ユアハウス弥生 柴田 温比古

ユアハウス弥生 柴田 温比古

日時
2017年12月20日(水)
場所
ユアハウス弥生(東京都文京区弥生)
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト3「科学技術と共生社会」

今回の訪問では、文京区弥生に位置する小規模多機能型居宅介護「ユアハウス弥生」を訪問し、課長である介護福祉士・介護支援専門員の金山峰之氏にお話を伺った。この訪問は、IHS3期生の森山剛志氏によって企画された。彼は日頃から弥生地区の高齢者(介護を必要としていない)と付き合いがあるが、同じ地区でも介護施設を利用する高齢者とは接点がなく彼らの生活をイメージできなかったそうだ。森山氏は介護施設を利用する彼らの生活の様子を見学することで、地域全体の高齢者の生活のイメージを掴みたいとのことであった。そのような動機から今回の訪問が実現したわけである。しかし、必ずしもこの点に限らず、介護・福祉の現場の現状や課題について多岐に渡って御教示頂いた。

現在の日本の介護制度の骨格は、1998年に成立した介護保険法によって形成された。その意味で、未だ20年足らずの歴史を持つにすぎない。ユアハウス弥生の経営母体もまた、元は戦争寡婦を活用した家政婦紹介業から出発し、介護保険制度の成立とともに業界に参入したそうである。もともと介護などのケアの領域は、再生産領域として、家事・育児などと並んで長らく家庭によって担われるものとされてきたが、21世紀を目前にして、少子高齢化の問題化や、再生産労働への社会意識の変化などから、社会保障の一部に組み込まれた。しかしながら介護制度はその成立と同時に、社会保障費の増大と財政の悪化を懸念する新自由主義的な風潮のもと、予算削減の圧力など厳しい状況に直面している。介護について、人手不足や低賃金・重労働のイメージが日々マスメディア等を通じて流布されているのは周知のことだろう。そうした介護業界像に対する批判も交じえながら、金山氏には様々な点についてお話頂いた。

話題は非常に多岐に渡ったため、全てを統一的に整理することは困難である。以下では、私個人にとって印象的であった点を中心に、金山氏のお話とそれを踏まえて私自身の考えたことを述べる。

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まず介護業務の専門性についてである。介護には、一方では、訓練を必要とする専門的なものであり、他方では単純労働であるという、2つの相反するイメージがしばしばまとわりついている。このことは介護の業務そのもののとらえがたさに由来しているように思われる。

まず介護には、おむつ交換や入浴など具体的な作業・手順が存在している。こうした作業は、具体的であり、どのような技能が用いられているかを明示しやすい。しかしながら、こうした身体にかかわる具体的な作業だけが介護・福祉の仕事ではない。人の全人格的なケアであり、したがって単に身体にかかわる補助・介助・世話を行うだけでなく、声かけやレクリエーション活動などを通じて心理的・精神的なケアを行うことも業務の一部である。こうした業務の部分は、その専門性や効果が測定しづらい。しかし、これはいわゆる感情労働であり、実際には微妙に声音を使い分けたり、より大げさな身振りやリアクションをしたり、といった技術を暗黙のうちに用いているのであり、介護労働者側からすれば、それが本来の感情ではない感情の表出を伴うがゆえに、感情操作の高度な技能を要する。私自身はこうした感情労働的な側面が苦手であり、現場を短時間見学させていただいただけでも、なかなかできないと思わされた。

このように、介護の業務内容には、身体に関わる作業と、感情労働という二つの側面が共存しており、特に後者は具体的でないがゆえに、そこに用いられている技能やその習熟の度合いを測定しづらい。それゆえ、介護の専門性がつかみづらく、高い専門性と単純労働という、相反するイメージを読み取ってしまうのではないだろうか。

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こうした介護業務の性質は、医療との差別化という点とも関わる。医療との差異という観点から介護について考えてみると、医療行為が治療・回復という明確な指標を持つのに対して、介護はそのような目に見えるわかりやすい基準を持たない。しかし、このことは当然だが、介護が医療に比べて専門性において劣っているということを決して意味しない。介護・福祉とはそもそも医療とは異なる領域であり、身体機能の回復を望めない人(こそ)をもケアすることにその意義と目的がある。けれども、そうした意義を守るためには、介護・福祉行為のつかみづらさを引き受けるしかない。

それに対して、分かりやすく指標化しようとする方向性が強まると、医療への接近が生じてしまうが、これは社会保障費削減を促す新自由主義的な圧力に繋がる。この圧力の下では、高齢者の身体機能を予防的に維持・回復させることでケアのニーズを減らし、社会保障支出を抑えることが目指されるため、介護制度の中でもリハビリなどが重点化されるが、それは身体機能の回復が見込めない高齢者を排除するシステムとなる恐れがある。金山氏は、こうした事態に対する危惧を表明していた。

この点はまた、介護現場の労働力供給の問題とも関わる。介護業界が過酷な業務内容や時間に比して、賃金がなかなか上がらない中で、現場は人手不足となっており、集まる人材も、無資格者や、様々な事情を抱え体系的な訓練を受けていない者が多くなってきているそうである。そうした中では、専門性の水準が下がることも避けられない。金山氏自身、有志で開いている勉強会の仲間とともに近年の介護業界の専門性の平均的な水準が低下しているという意識を持っているそうである。このような介護現場の負のイメージはマスメディア等を介して広く流布しており、介護労働者自身が、そのような否定的な自己イメージを抱くようにさえなっているという。しかし、現状が厳しいことは事実だが、金山氏によれば否定的なイメージばかりを強調することには問題がある。実際に、例えば自身がTVに出演した際、介護業界の負の側面を描くストーリーにしたいという番組側の意向を強く感じたそうであるが、そのようなイメージの歪みは問題である。

以上のように、介護制度の抱える課題は多く、簡単に解決策を導くことのできるものではないだろう。しかし、急速に少子高齢化を迎える日本社会にとって、介護の問題はむしろ、現場の実践と、政策や学知が連携して課題解決に当たるべき、重大な課題の一つであると思われる。そして何より金山氏の語り口からは、介護施設の現場に立っているだけでなく、介護の専門性の研鑽、施設の管理・運営から、介護業界全体の構造に至るまで、努力と学習を怠らない金山氏の介護職として矜持が感じられた。今回の訪問を機に、介護制度について多く学んだが、それだけでなく、金山氏のような優れた人の存在こそが、何よりの学びであった。

金山氏は他にも様々な点についてお話くださり、この報告で取り零した点も多いかもしれないが、以上をもって報告とさせていただく。ありがとうございました。

報告日:2017年12月26日