福島プロジェクト報告 藤井 祥、菊池 魁人、崎濱 紗奈

福島プロジェクト報告 藤井 祥、菊池 魁人、崎濱 紗奈

日時
2014年6月21日(土)13:00-17:00、6月22日(日)10:00-12:00
場所
福島県福島市「働く婦人の家」、福島県郡山市福島復興心理・教育臨床センター
講演者
中島隆博(東京大学)、橋本和典(国際基督教大学)、蟻塚亮二(なごみクリニック)
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト2「共生のプラクシス――市民社会と地域という思想」
協力
福島復興心理・教育臨床センター、PAS心理教育研究所、ハーツ・フォー・ふくしま・キッズ

藤井 祥

本プロジェクトは2014年6月21日から22日にかけて、科学と哲学、そしてそれらの地域社会との関わり方について、IHS教員・プログラム生が福島に赴いて地元の高校生・中学生と対話し、ともに考える目的で企画された。報告者(藤井)は事情により1日目(6月21日)のみ参加し、東京大学の中島隆博教授の講義「近代の科学と哲学について」およびその後の討論、国際基督教大学(ICU)の橋本和典准教授の講演「震災後ストレスの気づき方と対応」に出席した。

6月21日のプログラムは、ハーツ・フォー・ふくしま・キッズの事務局長ニッセンひろみさんのご協力のもとに行われた。日程上の問題のためか福島の中学生や高校生には来ていただけなかったものの、IHS関係者だけでなく、ICUの学生2名と福島在住の方(以下Aさんと記す)が中島教授の講義に参加してくださった。また後半の橋本准教授の講演からは、橋本准教授のお知り合いの福島の方2名も加わられたことで、全体として非常に有意義な対話となった。

中島教授の講義では、宗教(哲学)と科学の行き詰まりをうけ、宗教によって科学を人間社会で役立てることや、科学による宗教の昇華が20世紀を通して模索されてきたことを俯瞰した。さらに、人間の役に立つ科学とは何か、本当に科学は人間の役に立つことができるのか、について議論した。報告者にとってとくに印象的だった点は以下の2つである。1つ目は、Aさんのおっしゃった、「我々は科学技術の進歩によって死ぬはずのところを生きながらえることができるが、なぜそこまでして生きなければならないのか」という疑問である。本来、より長く、快適に生きたいという欲求のために科学技術が発達するはずなのに、手段が目的を強制するようにとらえられていることに驚かされた。2点目は中島教授の「怒り」という言葉である。ICUの学生の方が、「私たちの周りには原発問題や環境問題といった科学技術に起因する問題が多数あるが、対処方法が分からず諦める風潮があると感じる」と発言されたのに対し、中島教授はまず、「諸問題の発生を眺めながら何もできなかったという後悔がある」と答えられた。次いで報告者が、「それらは我々にとって生まれる前から存在する問題で後悔できないが、どう考えればいいのか」と尋ねると、「それでも『怒り』はあるはずだ。それが我々を動かすのだ」おっしゃった。報告者はそれまで「怒り」についてあまり考えたことはなく、むしろ悪いものだと捉えていた。それは実のところ、社会の問題を解決したいと漠然と思いつつ、本当は諦めていたということではないか。「怒り」が何かを解決するわけではないが、解決に向かわせる原動力になる。解決方法を論じるだけでは、解決を目指す理由が分からなくなり、諦めに繋がってしまう。1点目と関連づけて考えると、目の前に存在する問題に対する強い「怒り」が、変革や生産の動機となり、そういった闘争的な過程の中に身を置くことが、生きなければならないという強迫観念から逃れる方法の1つになるかもしれない。

福島プロジェクト報告 藤井 祥、菊池 魁人、崎濱 紗奈

後半の橋本准教授の講演は、フロイトの自我と超自我についての基礎的な理論を示された印象であった。また、心理療法の基本は、トラウマや精神的問題を抱えた人が、心の言葉を聞いてもらえるという環境を作ることであるが、どのようにしてそれを実現するかという段階に難しさがあるように感じた。さらに、イドから湧き上がるもの(上の「怒り」に対応する)がうまく生産に結びつくことが、抑鬱状態の改善につながりうるという点も、改めて認識させられた。この場合も同様に、生産に結びつける方法が問題となるのではないだろうか。

