東北津波被災研修「香港中文大学と考える東日本大震災からの復興と共生の市民社会」報告 高邉 賢史

東北津波被災研修「香港中文大学と考える東日本大震災からの復興と共生の市民社会」報告 高邉 賢史

日時:
2015年6月6日(土)〜6月7日(日)
場所:
仙台市若林区や亘理郡山元町などの津波被災地
主催:
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト2「共生のプラクシス──市民社会と地域という思想」
共催:
香港中文大学

2015年6月6日、7日両日に行われた東北津波被災研修に参加させていただいた。本研修はIHSの教員、学生だけでなく、香港中文大学から日本に視察に訪れている教員、学生の方々と共に被災地を巡る点が特徴的である。

はじめに我々が訪問したのは、仙台中心部にある一般社団法人MAKOTOである。震災後に発足したこの組織は、東北地方の起業家育成や起業後の支援に取り組んでいる。オフィスでは代表理事である竹井氏から、MAKOTOの理念や震災後の東北地方における起業の広がり、また組織としての将来の目標を伺った。資金の確保は起業における大きな課題である。震災後の起業においてはMAKOTOのようなインキュベーターの支援や、クラウドファンディングによる調達が盛んであるとのことであった。名前の由来でもある「誠」を熱く語る竹井氏と香港中文大学の学生の方々の反応が印象的であった。

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次に訪れたのは、亘理郡山元町のいちご農園株式会社GRAである。この企業は山元町で盛んだったいちご栽培に着目し、東京で活動していた出身者を中心に設立された。GRAが一般的ないちご農家と異なるのは、温室内におけるいちごの育成条件を機械的に管理している点である。これにより山元町で長年培われてきた栽培ノウハウを基本に、外部環境の変化に応じて育成条件を調整している。また、育成条件の改善策を対照実験的な手法で探索し、科学的に品質の向上に努めている。農業への科学技術の導入により独自のブランドを確立し、さらに海外での栽培や現地の新規就農者支援に活用する試みは報告者にとって新鮮なものであった。

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1日目の最後に訪れたのは、仙台市若林区荒浜地区にある浄土寺である。荒浜地区一帯は仙台市において津波被害が最も甚大であった地区の1つであり、津波の映像がリアルタイムでテレビ中継されていたと記憶している。浄土寺周辺は条例により災害危険区域に指定され住居のための建築が禁止されている。そのため、浄土寺の周辺には道路と家の基礎部分だけが残存している非日常的な光景が広がっていた。その中で1軒だけ存在するプレハブハウスが浄土寺の仮設本堂である。浄土寺の住職である中澤氏からは、被災時の状況や寺の移転に関する様々な問題に関してお話を伺った。

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2日目はせんだいメディアテークを見学した。7階建ての建物は開放感に溢れたデザインとなっており、図書館としての施設だけでなくスタジオやギャラリーも兼ね備えている。ここではキュレーターの方から、メディアテークの意義と被災時の状況、さらに震災後の取り組みについてお話を伺った。急速に進む情報化の中で、震災の記録は電子データとして大量に収集、蓄積されている。その一方で、メディアテークでは人々の震災の記憶を引き出すことに注力しているように感じられた。定期的に震災に関連したテーマで市民間の哲学対話の場を設けていることはその1例である。また、東北地方のミュージアム間の連携など、各所が保管している記録、記憶をどのように発信するかについての説明は刺激的であった。

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以上、今回の研修内容を順にまとめてきたが、これらを一言で要約するならば「市民による復興とその課題」となるのではないだろうか。震災からの復興には行政の支援が必要なのは言うまでもないが、一方で市民自らが復興に参画することも欠かせない要素である。例えば、被災した個人が起業の意志を持っても、それを実行に移すことは容易でない。東北地方の起業家数が600人を超えるまでに増加したことは、公的支援のみならず起業家自身の高い志とクラウドファンディングのような(東北地方以外も含めた)市民の支援によるものであろう。

一方で、津波災害の性質上、浄土寺のように被災以前への復元という意味の復興が許可されない事例も存在する。長年親しんできた土地から離れなければならない辛さは察するに余りあるが、香港中文大学の学生が発言したように「復興をimprovement(改善)」としなければならないはずである。

また、復興と共に震災の記録や記憶を如何に扱うかという課題が残されている。先に述べたような膨大な電子的記録をアーカイブ化し、震災を体験していない人々と共有すること自体には意義があると考える。しかし、それだけでは震災を体験した人々への還元が表面的、限定的なものに留まってしまう。ディスカッションで指摘されていたように、例えば追体験による被災者の方々のトラウマに対する記憶の書き換えといったより積極的な利用法は存在するのだろうか。このような問いは今後慎重に模索されていくべきであると考えている。

香港中文大学の学生の方々とは震災や復興というテーマ以外にも様々なことを話し合うことができた。特に、昨年香港で起きた雨傘革命に関する議論は興味深いものであった。1国2制度のため行政的には返還前後でそれほど変化のなかった香港では、従来香港人としてのアイデンティティが希薄であったという。しかし、今回の運動を契機として人々に独自のアイデンティティが芽生え、その熱狂が運動を「革命」とまで呼ばれる規模に拡大させた、というのがその概略である。東北地方における市民による復興も香港の事例と同様に、ある種の帰属意識または共感への刺激が原動力になっているかもしれない。そして、共感を刺激された人々は被災者の方々、(初め2か所の設立者のような)上京した出身者の方々、そして我々や海外の人々といった様々な階層をなしているのではないだろうか。帰り際に市民グループの演奏──折しも「とっておきの音楽祭」という市民参加型の音楽フェスティバルが開催されていた──に圧倒されつつ、市民のもつ力について考えさせられたのであった。

最後に今回の研修でお世話になったすべての方々に厚く御礼申し上げます。