわかる。

アートが生まれてくるまでの物語や、その場に福祉という要素があることの意味は考えつづけられなければならない。ただ、今回見落としてきた、作品そのものと向き合うということを今後の課題とし、ひとまずの報告としたい。

最後にこの場を借りて、「ハジメマシテアナタ展」の実現に向けて、協働するとともにたくさんの学びを与えてくださった「東京都社会福祉事業団 希望の郷 東村山」の松井潤さまはじめ職員の皆さま、利用者さま、そのご家族の皆さま、絵画講師の渡邉知樹さま、尾関立子さまにお礼を申し上げます。また「ぎゃるり でんぐり」のオーナーであられる伝宝詩子さまにも心より感謝申し上げます。

  • Barnes, C., Mercer, G. and Shakespeare, T. (1999) Exploring Disability: A Sociological Introduction, Polity Press.(杉野昭博・松波めぐみ・山下幸子訳『ディスアビリティ・スタディーズ―イギリス障害学概論』2004年、明石書店)
  • 倉本智明編著『手招くフリーク 文化と表現の障害学』2010年、生活書院

※一部写真提供「希望の郷 東村山」

報告日:2019年4月9日