五ヶ瀬中等教育学校での哲学対話研修 報告 須藤 美恵

五ヶ瀬中等教育学校での哲学対話研修 報告 須藤 美恵

日時
2018年9月5日(水)〜7日(金)
場所
宮崎県立五ヶ瀬中等教育学校およびその周辺
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクトH「生命のポイエーシスと多文化共生のプラクシス」

阿蘇くまもと空港に降り立ち、五ヶ瀬を目指す延岡行きバス、たかちほ号に乗る。1日に2本しかないそのバスはほぼ満席の状態であった。空港からやや北上して南阿蘇を通過し東に向かい、高森から南下して熊本と宮崎の県境を行く。カルデラの開けた田園から、次第に狭い山間の棚田へと窓枠の風景は変わっていった。馬見原から再び東に折れて、県境を超えると五ヶ瀬町に到着した。平均標高620メートル、涼しい風が吹き、くまもと空港の熱気から逃れてきたようだ。人口3,927人(平成30年7月31日現在)、世帯数1,590人、町の総面積171.77 km2そのうち約88%を森林が占める。

五ヶ瀬中等教育学校は、五ヶ瀬町役場から車で4分、丘陵地を切り開いてもともとあった学校の敷地を建て替え、平成6年に全国で初めての中高一貫学校として開校した。少人数指導、ファミリー制度を特徴とし、平成26〜30年度には、文部科学省指定のスーパーグローバルハイスクールに認定され、「五ヶ瀬から世界へ 世界から五ヶ瀬へ」を合言葉に、中山間地域からグローバル・リーダーを育成する課題研究への取り組みが行われている。今回、報告者がアシスタントとして参加した哲学対話の講義および実習は、このスーパーグローバルハイスクールのプログラムの一環として1年に1回実践されており、今年で5回目の開講となった。

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中高一貫のこの学校の生徒たちは、問題解決能力、思考力、判断力などの適正をみる試験と作文・面接試験を経て、1学年40人の狭き門を突破して宮崎県全域から集まってきた子どもたちである。クラスは学年ごとに1年生〜6年生(=高校3年生)と呼び、中学を前期過程、高校を後期過程として6年間を見通した独自のカリキュラムの中で学習している。それだけでなく、全寮制であるこの学校の生徒たちは、入学と同時に実親元を離れて入寮し、携帯電話やゲームの持ち込みが規則で禁止され、テレビの視聴も制限された山あいの里で、ファミリー制度という学校システムの中で第二の家族をこの6年間で形作ってゆく。各学年1人または2人から成る7人または8人の兄弟・姉妹の班を作る。それそれの班には担当の教職員が1人ずつ参入し、「パパ」「ママ」となる仕組みだ。この組み合わせは、教職員以外は6年間変わらないのだという。こだま寮と呼ばれるその第二の家族の母体となる場所は、学校の敷地内に校舎と隣接しており、徒歩数分の距離である。そこには、ハウスマスターと呼ばれる学校の職員6名と宿直者3名が夜間も指導・相談を受け付けている。ハウスマスターとなる職員は、家族と一緒にこだま寮の一角に住み込みをし、職員だけでなくその配偶者も生徒たちのケアにあたる役割を引き受けている。

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そのような生徒と教職員たちの暮らしと学びの空間に、突如として闖入した大学院生4人。毎年度研修を開催している梶谷真司氏は馴染みきっている様子であるが、初めての場所に踏み込みキョロキョロと辺りを見回す大学院生たち。そんな光景にも奇異の目を向けることなく、存在を見るや否や「こんにちは」と澄んだ声で挨拶をくれる生徒たち。雑踏でひとたび立ち止まれば、顔のない通行人にぶつかってよろける、そんな東京から来た者には非常に新鮮に感じられる。広々とした廊下や食堂。報告者自身の記憶にあるよりも高い学校の天井と、木造建築の木の香りがいっそう清々しい気持ちを誘った。このような生徒の振る舞いは、基本的生活習慣を重視するという寮の生活で鍛えられるのか、世界にひらかれた学校の教育方針が功を奏しているのか、はたまた宮崎の県民性なのか。学校食堂独特の使い古した薄緑のプラスチックお盆に載った給食と、美味しい牛乳を頬張りながらふと、問いが頭をよぎった。

すっかり午後になり、給食を食べた生徒たちは掃除に取り掛かるのである。そういえば、掃除の時間ってあったな、と庭を掃く生徒たちを見ながら思う。中庭もまた、広々としたものだ。個々の建築や人と人との間にある距離が、程よく調和していると生まれる心の余裕はなんだろうか。校内の植木や桜の幹にはざっとみて5〜6種の地衣類がびっしりと隙間ないほどに密集していたが、人と建物の間には余裕がある。大気汚染の影響を受けやすい地衣類が姿を消し、人ばかりが密集する東京とは正反対だ。そんなことを考えているうちに、午後の講義の時間がやってきた。

