清華大学=東北師範大学=成均館大学校=東京大学合同カンファレンス “East Asia Examined: Graduate Forum by Students from China, Korea and Japan” 報告 高原 柚

清華大学=東北師範大学=成均館大学校=東京大学合同カンファレンス “East Asia Examined: Graduate Forum by Students from China, Korea and Japan” 報告 高原 柚

日時
2019年1月12日(土)〜14日(月・祝)
場所
東京大学駒場キャンパス18号館コラボレーションルーム3、コラボレーションルーム1、8号館207ほか
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクトH「生命のポイエーシスと多文化共生のプラクシス」

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概要

本企画では、12日(土)と13日(日)の二日間に亘って、清華大学、東北師範大学、成均館大学校、そして東京大学の大学院生総勢19名が各自の研究内容を持ち寄って発表し、各校の教員と一緒になって東アジアの社会的課題や展望を考え話し合った。14日(月)には靖国神社と遊就館へのエクスカーションを実施し、実際に自分たちで見て感じたことを元に再び議論した。

発表者は、清華大学から3名、東北師範大学から3名、成均館大学校から6名、東京大学から7名であり、各大学から教員も数名ずつ参加した。筆者のような研究を始めたばかりの修士1年の学生から、実績を重ねてきた博士課程の学生までが参加しており、非常に多様な発表が行われた。

発表とディスカッションだけでなく、エクスカーションや土日ともに設けられた夕食の席などで参加者同士の交流も行われ、フォーマルな場、インフォーマルな場両方でのコミュニケーションによってより深い相互理解が進んだ。

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一日目、二日目に行われたカンファレンスの様子

まず、東京大学大学院総合文化研究科教授の林少陽先生、中国清華大学人文社会科学学院教授の王中忱先生、東京大学教養学部副学部長の高橋哲哉先生から開催のことばが述べられ、このカンファレンスの趣旨が確認された。高橋哲哉先生は、東アジアの学生が東京大学教養学部のキャンパスという場所に集まって合同フォーラムを行うにあたって、思い出して欲しい言説、または思い出してみるべき言説として、植民政策学者で東京大学教養学部の初代学部長であった矢内原忠雄の1937年の論文「国家の理想」より、弱者の権利を強者の抑圧から守ることが正義であるという考え方を紹介し、本企画の拠り所の一つの可能性を提示した。

その後、二日間に亘って総勢19名の学生による発表がセッション形式で行われた。テーマ毎に分けられた3~4つの発表からなる6つのセッションでは、各学生によって20分間のプレゼンテーションと5分間の質疑応答が行われ、セッション内の全てのプレゼンテーション後には45分間の全体的なディスカッションの時間が設けられた。各日の終わりには各大学の教員により、一日の総括が示された。

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各発表内容は、現代日本の移民に関するものから漫画に見られる女性表象についてまで、社会学、文学、メディア論など多岐に及んだ。上述の「開催のことば」に引き続いて行われた一日目の午前中のセッションでは、日本の不正規移民問題や在中朝鮮人、日本の自己愛を強調する風潮についての発表が行われ、国民国家とは何か、誰がそこに含まれていて誰が含まれていないのか、人々は国民国家をどう捉えているのかなど、ナショナリズムや所属意識に関する多角的な議論が行われた。この議論からは、これらのトピックが、入国管理法の改正法が成立したばかりの日本において非常にアクチュアルなテーマであるだけでなく、国民国家成立以前からのヒトとモノの交流によって複雑かつ独特な関係性を築いてきた「東アジア」という地域にとっての普遍的なテーマであり、常に考え続けるべき問題である、という論点が浮かび上がってきた。本議論を受けて一日の終わりの総括では、「階級という概念の復活はあるのか?」「ナショナリズムの対概念は何か?」「ナショナリズムという西洋的概念を東アジアに当てはめることをどう考えるか?」など、現代の社会の成り立ちを根本から見つめ直す問いが投げかけられ、矢内原忠雄が残した言葉に応じるようなディスカッションが行われた。「弱者の権利を強者の抑圧から守る」というテーマは、これ以後のセッションでも「障害者アート」というトピックなどでスケールを変えて展開された。

