「演習VI 鶴見研修」報告 高原 柚

「演習VI 鶴見研修」報告 高原 柚

日時
2018年7月18日(木)13:00 - 17:00
場所
理化学研究所・横浜市立大学大学院(横浜・鶴見)
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクトN「科学技術と共生社会」

本研修では、横浜・鶴見駅からバスで10分ほどの場所にある、国立研究開発法人理化学研究所横浜キャンパスと横浜市立大学大学院生命医科学研究科を訪問した。理化学研究所横浜キャンパスには生命医科学研究センターがあり、生命医科学分野の最先端の研究が行われている。横浜市立大学大学院は理研と同じ敷地内に生命医科学分野の研究科を置いて、若手研究者の育成を行なっている。

理化学研究所見学

まず理化学研究所を訪れて、昨年100周年を迎えた理研について、その歴史と現状を説明していただいた。
理研は、1917年に文京区本駒込に興った。その設立の背景には、「我が国も理化学工業によって国の産業を興そうとするなら、基礎となる純正理化学の研究所を設立する必要がある。」との考えがあった。1922年には、主任研究員制度(主任研究員に研究課題、予算、人事等の裁量権を与える制度)が採用され、研究者が自由に各々の課題に取り組む環境が整えられた。また、理研重工業や理研感光紙株式会社(現在のリコー)といった、理研での研究結果を応用する企業からなる理研コンツェルンも作られ、産業の発展に尽くすという当初からの目的の実践が図られた。

そのようにして日本を代表する自然科学の研究所としての確固たる地位を築いた理研だが、太平洋戦争では研究所が空襲の被害を受け、コンツェルンも解体される。その後再出発した理研は、和光、横浜、神戸など、全国10カ所の研究拠点を作り、現在でも「日本で唯一の自然科学の総合研究所」として日々研究が行われている。

現在の理研には12の研究センターがある。例えば生命科学研究センターには4つの部門があり、各部門に研究チームが所属するというトップダウン式の組織形態をとっている。実際の研究では、研究者個人の興味が軸となって進められるのが基本らしいが、20世紀末に国の方針で生命科学研究が盛んに行われたように、トップダウン式で研究が行われることもあるらしい。時によってトップダウンとボトムアップが組み合わせられている。

報告者は生産技術研究所という東大内の理系の研究所に所属している。そこでは教授や准教授、講師がそれぞれに自分の興味で研究をしている。彼らの研究室に所属する大学院生や研究生は、教授や先輩のプロジェクトに参加する場合もあるが、指導を仰ぎつつ個人の研究を行う学生も多い。全体として、研究はボトムアップで行われるのが基本である。教育機関の付属研究所である生産技術研究所と、国立の研究所である理研には、研究方針の決定方法に関して違いがあることを学んだ。

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理研全体の説明の後に、ヒトゲノム計画という世界的なプロジェクトへの理研の貢献についてレクチャーしていただいた。ヒトゲノム計画とは、1990年から2003年にかけて行われた、ヒト染色体の遺伝情報をすべて解読し、染色体のどこにどんな遺伝情報が書かれているかを明らかにしたプロジェクトである。その説明時に、プロジェクトを行なっていた当時のゲノムの解読機器と、現在の同機能の機器を見せていただいた。前者は2畳分ほどの底面積を持ち1.5mほどの高さがあるのに対し、後者の中でも最先端のある機種は大きめのUSBメモリくらいの大きさしかなく、15年ほどで目に見える形で技術が発展している点に驚愕した。

研究機器の必要面積が大きく変わると、研究所の建築の在り方も変わるだろうが、変化がそこまで早いと建築はどう対応するのだろうか? 建築を専門とする身としては、大変気になり、理研の方に質問した。すると、ヒトゲノム計画を行っていた当時はゲノム解読というデータの採取に時間と床面積が費やされていたが、その後解読技術が発達し、現在では膨大に膨れ上がったゲノムデータの分析に時間と床面積が費やされているとのことであった。この変化を受けて、以前は解読機器を置いていた部屋を、現在はサーバー室として使っているらしい。解読機器もサーバーも高度な空調設備が必要であり、部屋の流用がうまくいったのである。

今後さらに技術が発達すれば、研究に必要な床面積がますます小さくなり、世の中の研究所建築の減築が進むかもしれない。減築した空間は緑化されたり、今まで研究所と直接的に関係のなかった建物(例えば老人ホーム、運動場など)になるかもしれない。すると、それまでになかった空間との同居から、研究の在り方が変わる可能性もある。研究所の必要床面積の減少には夢が詰まっているなと感じた。

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横浜市立大学大学院見学

理研の後に、同じ敷地内にある横浜市立大学大学院を訪れ、分子細胞医科学教室の鈴木厚先生の実験室を見学させていただいた。引き続き「今日の生命科学の生命観」と題した講義を伺った。講義では、原子、分子、生体高分子、細胞、組織、、、という物質から生命への階層が示された。その中でも「細胞」が生命の基本単位であること、そして、その「細胞」を動かすために、人間は代謝などの生命活動を行なっていることが指摘され、「生命とは何か」「そもそも生きているとは何か」という生命科学の根本的な問いが考察された。

また、生命科学研究により、遺伝子が親から子へ受け継がれることや、遺伝子によって疾患が引き起こされることが判明したことで、疾患を引き起こす原因DNAを持つ者が「劣っている」というような、現代版の「優生思想」が生まれる危険性が高まっていることも指摘された。生命科学の結果だけを単純に社会に適用することが危険であること、そして、それを回避するために社会科学が重要であることが説かれた。

最後に、生命科学の発展により研究と医療技術の間に密な関係が形成された結果、「役に立つ」研究が必要以上に求められ、研究の幅が狭まる危機感が高まっていることや、経済的な利益が優先されて生命倫理が軽んじられている現状が指摘された。

生命科学の進化論を社会に単純に適用することの危険性と、その状況で発生する社会科学の意義についての言及は、建築史という、サイエンスと文系学問の狭間にある学問を志す我が身には特に深く響いた。最近、技術開発研究をする研究者にも研究の倫理的背景を考えることが強く求められている。とはいえ、それら両方について深く理解し自分なりの主張をすることは大変難しい。倫理も実際の研究と同じように学生のうちから考えるべき論点だが、実際には、自分で倫理を考えている学生は少ない。このような現状にあっては、建築史などの両者の中間に位置する学問分野が、両者の橋渡し役として重要な役割を果たしそうだ。私も、自分の研究を進めるにあたって、建築史の「技術の発展が持つ社会的・歴史的意味を見極め、社会に伝える役割」を意識しようと思った。

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報告日:2018年7月18日