「哲学対話 & ファシリテーション」がまず、4年生のクラスで行われた。「哲学対話とは」という講義に引き続き、4人ひと組の質問ゲームを経て、36人が3グループに別れて円になり、椅子に座って脚をつき合わせる。参加者ひとりひとりが関心のあるテーマを持ち寄り、その中から今回の対話の中心になるテーマ設定を行う。私が参加したひとつのグループでの対話をここで振り返ってみる。 

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テーマ:人はどうして刺激を欲するのか

刺激の種類についての話題が最初のトピックとなった。「辛さ」などの味覚刺激、「釣り」や「音楽」などの「楽しいからまた求めたくなる刺激」「漫画を読む」「小説を読んでおーと感動する刺激」「ジェットコースターなどに乗りたい人の気持ちがわからないがそういう刺激を求める人がいる」、などの発言があり、最初は日常行動や余暇行動に類する刺激について話をする生徒が多かった。「刺激ってそもそも何か」というという問いも浮き上がり、数人の生徒が一人の生徒に定義を求めて聞くという場面があった。そのうち、刺激の種類についての話に及び、「身体的感覚刺激、感情的刺激、霊的刺激など、いろいろあってもいいのでは?」という問いが浮上し、一瞬の沈黙のあと、ひとりの生徒が手を挙げた。「教会に行って賛美歌を歌う、その歌の歌詞が自分に与えてくる刺激はどんなものだろうか?自分は過去の辛い体験の影響からその刺激を欲している」、ということを話してくれた。しばらくの沈黙が流れた。ポジティブな刺激内容で進んだ始めの対話の流れは、ここで沈黙という形で変容を遂げたように報告者は感じた。普段の会話ならば、重い空気を作ったり、周囲には共感できにくい話題を持ち出したりすることは、ネガティブな評価を受ける可能性がある。しかし、哲学対話は価値判断を保留にする装置である。しばしの沈黙のあと、ファシリテーターを引き受けた生徒が、「嫌なことを消すために刺激を求めるということもあるのではないか」と発言した。そこから思考が一段階開いたような報告者の体感とともに、さらに対話の流れが変化した。軽くうなずいたり、身動きしたりという反応が生徒たちの輪の全体にみられた。そこからタバコやアルコールへの依存や嗜癖行動へ話は及び、行動から刺激に至るプロセスについて語る生徒も出始めた。内容が複雑化していき、それに対する質問がさらに別の問いを生み出し、哲学対話はこのように機能するのだと、報告者は輪の中で実感を得た。なかには集中が切れてうとうとしている生徒もいたが、ほぼ皆が、聞いている。発言をしない生徒も、何かの瞬間に身体が頷いている。小さな沈黙が流れた瞬間に誰かが手を挙げる。対話終了の最後の頃には、「刺激の主体が人間でなく動物だったらどうなのだろう?」という問いも出た。「チンパンジー」「ボノボ」「とっとこハム太郎とハムちゃんず」の話。話題の主体が動物になると、種という集団行動への話へ展開し、その種が形作る社会状況(例:ハムスターのカゴ)や、同種の間で共有される刺激と異種が混ざった環境で生まれる刺激とは何が違うか、など、始まりからは想像できない、それ自体とても刺激的な話題の深まりを見せた。進行役を務めた生徒は、最後の感想で「みんなすごかった」と言ったが、それは単に話題が思いがけない深まりを見せたということだけではなく、「対話」という方法が作り出す協働のダイナミクスをつぶさに感じたためではないかと思う。

ただし、このような濃厚な対話の時間が生まれたのは、この学校の生徒たちが生活という強固な基盤を通じて、すでに対話の経験をもっていたことも大きな要因であったと感じる。今回5回目であるこの哲学対話の研修であるが、実は生徒たちは、すでに研修を受けた上級生の要請によって、寮の自治の中で哲学対話実践を経験していたということである。何か話し合いたい議題が上がると、生徒は「パパ」や「ママ」である教職員に、哲学対話をしたいという持ちかけをしてくることがあるということで、哲学対話という装置を彼らは積極的に活用していたのである。普段の生活では規範や価値意識が作用して話しにくいことを、対話を通じて率直に話し合うことの効用を、生徒たちは直感的に見抜いて柔軟に取り入れていた。そして、実はその影響を如実に受けて変容を受けたのは教職員であったという現地先生方のご意見を伺いながら、実は子供よりも大人たちが、変わるためのきっかけを奥底で求めているのではないか、と報告者は感じたが、こうして生活コミュニティに波及効果を及ぼす対話的アプローチの可能性について、今後考察をより深めていきたいと思う。

今回のような貴重な体験を手配し、意見交換をしてくださった関係各所の教職員の皆様、共に哲学対話の時間を共有してくれた生徒たちに、心より感謝を申し上げたい。

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報告日:2018年9月20日