松嶋健先生講演会「〈差異〉を耕す──イタリアの地域精神保健とスローフード運動の思想」報告 山田 理絵

松嶋健先生講演会「〈差異〉を耕す──イタリアの地域精神保健とスローフード運動の思想」報告 山田 理絵

日時
2015年7月6日(月)16:50-18:35
場所
東京大学駒場キャンパス101号館2階研修室
講演者
松嶋健先生(国立民族学博物館) ※当時。現広島大学大学院社会科学研究科准教授
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト2「共生のプラクシス──市民社会と地域という思想」

2015年7月6日、国立民族学博物館の松嶋健先生に「〈差異〉を耕す──イタリアの地域精神保健とスローフード運動の思想」というタイトルでご講演いただいた。松嶋先生は医療人類学をご専門とされ、イタリアの精神医療において脱病院化が推し進められてきた背景について、フィールドワークを中心とした調査によってご研究をなさってきた方である。本講演は、イタリアで起こった2つの「運動」──精神病院廃止運動とスローフード運動──のご紹介があり、それらを「ものの差異を耕す」というキーワードで読み解いていくという内容であった。松嶋先生は、「ものの差異を耕す」ということの意味を、〈自らの身体を使いながら、試行錯誤しつつ、身体とものとの関係を不断に微細に調整しながら行為することである〉とおっしゃった。そしてその行為を、松嶋先生は、「本当の仕事をする」という言葉で置き換えられていた。では、「本当の仕事をする」とはどういうことであり、この考え方が2つの運動にどのように関わっていたのかということについて、ご講演の内容を振り返りながらまとめてみたい。

精神医療の特徴は、病気の治療が必要だと医師が判断した場合には、それを患者が拒んでいたとしても、強制的に患者を治療環境下におかなければならない状況がしばしば発生するということである。わたしたちは日常生活の中で、身体の不調が生じたり病気だという診断をうけたりしたら、多くの場合医師に治療を求めるだろう。これに対し精神疾患の患者の場合、医師が「あなたは病気だ」と言っても、そのことを認めず、治療を頑なに拒否することがある。こうした患者の状態のことを、精神医療では「病識の欠如」という。このように、精神医療では「患者自身が治療を望まずとも、その周囲の人々(医師、家族、友人)が治療を望む」という状況がしばしば起こるのである。したがって、精神医療について定めた法律を持つ国や地域では、「強制治療に関する規定」を設けてきたのだ。イタリアでは1904年に、精神疾患患者の存在から社会を保護し治安を維持するという目的のもと、「法律36号」が制定された。こうした法律が実際に運用される「場」は、主として精神病院である。18世紀末~19世紀前半は治療装置としての側面が強かったイタリアの精神病院は、イタリア統一以降になると主たる機能が患者の「隔離の場所」になったという。

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このように、専門家が治療への強制力を発動せざるをえない状況が発生する精神医療の特殊性と、患者を隔離することが主たる機能となっていた当時の精神病院の関係性に着目したのが、精神科医のフランコ・バザーリアであった。バザーリアは、〈精神疾患という「病気」の現実性を支えているのは、精神医学の知の制度と精神病院という施設である〉ということ、〈問題の所在は、精神病院という施設を必要としたイタリア社会にある〉ということを考えた。そうした状況を憂えたバザーリアは、既存のイタリア精神科医療の制度に揺さぶりをかけること──すなわち、精神病院をこわすことによって空間の内外の境界をかく乱すること──によって、社会を「問題」そのものに直面させようと考えたのであった。バザーリアの働きかけにより、1978年に「法律180号」が制定され、イタリアの精神病院は廃止されることになったのである。

「法律180号」が制定される5年前、入院患者による統一労働者社会協同組合が精神病院のなかに作られた。精神病院をこわせば、そこで暮らしていた患者たちも、新たな環境にさらされることになる。このイタリア精神医療の転換期に、入院していた人々にとって重要だったのは、「患者」から「労働者」への位置づけの転換であった。ただし、労働組合がつくられる以前に、患者が「仕事」をしていなかったわけではない。1971年当時、約1200人の入院患者が、病院の環境整備の仕事をしていたという。また、「作業療法」という治療法があり、患者は仕事に似た作業をすることによって日常生活のリハビリをすることもあったのだ。しかし、これらの「仕事」は「仕事のような作業」であって、「本当の仕事」ではない。松嶋先生は、彼らにとって大切なことは、患者の義務としての仕事をするのではなく、働く権利をもつ人間として仕事をすることであった、という趣旨のことをおっしゃった。

「本当の仕事をする」ということは、イタリア精神医療転換期を読み解く鍵になるばかりではない。「本当の仕事をする」=「ものの差異を耕す」=〈自らの身体を使いながら、試行錯誤しつつ、身体とものとの関係を不断に微細に調整しながら行為すること〉という観点から、同じくイタリアにおけるスローフード運動を読み解くと、個々人がある領域で「本当の仕事をする」ことによって、その社会における構造に働きかけることが可能になるということが分かる。スローフード運動の場合は、味覚という身体感覚と食品との間の差異を調整する個々人の行為が、やがては食物の問題にとどまらず、生産様式、社会関係、生態システム、エネルギーなどの事柄へと働きかけ、構造的な問題を変化させようとする政治運動として確立したのであった。イタリアにおける地域精神保健の運動を推し進めた思想において重要であったことは、科学的医学や科学技術、そして「科学的な」ものの捉え方に埋もれてしまいがちな「身体感覚」の再評価であったといえよう。

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