Prof. Dr. Jeanette Hofmann講演会「デジタル化、公共圏と民主主義──ドイツからの視点」 報告 田中 瑛

プロジェクトS協力・講演会 Prof. Dr. Jeanette Hofmann講演会「デジタル化、公共圏と民主主義──ドイツからの視点」 報告 田中 瑛

日時
2018年4月23日(月)
場所
本郷キャンパス・情報学環本館・2F
主催
東京大学大学院情報学環・林香里研究室
協力
東京大学大学院博士課程教育リーティングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」 教育プロジェクトS「多文化共生社会をプロデュースする」

2018年4月23日、東京大学大学院情報学環林香里研究室主催、IHS教育プロジェクトS協力で、ベルリン社会科学研究センターの政治学者であるジャネット・ホフマン教授の講演会「デジタル化、公共圏と民主主義──ドイツからの視点」(原題:"Digitalisation, Public Sphere and Democracy ── Observations from Germany")が開催された。近年の社会的情勢を鑑みるに、民主主義とメディアの関係性をどのように問い直すのかという点について課題を整理し、考察を深める必要性が切迫したものとなっている。その点で、インターネット政策に関する国家レベルでの規制に関する研究を進めてきたホフマン教授の講演では、フェイクニュースや情報倫理をどのように理解するのかという、メディアを取り巻く複合的な関係性を考える上で重要な知見が得られた。

ihs_r_s_180423_digitalisationpublicsphereanddemocracy_01.jpg

講演会は第一部と第二部に分かれて実施され、その間には参加者を交えた議論の時間が挟まれた。議論の土台となる第一部では、デジタル化と民主主義の関係に係る様々な問題が取り上げられ、これらの問題がドイツにおいてどのように議論されているのかが説明された。まずは、トランプ大統領当選やイギリスのEU脱退(Brexit)を契機としてフェイクニュースが重要な争点として挙げられた。それと関連して、移民の流入が生じているヨーロッパで深刻な問題となってきたのが、ヘイトスピーチである。また、選挙コンサルタント企業であるケンブリッジ・アナリティカの選挙動員にFacebookの個人情報が利用されたというスキャンダルを受けて、プライバシー権も重要な論点となってきたこと等が報告された。

これらの事例から分かるのは、政治的問題について議論を行う際に、上記のメディア特有の問題が切って離すことのできない関係にあるということである。他方で、メディアによる媒介作用が民主主義(あるいは民主化)の原動力にもなり得ることが期待されるため、その役割を「信頼できない」と容易に切り捨てることもできない。ホフマン教授が示唆するように、これらはヨーロッパ・ドイツだけでなく、講演会が実施されたアジア・日本でも十分に生起し得る問題である。なぜならば、EUのような超国家的なフレームが希薄で、言語・文化的に閉ざされている日本においても、多国籍のメディア企業の強い経済的影響が浸透しつつあるからだ。また、民主化運動におけるメディア利用について、韓国に比べるとメディアの受容と政治活動の結び付きの基盤を欠いているという指摘もあり、海外との比較から日本のメディア状況を逆照射する機会ともなった。

ihs_r_s_180423_digitalisationpublicsphereanddemocracy_02.jpg

そして、ホフマン教授からは、人工知能を採用することにより生じている倫理的な困難や葛藤についても説明が行われた。人工知能はまだ発達過渡期にあり、その政治性について意識する機会はあまり無いように思われる。しかしながら、人工知能が倫理的な規範を十分に学習できないがためにヘイトスピーチを拡散させるといった事例は既に存在しており、後述するように技術は密接に政治に結び付いている。このことは、単なる機械の未熟の問題だけではなく人間自身の問題として考えなければならない。何を以ってヘイトスピーチを通常の表現の自由から区別するのかを明確にすることができていない以上、人工知能による学習の自動化が差別などの倫理的問題を引き起こす可能性にどう対処するのかという問題についても直ちに回答することは難しい。

ヘイトスピーチをどのように定義するのかについて、ドイツの場合には、問題解決のための法制度化の要請が強いという特徴がある。例えば、日本でのヘイトスピーチ規制は罰則のない努力規定に留まっているが、ホフマン教授によれば、ドイツではここに厳密な線引きを行った上で刑罰を課さなければならないというコンセンサスが得られつつあるという。ただし、ドイツのように法制度化と厳罰化を急ぐことには注意が必要であるようにも感じる(もちろん、何が「ヘイト」かを制度的に区別しないまま放置するのは決して望ましいことではないが)。メディアを媒介とした市民同士での討論を経て合意が形成されるという基本的な理想に立ち返るならば、その法制度化がどの程度まで為されるべきなのかについても、民主的なプロセスを通じて検討されなければならない。

ihs_r_s_180423_digitalisationpublicsphereanddemocracy_03.jpg

第二部ではより広い視座からの課題が設定された。ここでの議論の焦点は、こうした一見すると技術的に見える問題をどのように政治的なものとして引き受けることができるのかである。ホフマン教授は、活版印刷術の普及とナショナリズムの台頭を論じたベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体(Imagined Community)」の議論を発展させながらこのことを論じる。アンダーソンは活版印刷術とナショナリズムという技術的な要因と政治的な要因の相互作用を検討することで、いかに近代が形成されたのかを論じたことでよく知られる。そして、現在進行している「デジタル化」に関しても、他の構造的変化との関連で個々人の政治的生を捉える必要性があるというのがホフマン教授の提案である。報告者のような「デジタル・ネイティヴ」にとっては特に、デジタル化は必然的に生じた歴史的変化であるように感じられるのが普通だが、実際にはデジタル化は技術的に定められた必然的な方向性などではなく、偶発的に生じた大きな変動の一部でしかない。その上で政治的状況の変化は重要であり、政党から運動への移行、新たな政治参加形態の出現、トランスナショナルな市民権などの政治的要請において、どのようにデジタルメディアが活用されるのかということを改めて問題化しなければならない。政治においてメディア技術が重要なだけでなく、メディア技術の活用においても政治が重要な要素となっているというのが、講演会において最も重要なメッセージであった。

ihs_r_s_180423_digitalisationpublicsphereanddemocracy_04.jpg

報告日:2018年5月9日