プログラム生自主企画「沖縄と医療」報告 山田 理絵

プログラム生自主企画「沖縄と医療」報告 山田 理絵

日時
2016年2月29日(月)〜3月1日(火)
場所
沖縄県名護市、沖縄県那覇市
共同企画者
崎濱紗奈、菊池魁人、半田ゆり、山田理絵、吉田直子
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト2「共生のプラクシス──市民社会と地域という思想」

企画主旨

本企画「沖縄と医療」では、6名の参加者が、ハンセン病患者の長期療養施設である「国立療養所沖縄愛楽園」と、国吉勇氏が収集した沖縄戦時の兵器や医療機器が展示されている「戦争資料館」を訪問した。本企画の背景と主旨は以下のとおりである。

現在、沖縄県に位置する軍事基地の移転をめぐって、様々な立場の人々が議論を続けている。この問題が一般に「沖縄問題」と呼ばれていることに象徴されているように、「沖縄」という地域はこれまで、主として軍事的な角度から社会問題化されてきたと言えるだろう。もちろん、「沖縄問題」そのものが世論で取り上げられることや、学術的な研究対象として分析されることは、問題の解決のために必要なことである。しかし、特定の地域について特定の問題が繰り返し議論されることによって、その地域についてのステレオタイプが生み出されかねない。それに加えて、「沖縄」という地域の歴史・文化に関する、他の重要な論点が捨象されることもあるだろう。

そこで本企画では、ハンセン病隔離政策と医療、沖縄戦と医療の二つを中心的なテーマに関連施設の訪問と聞き取りを行った。このことにより、沖縄という地域の「複数の」歴史を学び、それらの相互的な関連性について考察することを目的とした。

報告

2月28日に、「国立療養所沖縄愛楽園(以下、「愛楽園」と略す)」を訪問した。愛楽園は、名護市の屋我地島に位置するハンセン病患者の長期療養施設である。1938年に同地に発足し、当時は「国頭愛楽園」と名付けられていた(沖縄愛楽園自治会 1989: 72)。ハンセン病とは、らい菌が引き起こす感染症であり、発症した場合に末梢神経に影響を与え、皮膚や手足などの末梢器官に病的な変化を及ぼす慢性疾患である。日本では、1907年に「癩予防法」が制定され、1953年に同法律が改正された「らい予防法」が制定された。

愛楽園では、交流会館、園内の史跡巡り、資料館の順に見学をさせていただいた。まず、交流会館では、愛楽園自治会の副自治会長である米蔵豊正氏から愛楽園の概要と、ご自身が愛楽園で過ごされた経験をうかがった。また、愛楽園の歴史を扱ったビデオを視聴し、らい予防法とハンセン病患者の隔離政策との関係について学ぶ機会を得た。

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(写真1)沖縄愛楽園交流会館
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(写真2)交流会館でのビデオ視聴の様子

続いて、かつての愛楽園に入所されていた平良仁雄氏にご案内いただき、園内の史跡巡りをさせていただいた。平良さんは、1938年の「国頭愛楽園」設立以前の昭和初期に、沖縄の病者を伝道するために熊本から派遣された青木恵哉氏の記念碑の前で、同氏のエピソードについてお話をしてくださった。また、銅像の向かい側にある納骨堂の前で、ハンセン病の患者が、実際にどのように社会的に排除されてきたかについて、政策や療養所での日常に触れつつお話をして下さった。

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(写真3)旧面会室外観
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(写真4)旧面会室内部

史跡めぐりのなかで特に印象に残っているのは、「旧面会室」である(写真3)。ここは、入所者が主にその家族と面会する時に使用されていた場所である。内部は、写真4にあるように、アクリル板で入所者側/面会者側が仕切られていた。平良さんが、かつて入所していた時にここを使用した時、面会時には所員が同席・監視をしており面会作法が厳しく定められていたという。平良さんは、面会時に、まるで刑務所にいるようにアクリル板越しに家族と面会した時、入所前に家族と触れ合っていた幼少時代を思い出し、とても切ない気持ちになっていたようであった。

最後に資料館を見学した。そこには、ハンセン病に関する政策の具体的な歴史の流れや、写真や証言集、かつて療養所内で使用されていた器具などの展示があった。交流会館、そしてこの資料館が開館し、一般に公開されたのは2015年と比較的最近のことである。愛楽園の施設を見学し、関係者の方々にお話をおうかがいさせていただく機会を得たことは、当時の様子を知るうえで大変貴重な機会であった。

また3月1日には、国吉勇氏の個人宅にある「戦争資料館」を訪問した。国吉氏は個人の収集家で、沖縄戦時の刀剣や手りゅう弾といった軍事兵器、当時の病院で使用されていた医療機器、兵士の個人的な持ち物など、あらゆる種類の戦争関係の品を収集している方である。収集された品は、「戦争資料館」と表札がかかるご自身の事務所に整理・保管されており、個別に連絡をとれば一般にも公開をされている。

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(写真5)資料館の表札
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(写真6)倉庫内の様子
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(写真7)展示されている収集品

資料館内には、写真7にあるように、膨大な数の取集品が品目ごとに整理され並べられてある。収集したばかりの品は、保存のための準備を整えるために一時的に倉庫の中に保管されていた(写真6)。

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(写真8)戦時中の注射器
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(写真9)薬品

また、写真8、9にあるように、沖縄戦争時に使用されていた注射器や薬品、薬の小瓶なども大量に展示されていた。「戦争資料館」に展示されている品々は、たしかに、わかりやすいよう分類・整理されて展示されているが、各品物が何であるかを示すタグやネームシールの他は、説明が一切記されていない。それらの品々は一体どのように使用されていたのかについて国吉さんが丁寧に、しかし淡々と説明をしてくださった。

今回の「沖縄と医療」の企画を通して、現在の問題の背景に退きがちな、歴史のなかに横たわる痛みの声を聴く機会を得た。人々の争い、人々の間の排除と包摂の営みの中に沈む痛みの声である。こうした痛みの歴史を生み出したとされる、沖縄で生起したいくつかの「問題」は、きっと表面的には異なるものとして見えているのかもしれない。しかし、異なる「問題」を複数の視点で掘り下げていくとき、それらは地理的要因、内地の中での人々の関係性、本土との政治的な関係性など共通の要因によって生起している類似の構造の「問題」であることが分かる可能性もある。本企画では、いくつかの歴史的事実を学ぶという段階にとどまったが、今後さらに相互的な関連性について深く考察する機会を得られたらと考えている。

報告日:2016年3月30日