顕微鏡絵画ワークショップ参加報告 椢原 朋子、東風上 奏絵

駒場博物館特別展『境界を引く⇔越える』関連イベント 顕微鏡絵画ワークショップ参加報告 椢原 朋子、東風上 奏絵

日時:
2015年5月2日(土)
午前の部10:00−12:00/午後の部13:30-15:30
場所:
東京大学駒場博物館
インストラクター:
池平徹兵(OFFICE BACTERIA)
主催:
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト3「科学技術と共生社会」

椢原 朋子

午前の部

4月25日から開催されている企画展『境界を引く⇔越える』だが、5月2日土曜はこどもの日が近いということもあり、子供たち参加型のイベントを行った。内容は、子供たちに顕微鏡で撮られた微生物や細胞の写真を描いてもらって、その絵をこいのぼりのウロコ型に切り抜いて一枚一枚貼り付けていく、というものである。このイベントは企画展に展示物も提供してくださっているOFFICE BACTERIAの画家・池平徹兵さんがまとめてくださった。池平さんは昨日突然思いついたとおっしゃって、子供たちのためにきび団子をプレゼントされていた。これは、桃太郎が鬼退治を成し遂げるために犬やキジや猿が必要だったように、子供たち一人ひとりがこいのぼりの作品を完成させるのに必要だ、という意味が込められている。

この日の午前には、約10人の子供と保護者の方たちが参加した。イベントはまず、こいのぼりの前で全体の流れを説明し、次に2階の作業スペースへ移り顕微鏡の説明があり、そこから皆で好きな顕微鏡写真を選んで絵を描き始めた。みんなすぐに集中力が切れてしまうのではないかと心配していたが、時間いっぱいまで小さな子供も一生懸命絵を描いていた。今回は子供だけでなく、保護者の方にも絵を描いてもらったが、大人も子供もみんな真剣だった。それぞれ描いている絵を覗いてみると、細部まで細かく描かれている絵が多く、普段は教科書やニュースで少し目に入るというだけの顕微鏡写真も、絵を描くことで対象の詳細な構造を理解することが出来きたのではないかと思う。私自身も一枚絵を描いたが、以前から生物が持つ幾何学模様はとても美しいと思っていたので、絵を描くのは大変楽しかった。そうして描きあがった絵をこいのぼりに貼ったときは達成感を感じた。どの家族もこいのぼりの前で記念撮影をしていた。どのウロコもそれぞれタッチが違ったり、バラバラの生物を描いていたりするにも関わらず、統一感が生まれていて、美しかった。午前の部だけではすべてのウロコは埋まらなかったが、今後完成するのが楽しみである。また、「こういう(アートと科学が融合した)研究は楽しそうだね」という声も聞こえてきた。本当の研究は難しい数式を使ったり、大掛かりな装置を使ったりもするが、科学を好きになるのはこういった楽しみであることが多いと思う。

駒場博物館特別展『境界を引く⇔越える』関連イベント 顕微鏡絵画ワークショップ参加報告 国原 朋子、東風上 奏絵

報告日:2015年5月5日

東風上 奏絵

午後の部

私は、自身の研究テーマに関連している子どもの自発性に興味があり、今回ワークショップに参加する貴重な機会をいただいた。

駒場博物館に到着し、最初に思ったのは、"博物館の展示というのは、生きているのだな"ということだ。私は普段本郷キャンパスに通っており、頻繁に博物館の中を見る機会はなかった。二週間ほど前に準備中の展示を見せていただいた時は、先生の説明を聞き、絵が掛けられる前の壁や、展示物が置かれる予定の台を見ても、展示の中でどのような世界が立ち上がるのか予想できなかった。しかし展覧会期を迎えた博物館に入り、展示物が全て揃った時の展示の生き生きとした様子、来場者と作品との対話から生じる生命の躍動のようなものを感じることができた。

こいのぼりの前に約20名の大人と子どもが集合し、ワークショップは始まった。

池平さんの、皆に本気でやってほしいという言葉が心に残った。この時は、本気になることの意味がまだ実感として湧かなかった。

説明を聞いている間は騒がしかった室内も、皆が絵を描き出すと静寂に包まれた。真剣に絵を描く参加者(子どもだけでなく、大人も真剣そのものだった)を見て、私も絵が描きたくなってしまった。筆に水を含ませ、赤色と青色で彩色された細胞を模写する。多くの構成物からなる細胞は、一つ一つの描写が大変難しい。全体を塗っては細かく描くことを繰り返し、皆が真剣になる理由に納得した。参加者の絵が仕上がってくるにつれて、各テーブルから話し声や笑い声が聞こえるようになった。顕微鏡で覗いた世界の絵を描くという共通の行為がきっかけで、参加者同士の対話が生まれていた。そして、各々が描いた絵は鱗型に切り抜かれ、こいのぼりに貼り付けられていく。全ての鱗に絵を描いてもらい、新たな生を受けたこいのぼりが誕生した。

美しいこいのぼりを見上げながら、私はいつから絵を描くのが恥ずかしくなったのだろうと考えた。各自絵を描いていた時、絵の上手下手が意識されることはなかった。顕微鏡画像は普段私たちが見ることのない世界を切り取ったものであり、自分たちにとってよく分からないものをアートによって捉えようとする試みの中には、優劣の比較など存在しないのだろうか。実際、こいのぼりの命を支えるどの絵画も素晴らしいものであった。一人一人の絵はこいのぼりの鱗となり、全員の絵がこいのぼりに新たな命を授けた。私は、自分の絵がこいのぼりの一部になったことに大きな喜びを感じた。

細胞など、顕微鏡が写し取る世界は普段私達の内側にある。このワークショップは、私たちの中にある世界を、私たちが外から見ることで、自らの生を捉え直す試みにもみえる。小さな子どもはきっと写真の正体が何かは分からない。共に作業することで、親から子へ、または同じテーブルで作業する大人から子どもへ、生命のリレーが行われているような印象を受けた。同様に、展示が一つの生命であるなら、展示そのものの死がいつかは訪れるとしても、展示がもつメッセージは形を変えて来場者に伝わっていく。

子どもの自発性に関してだけでなく、展示の持つ生命性、絵を本気で描くことで生まれる共同性、私たちの生命が持つ循環性に思いを馳せたワークショップであった。

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報告日:2015年5月5日