宮崎県高千穂での哲学対話研修報告 宮田 晃碩

宮崎県高千穂での哲学対話研修報告 宮田 晃碩

日時
2019年2月22日(金)〜2月24(日)
場所
宮崎県西臼杵郡高千穂町
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」 教育プロジェクトH「生命のポイエーシスと多文化共生のプラクシス」

今回の研修では宮崎県高千穂町を訪問し、三日間にわたって哲学対話のファシリテーターや高校生の文章講座のチューターとして活動した。チューターとしての活動とあわせて、その背景となっている取り組みについて多くの方からお話を伺えたのも、今回の研修の大きな収穫である。以下研修の概要と学び得たところを記したい。

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一日目、二日目には高千穂高校での文章講座にチューターとして参加した。これは与えられたテーマについて、各々自分の言葉でエッセイを書けるようになる、という主旨のものである。ただしそこで目標とされているのは、単に記述の手法を学ぶといったことではなく、むしろ「自分で考える」ということ、「自分の言葉で語る」ということのレッスンである。これは梶谷先生が様々なところで実践していることでもあり、私自身教化されるところが非常に大きい。

今回定められたテーマは「人生で大切にしたいことは何か」というものであった。これは自分自身の思いを掘り起こすものでありながら、ある程度普遍的な話題でもある。「自分自身の言葉で、かつ人に伝わるよう説得的に書く」ということが目標になるのだが、これが簡単なようで難しい。それを実現するため、この文章講座では初めから一人で文章を書くのではなく、4人ほどのグループを組みいくつかの段階を踏んで取り組む。つまり自分の考えを書き出し、グループの人と意見を交換し、ということを何度か繰り返すのである。チューターは何かを教えるわけではなく、むしろ質問することによって考えを促す。「問い」を立てることによって考える、ということが肝心なのである。

一日目には70人以上の生徒が参加したが、二日目にはそのうち20人あまりが参加した。二日目は、一日目に作成したメモをもとに実際にエッセイを書き、それをチューターが添削、最後にはグループの中で互いにエッセイを発表する。ここで面白かったのは、添削の際にそれほど心を留めなかったものが、書いた本人によって音読されると、意外なほど生き生きと説得力をもって響き、グループの人もそれに聞き入る、ということであった。内容を大雑把に見れば、それほど驚くようなものではない。例えば友人を大切にしたいといったことは、ありがちと言えばありがちである。しかしそれが、「自分の大切にしたいことは何か」ということを各々問い、考えた仲間同士で話されると、「その人自身の考え」という性格を強く帯びるのだろう。実際に自分自身の言葉で書けた、ということでもあろう。そのようにして「自分で考え、それを表現できる」という感覚を持つことはなかなか得難い経験だと思われる。高校生たちの満足げな様子、互いへの敬意が印象に残っている。

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この文章講座は高千穂高校が主導したものというより、以前から五ヶ瀬中等教育学校と併せて関与してきたNPO「グローカルアカデミー」の活動を背景とするものである。高千穂郷・椎葉山地域の世界農業遺産への登録を受けて、どうすれば「地域と繋がった教育」が可能であるかという課題に取り組んでいるのであるが、こうした問題意識にとっても、まず地盤とすべきは、自ら問い、考えるという態度の涵養なのだろうと思う。とりわけ地方では、往々にして都市部との比較によってその土地の個性を捉えようといったことになりがちである。つまり、語り口がいわば中央集権化されるのである。そうした構図を変えていくためには、まず実際のところ何を経験し何を思っているのかということを、それが特殊であるか一般的であるかといったことは一旦措いて、言葉にしていく必要があるだろう。今回の文章講座はそうした目標も念頭に置いて設定されたものであったと思われる。

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二日目の午前中には、河内地区の旧田尻屋にて、哲学対話にファシリテーターとして参加した。ここは空き店舗になっていたのを地域の交流の拠点として活かしている場所である。「みんなでしたいことって何?」というテーマで対話をしたのだが、これには幅広い年齢層から、多くの人が集まった。「田原未来プロジェクト」の様々な取り組みについてもお話を伺ったが、地域の交流拠点として活かされているこの場所の役割は、とりわけ具体的な目標を定めてそこへ急ぐのでもなく、また解決すべき問題をあらかじめはっきり提示するというのでもなく、ゆるやかに集まり繋がりを深めていくということなのであろうと思われた。そうしたいわば時間の堆積のための場所としてこのスペースが働いていることを、私自身感じることができた。

実は、ここで生まれたアイデアがその後展開して、夏にかけて「謎解き」のイベントを準備し、実施することとなった。これに私はIHSの学生自主企画として関わっている。その実現へ向けて強く舵を取ったのがグローカルアカデミーの茨木いずみさんなのであるが、そうした機会を逃さない人の存在というのもまた不可欠であろう。

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三日目には「中高生のキャリアフォーラム」に参加した。その前半には高千穂町立上野小学校の田﨑香織先生によるセッション、後半には梶谷先生による哲学対話のセッションが設けられ、後半で哲学対話のファシリテーターとして参加したのである。田崎先生によるセッションは、「普段当たり前と思っていることが実は価値あるものである」ということを、高千穂出身で、現在世界を舞台に高千穂の農業遺産の広報活動などに携わっている田崎友教さんの活動を紹介するビデオ教材を通じて、考えさせるものであった。しかし「当たり前だと思っているものの価値に気づく」というのは、容易なことではない。そこで求められるのはたしかに一種の視点の転換、気づきであって、知識を享受することではないのだが、しかし「気づきましょう」といって気づけるものでもない。おそらくこの点にも、哲学対話のセッションを合わせた意義があるのだろう。つまり問いの態度を鍛えることが、まずは必要なのだ。このセッションでは、対話のテーマをそれぞれ提案してグループ内で決めたこともあり、自分自身の関心から、対話に真剣に向かう姿勢が印象的だった。

研修全体を振り返ってみると、特にテーマを定めて取り組んだというものではない。それぞれの場所で、解決すべき課題が明確に定められていたというわけでもない。私のしたことと言えば、それぞれの場所で、それぞれの言葉に耳を傾けていた、というのが実際である。しかしこういう時間こそが、そもそも何を目指すべきか、何が課題なのかということを考えるために、必要なのではないかと思う。哲学対話は専門的な知識を必要としないどころか、おそらく専門的な技能さえ必要としない。これは一種の「発声練習」であると、ある人は言っていた。言い方を変えれば、我々はただ声を出し、互いに話をするためにも、練習が必要なのだ。どのような場面で、どのような声の出し方が効果的なのか、どのようにその声を別の場面へ響かせるのか等、さらに考えるべきことはある。そのことを考えるためにもまず、互いに耳を傾けるということから始めねばならないのだと思う。

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報告日:2019年8月20日