報告日:2014年7月4日

菊池 魁人

以上の藤井さんの報告に加えて、私は別の視点から報告してみたい。中島先生の講演では、西田幾多郎に始まり、20世紀の日本、中国、そして欧米の哲学者たちの科学と宗教の関係に関する思想が紹介された。西田は実在の説明に科学的知識欲求の満足とともに情意の欲求が必要だとし、科学と哲学の融合こそが神という「唯一の統一力」を持った機関を創出すると説いた(西田自身は晩年にこの融合を諦めるような発言をしている)。中国では、第一次世界大戦後の欧州を視察した梁啓超が西洋文明の結晶である科学の行き過ぎを憂い、それを東洋文明的宗教(唯識や禅)をもって中和するべきだと提言する一方で、胡適が国内に蔓延する迷信を科学で払拭し、個人的な合理性を人生観の中心に据えた科学宗教を樹立するべきだと言う。欧州では、アインシュタインがフロイトに戦争がなぜ起こるのか問い、対してフロイトは戦争は本能的な欲求(破壊衝動)によって起こされるのであるから、文化の発展を促して生の衝動を喚起することで破壊衝動を中和し、戦争を終焉させることができると返事をしている。それを受けてアインシュタインは科学と宗教が本来車の両輪のような関係であり、その間にある紛糾の源泉は砂漠の三宗教に代表される人格神の存在だと看破した。最後に宮沢賢治の「農民芸術概論綱要」が紹介され、中島先生が引用した「宗教は疲れて近代科学に置換され 然も科学は冷たく暗い」という一節が深く印象に残った。

講演に続いて参加者の間でディスカッションが行われた。西田とアインシュタインが提示した知識と感情の対立に関連して、IHSプログラム生から沖縄の基地問題や福島の原発問題への「体と心の底から沸き上がる拒絶反応」の存在と、それに対して「非合理的」「サヨク」「ヒステリー」などのレッテル貼りによる抑圧が行われているという指摘があった。科学を運用する人間は感情的な存在である以上、科学と感情は不可分な関係にある。しかし、往々にして科学の問題について語る際には感情を排除するべきだという風潮があり、それが被害者の内面を歪めているということだ。

福島プロジェクト報告 藤井 祥、菊池 魁人、崎濱 紗奈

続いて福島復興心理・教育臨床センターの橋本和典先生による精神分析学のセッションが行われた。橋本先生は福島における感情面でのケアに携わってきたということで、上述した合理性/非合理性の兼ね合いと関連して興味を惹かれた。

橋本先生のセッションが終わると、本日の宿である「工房おりをり」へ向かった。工房おりをりはニッセンさんのご友人の鈴木美佐子さんが、絹から糸を紡ぐ「手紡ぎ糸」を福島の手仕事として伝えていくことを目的として運営されている町工房である。築80年の古民家に糸ぐるまや機織り機が並べられ、居間では蚕が桑の葉を食む光景をみて、落ち着いた時間の流れを感じた。夕食時に囲炉裏の周りに集まって鈴木さんの手料理に舌鼓を打ちつつ、鈴木さんとニッセンさんから福島の現状を伺った。途中、鈴木さんから「来てくれてありがとう」と言われたことが、県外の学生が福島に来るだけで感謝される状況への悲しみを感じさせ、胸が痛んだ。

報告日:2014年7月7日

崎濱 紗奈

22日は郡山市に移動して、福島復興心理・教育臨床センターで行われた蟻塚亮二先生の講演「福島におけるトラウマ治療」を拝聴した。福島復興心理・教育臨床センターは、国際基督教大学の橋本和典先生が、福島における「心の復興」のために震災直後から粘り強く活動を続けてこられた場所である。月に一度の開室ということで、この日は20余名ほどの方々がいらっしゃっていた。講演の内容は、沖縄におけるPTSD(心的外傷後ストレス障害)の現状と比較しながら、福島の今後を考えるといったものであった。蟻塚先生は沖縄で9年間お仕事をなさっていたということで、病院を訪れる患者さんの中には、戦後何十年も経ってからPTSDを発症する方が何人もいらっしゃった、ということをお話しされた。また、戦争経験世代のみならず、トラウマ(心的障害)はその子や孫へ伝達されるというショッキングなお話もあった。トラウマの伝達は、育児放棄や虐待行為となって現われる。このことは、自身の沖縄での見聞や経験と照らし合わせるとなおのこと、自らの上に重くのしかかった。こうした負のスパイラルが福島で再現されることをどうしたら避けられるのか、という課題は、独り福島のものであるわけでは決してない。また、この日の参加者の中には小学校教員の方が二人いらっしゃったが、教育を通じ、世代を超えてこの問題に取り組むということも必須であろう。地域間・世代間の分断を超えて協働することを可能にする新たな社会のあり方を模索することは、至難の業だ。しかし、その実現可能性は、それを諦めないことによって開かれるだろう。

報告日:2014年7月2日