Let’s talk with Dr. Teru Miyake 報告 相馬 尚之

Let’s talk with Dr. Teru Miyake 報告 相馬 尚之

日時
2016年6月4日(土)15:00-16:30
場所
東京大学駒場Ⅰキャンパス 101号館 2階 研修室
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト3「科学技術と共生社会」

本イベントでは、シンガポールの南洋理工大学の三宅輝先生お招きし、2016年6月3日にはご自身の専門の科学史・科学哲学の領域について講演をいただき、また翌日4日には座談会形式で三宅先生の経歴や学問をとりまく状況についてご報告いただいた。

4日の座談会では、三宅先生の経歴や大学での雇用の現状などについてご説明いただいた。三宅先生は応用物理学を専攻しカリフォルニア工科大学を卒業されたのち、日本の民間企業に一度就職されるも、哲学を志してタフツ大学の大学院に転じ修士号を取得された。ドイツのマックス・プランク研究所でのPredoctoral Fellow等を経験されつつ、博士号はスタンフォード大学で取得され、現在はシンガポールの南洋理工大学において哲学の教員として活躍されている。このような様々な国での先生の体験は、将来研究者を目指す学生にとって非常に興味深いものであったが、同時に様々な困難を予想させる内容でもあった。

現在の大学院生の抱える不安の最大の要因の一つは、将来の就職先に対する不安であろう。とりわけ、博士課程に進学した場合一般に民間への就職は厳しいものとされているが、それ以上に日本の大学でポストを獲得できる見通しについては暗い予想がなされている。このように大学への就職は極めて難しい状況となっているが、このような事態は日本に限定されたものではなく、欧米の大学院にも共通している。

三宅先生のお話の中でも、欧米における哲学系の博士号を取得した学生の大学への就職については悲観的な発言が相次いだ。就業についてはリーマンショック以降特に悪化しており、スタンフォード大学大学院を卒業しても容易には大学での研究職のポストを見つけることができないという状況は、今後のキャリアとして欧米圏の大学への留学を視野に入れる学生たちにとって想定していた以上の非常に厳しい現実であった。

また、たとえ大学に採用されたとしても、雇用形態によってその後が大きく左右されるということも強調された。海外の大学でも、テニュアと非テニュアの2種類の場合があるが、単に常勤と非常勤という安定性の問題のみならず、学生への授業時間が非テニュアの方が多く、加えて授業は常に学生アンケートの形式で評価の対象となっているなど、教育活動が非テニュアにとって大きな負担となる。そのため、研究に専心しにくく新たな成果を生み出すことが難しくなり、一度非テニュアとなってしまうと抜け出すことが困難となる事情を説明していただいた。日本の場合は、非常勤での教歴が常勤での採用の選考において考慮されるため多少は異なるが、常勤と非常勤の間の格差など様々な問題があり、このテニュアの問題は今の院生にとって、国内外いずれの大学においても直面するであろう深刻な問題である。

さらに、研究職に就くことができても、そこから激しい競争があるということを加えておく。三宅先生の場合、初めは南洋工科大学のグラントへの申請が義務付けられており、さらにシンガポールの教育省のグラントに進むことを求められているとのことだった。これらのグラントを取得できない場合、学会費や国際会議への参加費などについて自腹となることもあり、研究者にとって大きな負担となる他、グラントの取得がキャリアの評価とも結びついているので獲得することが必須となると説明されていた。日本での科研費と同様、自らの研究資金の確保に加えて、今後のポストのためにもグラントの獲得競争が世界中の大学で起きるという状況は、今後ますます激しいものになっていくのではないだろうか。

ここまで学問の世界を取り巻く悲観的な状況を記してきたが、三宅先生のケースを踏まえつつ、これからの希望についても考えてみたい。例えばシンガポールでは、近年これまでの理系の学部と並んで教養や人文科学への関心の高まりがあり、南洋理工大学でも新たに哲学系のプログラムを開始するなど積極的な研究の推進が行われている。三宅先生もこの新たな仕組みの開始に際して採用されており、近年シンガポールや香港といったアジアの一部地域では大学の強化が進むなかで、理系に限らず人文系の学問への需要も高まっているとのことであった。世界的な研究者の競争が行われている中で、ポストを獲得する先も世界中に広がっている様子をうかがうことができた。

国際的な共同研究や研究者相互の交流の動きが促進され、また優秀なスタッフや学生の獲得競争が世界で加熱していく中で、学問や研究体制の国際的な広がりは日々急速に拡大している。日本に生まれ、アメリカで育ち、その後日本で一度就職するもアメリカの大学へと戻り、ドイツでの研究者生活も経験しつつアメリカで博士号を取得し、ついにシンガポールに活路を見出された三宅先生は、この国際化の中であるべき姿の一例を示されている。

日本においても、このような近年の世界の動向を踏まえ、大学のグローバル化が幾度となく叫ばれ、外国語教育の拡充や留学生と海外出身の教員の受け入れ強化が目指されている。果たして「科学には国境はないが、科学者には祖国がある」とパスツールが述べた時代は去り行き、科学の生み出す成果のみならず、科学者も世界中を飛び回り、あらゆるところから影響を受け、そして世界に貢献するような時代は到来するのだろうか。あるいはそれは、すでに到来しているのだろうか。

これらに関して答えることは容易ではない。しかし、国際化の潮流は滞るどころか、今後一層激しくなることが予想されるとき、研究者はこの広大な世界での熾烈な競争に飛び込み、世界へと成果を還元していく勇気を持つ必要があるだろう。今回の座談会は、大学を取り巻く厳しい環境の中のこれからの人材やキャリアについて、細い希望の糸をどのようにして繋いでいくか考える貴重な機会となった。

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報告日:2016年7月29日