Counter-Monuments:
Memory Culture in Contemporary German Museums 報告 半田 ゆり

Counter-Monuments:
Memory Culture in Contemporary German Museums 報告
半田 ゆり

日時
2014年10月22日(水)17:30−19:00
場所
東京大学駒場キャンパスKOMCEE 401
講演者
Professor Kathrin Maurer (University of Southern Denmark)
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト5「多文化共生と想像力」

IHSプロジェクト5「多文化共生と想像力」は、10月22日に南デンマーク大学のキャスリン・マウラー氏をお迎えし、Counter-Monuments: Memory Culture In Contemporary Germanyと題した講演を行っていただいた。以下はその報告である。

マウラー氏の講演の主な対象となったのは、ドイツ・ドレスデンの軍事博物館である。建築家ダニエル・リベスキンドの設計で2003年に新しくオープンしたこの博物館は、バロック様式の旧軍事博物館の建物に20m高の鉄のエッジを打ち込むというきわめて斬新なデザインが施されている。まず始めに、この軍事博物館が再設計されるまでのドイツにおける「記憶」の問題について説明がなされた。

1990年の冷戦終結に伴い、ドイツ国内ではビジュアル・アーツ等の分野において「記憶」が一種のブームとなる。その背後には、戦争の記憶を生きたまま留めようという意志が働いていた。とりわけ、戦争モニュメントに代表される、ナショナリズムと結びついた「過去の可視化」が進められたという。

マウラー氏は、このような1990年代ドイツにおける「記憶」をめぐる動きを、ノーマリゼーションに代表される80年代からの脱却と、それに伴う「カウンター・メモリアル・モード」という言葉で表現した。「カウンター・メモリアル・モード」とは、それまでのモニュメントがとってきた単一の記憶を称揚する戦略を放棄し、ひとつのナラティブや解釈に回収されないような脱中心化された記憶を生み出そうとする試みである。ベルリン市内にあるピーター・アイゼンマンの「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための追悼碑」(2004)は、そうした「カウンター・メモリアル」の美学を表す作品であるという。

ドレスデンの軍事博物館も、「カウンター・メモリアル」の美学にしたがって変化した建造物の一つであると言えよう。かつてドイツ軍やドレスデンの文化を讃える内容であったこの博物館は、外的にはリベスキンドによる設計によって、内的には文化人類学や戦争体験者の語りの記憶といった特定のテーマと戦争が結びつけられた展示の刷新によって生まれ変わったのである。

興味深かったのは、この軍事博物館がドイツ軍および防衛省により管理・経営されているという事実が質疑応答によって明らかになった点である。ドレスデンの軍事博物館は、暴力と戦争をこの地球から無くすという明確な目標を打ち立てている。その目標自体は普遍的な性質を持つものだ。そうした目標の達成のために重視されるのが、集団的で、脱中心化され、唯一のものではないような歴史を語ることなのである。この脱構築的な戦略のもとでは、特殊なもの、硬直したもの、はっきりとした方向性を示すものは否定される。であるから、展示の内容が明確でないといった批判がしばしば博物館に寄せられることもあるという。

だが、歴史とは個的なものではなかったか。戦争を生き抜いた、あるいは生き抜く事のできなかった者の記憶は、まずもって「唯一の」ものではないのか。マウラー氏は、この普遍性と歴史的な特殊性を繋ぐものこそが歴史的なドキュメンテーションであると述べたが、それがどのような歴史をいかなる方法で表象し、博物館の中のどの場所に配置されているのかをより詳細に観察することが必要だろう。普遍の名の下に特殊が隠蔽される可能性に注意しなければならない。

軍事博物館は、プロパガンダ的で特定の人々にのみ訴える「軍事ミュージアム」のようなイメージを払拭しようとしてきたのだという。とはいえ、非政治的な博物館など、ありえない。展示される資料や運営母体がどのようなものであっても、キャプションの言葉、展覧会のタイトル、展示空間の構成など、博物館の中のあらゆる要素は何らかの方向性を持ったメッセージを発信しているのだから。そのことに自覚的でない学芸員などいないだろう。

戦争の撲滅という普遍への追求は、特定の集団や個人の歴史の特殊性を回避する形でも、また博物館という政治的な場の政治性を否定することによっても達成されるものではない。肝要なのは、分析の対象となる博物館の構成員、資金源、運営方法、展示からポスターに至るまでのすべてを、徹底して具体的に検討することではないだろうか。それによって、普遍の可能性への考察が始まると考える。


報告日:2014年11月12日