講演会「科学理論の変化について──新しいアプローチを検討する」報告 徳永 和朗

講演会「科学理論の変化について──新しいアプローチを検討する」報告 徳永 和朗

日時
2016年6月3日(金)17:00 - 18:45
場所
東京大学駒場Ⅰキャンパス18号館4階コラボレーションルーム3
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト3「科学技術と共生社会」

三宅先生は、具体的な成果に向けてこれから研究を進められる、構想中の研究内容について講演された。

三宅先生はまず、科学哲学のおおまかな歴史について解説された。科学哲学は、現在では特定の歴史的・科学的事象に焦点を絞り、その研究対象に密着して研究を行うのが一般的であるが、従来は、科学の本質的な規範的特徴は何か、科学は非科学に対して一般的にどのような優位を持っているのか、という問いを扱っていた。トマス・クーンやカール・ポパー、ラリー・ラウダンなどがそのような問いを扱い影響力を持った代表的な論者である。三宅先生は、フィリップ・キッチャーの1993年の著書The Advancement of Scienceを、このような問題枠組みのもとで書かれた代表的書物のひとつの区切りとして挙げられていた。このような問題枠組みが後景に退いた事情として、三宅先生は、この問いが意義のないものであるとわかったからだというよりも、この問いに取り組むためのアイディアが一通り出尽くしたためであろうと推測されていた。

もちろん、このような研究が現在行われていないというわけではない。たとえば、三宅先生は、複雑系の研究を応用したアプローチを紹介されていた。三宅先生の研究も、このような問いに対する現代的なアプローチを目指すものである。その内容は、ブライアン・アーサーという経済学者が著書The Nature of Technology: What it is and How it Evolvesにおいて展開したテクノロジー論を応用して、科学理論の変化について新たな説明を行うことができるのではないか、というものであった。科学理論を、「道具のような部分[tool-like part]」と、「事実のような部分[fact-like part]」という一応の区分に分けて、このうちの「道具のような部分」については、アーサーが分析したテクノロジー進化の理論を応用できるのではないか、という考えである。

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テクノロジーを、一般的な意味合いよりも広く、人間の特定の目的を果たす手段として理解する。そうすると、テクノロジーは、さまざまなテクノロジーを部分として持つ、テクノロジーの組み合わせとして理解できる。テクノロジーの発展はさまざまなニッチを生み出し、またさまざまなテクノロジーがそのニッチを埋めるために発展する。このようにしてテクノロジーが複雑になっていく様子は、「構造的深化[structural deepening]」となづけることができる。構造的深化はある種の枠組みとして集中的になされていくが、その構造が、所定の目的を果たすうえで不十分だとして認識されるようになると、新たな構造を生み出そうという動きが技術者の間で生まれるようになる。こうして、テクノロジーの発展の動きは、トマス・クーンが科学理論の構造として見出したパラダイム論と類似するものとして現れてくる。

三宅先生の考えは、物理学者の用いる数学的・概念的な手法をある種のテクノロジーとみなすことによって、前段落のようなアイディアを応用しようというものであった。具体的には、19世紀のイギリスの物理学者が用いた数学的・概念的手法に、前段落のような構造が見いだせないかというものである。当時、イギリスの物理学者が利用した数学的手法は、フランスから由来しているものが多かった。三宅先生の研究は、これらの「テクノロジー」が、物理学者のなかでどのように用いられ、どのように発展していくかをつぶさに追っていくことで、科学理論に対するこのようなアプローチを、ある程度の説明力を持つ枠組みとして提案できるのではないか、というものといえるだろう。

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三宅先生の研究は、科学理論についての一般的研究という伝統的・古典的問題を意識していながらも、高度に専門的であるという印象を持った。三宅先生が念頭においている事例である19世紀の物理学や数学を満足のいくように論じるには、当然のことながら、物理学・数学の知識が欠かせない。三宅先生は、哲学でのPh.D.のほか、応用物理学でも学位を取得されている。複数の学問的バックグラウンドを背景にして科学哲学の伝統的問題に取り組むという試みは、これらの問題に対する、厳密性・信頼性が高くまた新しい研究を可能にするという点ではとても刺激的である。その一方で、哲学の高度な専門化もまた意味するのであって、この研究は理解するための敷居がとても高い研究となるのだろうとも感じた。私は、三宅先生と同じく英語圏における現代哲学を専門にしているが、三宅先生の研究を十分に理解するためには、物理学の知識も数学の知識も足りていないだろう。もちろん、これらの知識は哲学研究においてさまざまな場面で役立てることができるものであるから、機会があれば、可能な限りで身につけておきたいものである。

アーサーのテクノロジー論は興味深いものであった。アーサーのテクノロジー論の概略は、クーンのパラダイム論との近似というところまで含めて、直観的にとてもわかりやすい。これは、これらの議論の根底にある説明枠組みが、私たちにとても馴染みのものだからなのかもしれない。このような説明は、思わぬ他分野についても可能であったり、あるいは現に行われていたりするのかもしれない、ということを考えた。また、三宅先生の講演では用語の定義や議論の簡潔な紹介にとどまったが、アーサーのテクノロジー論は、どれほど形式的・数理的な説明をしているのだろうかという点、あるいはどれほど包括的な説明を目的としているのだろうかという点も気になった。テクノロジー論は、さまざまな潮流の哲学において盛んに議論されているトピックでもある。ぱらぱら本をめくってみるだけでも、少し確認してみたい。

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報告日:2016年7月26日