二日目には、文学やメディアについての分析など、社会現象としての文化という観点から東アジアの現在を考察する発表が多数行われた。学問分野、対象ともに多岐に亘るため、なかなか包括的な議論をするのは難しかったが、全体として実感されたのは、「東アジア文化圏」という文化的な類似性と異質性を同時に持つ広がりが存在しているということと、その文化圏に属する者同士による議論が綿密な比較分析を可能にし、結果として研究対象の微細な特徴を浮き彫りにするということだった。そのように行われた議論は、各々の文化の特徴を示すものであり、相互理解を進めると共に、自らの文化を見つめ直す機会も提供していた。

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遊就館へのエクスカーション

二日間のカンファレンスを終えて、最終日には靖国神社・遊就館へのエクスカーションが行われた。エクスカーションに先立って、午前中には東京大学大学院総合文化研究科の矢口祐人先生と、同じく総合文化研究科の小森陽一先生による事前講義が行われ、ミュージアムとしての遊就館の特殊性や、軍事国家の幻想装置としての靖国神社の歴史的位置付けなどが詳しく語られた。この事前講義で靖国神社を取り巻く問題の根本が共有され、靖国神社と遊就館を考える観点が提示されたことで、午後のエクスカーションでの学びの準備をしっかり行うことができた。

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午後には電車移動を経て靖国神社を訪れた。正面の大鳥居から境内に入り、灯篭が並ぶ参道を通り抜け、大村益次郎像を見ながら神門をくぐって拝殿に至った。当日は成人の日でもあったので、振袖を着て参拝する参拝客もいた。その後拝殿の北側にある遊就館を訪れ、各々2時間程度をかけて展示を見学した。

エクスカーションでは各々さまざまな思いを抱いたが、それについて議論もしながら一旦東京大学本郷キャンパスの東洋文化研究所に移動し、その会議室でフェアウェルディスカッションと称してまとめの議論を行った。

筆者は靖国神社に少し立ち寄ったことはあったが、遊就館は初めての訪問だった。展示は、遊就館の解釈による歴史叙述が展示されたいくつもの部屋を通りぬけたのち、最後に靖国神社に祀られている「英霊」の遺書や遺族の言葉が壁一面に並べられている部屋を通って終わる構成だった。私はその歴史叙述の恣意性と、展示構成による印象操作の激しさ、そしてこのようなメッセージ性の強い空間が日々自分も暮らす都市の中、しかも神社という日本人にとってある程度身近な空間の中に、一定の存在感を伴って存在しているという事実に面食らい、しばらくの間それをどう語っていいのか分からなかった。この言葉を持たない状況は、驚きの内容は違えど他の学生も同じだったと思う。しかしこの割り切れぬ思いは、本郷キャンパスに向かうまでに他の学生とお互いの印象を伝え合い、最後に全体でフェアウェルディスカッションを行ったことで客観的な言葉に落とし込めるようになった。フェアウェルディスカッションでは、日本人、中国人、韓国人それぞれの立場からの素朴な感想が共有され、靖国神社をめぐる問題が多角的に捉えられた。また、靖国神社そのものだけではなく、靖国神社に対するそれぞれの思いは決して国籍に帰するものではなく、世代ごと、そして個人の記憶によっても様々であるということが共有されたお陰で、カンファレンスで考えたナショナリズムや所属意識の問題を議論することの難しさを実際に感じるディスカッションとなった。

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おわりに

本カンファレンスのようなイベントに参加するのは使用言語に関わらず筆者にとって初めての経験であった。また、筆者は工学系研究科に所属しているのでそれぞれの発表内容にもあまり馴染みがなく、正直なところ参加自体がかなりチャレンジングであった。しかし、多少無理をしてでも参加してよかったと強く思う。様々な研究方法を知ることはその研究分野に関わらず参考になるし、なにより、学生・教員に関わらず、参加者が自分の考えに基づいて発言し議論を豊かにしていく場の熱と勢いを感じられたことが良かった。私は今回それがうまくできず、圧倒されるにとどまってしまったかもしれないが、今後もこのような議論に参加するために専門を越えて様々なことを勉強していこうと強く感じた。

また、ナショナリズムに関する議論についての見識を、読書や講義の形ではなく、実際に異なる文化を持つ人の意見を聞きながら、さらにはエクスカーションでの身体体験も伴って、深められたのが、非常に貴重で学びの多い経験であった。ナショナリズムなどのトピックは、恥ずかしながら、専門との遠さから自分とは縁遠いテーマであるような気がしていたが、それは全く間違いで、国民国家のシステムや意識は社会生活の基盤となっているものなので、社会に属している限りはその構成員一人ひとりが考えるべき問題である、とあらためて実感する機会になった。この意識のもと、研究や自分の暮らしを営んで行きたい。

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