第4回メディアと表現について考えるシンポジウム 「それ『実態』とあってます?メディアの中のLGBT」報告 蒔野 真彩

第4回メディアと表現について考えるシンポジウム 「それ『実態』とあってます?メディアの中のLGBT」報告 蒔野 真彩

日時
2018年12月2日(日曜日)
場所
東京大学本郷キャンパス福武ホール地下2F福武ラーニングシアター
主催
東京大学大学院博士課程リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム」 教育プロジェクトS
メディア表現とダイバーシティを抜本的に検討する会(MeDi)
協力
東京大学大学院情報学環 林香里研究室

はじめに

本シンポジウムは、LGBTをめぐる表現のあり方について、当事者や記者、専門家など様々な立場の人々で議論することを目的として開催された。今回、私自身はジェンダーをテーマとするシンポジウム参加するのは初めてであったが、そこで繰り広げられる議論はジェンダーに限らずあらゆるテーマに結びつくものであり、とても興味深かった。その中でも、最も印象に残っていることは「言葉により固定されてしまうイメージ」である。以下、議論の中で出てきた2つの言葉について記述しながら、メディアが名指すことで作り上げられるイメージが、いかに「実態」と乖離しているか、そしていかに人々に影響を与えているかについて述べたい。

1. 「LGBT」という言葉

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本シンポジウムのテーマでもある「LGBT」は、ここ数年メディアで取り上げられることが増え、現在の認知度は65%であると言われている(2018年・日本法規情報株式会社調べ)。だが、「LGBT」という言葉がよく知られるようになる一方で、「LGBT」についての正しい理解が広まっているわけではなく、むしろメディアなどでの誤用が急増している。この点について、本シンポジウム登壇者の毎日新聞記者・藤沢氏は、記者たちがいかに性的マイノリティのテーマについて不勉強であるかを述べていた。藤沢氏は、性的マイノリティの被取材者たちへのアンケートを実施し、記者たちの対応や書かれた記事の内容が多くの誤解に基づいていることを明らかにした。

本来、「LGBT」とは「レズビアン(女性同性愛者)」、「ゲイ(男性同性愛者)」、「バイセクシュアル(両性愛者)」、「トランスジェンダー(心と体の性の不一致)」を表す言葉であり、性的マイノリティの一部の人々を指すものである。しかし現在は、「LGBT」と性的マイノリティは同義語として理解されていることも多く、「細かいことはよくわからないが、性的マイノリティの人に対しては、とりあえず『LGBT』を使用すればよい」というように、「LGBT」が便利な言葉として使われることが多い。

この現状について、シンポジウムでは、そもそも存在を認識されていなかった性的マイノリティが、「LGBT」という言葉が広まることによって多くの人に認識されるようになったのはよいことだが、現代はその中の多様性を知るという次の段階にきているとの意見が出た。確かに、そもそも問題として認知されることすらなかった差別や偏見が、ある言葉が広まることによって、取り上げられるようになることは重要だが、その言葉の誤用により新たな差別や偏見を再生産してしまう可能性は十分にあり得る。特に、性的マイノリティに関する言葉は、メディアで取り上げられることが多いわりに、普通に生活しているだけでは見えづらい問題でもあるため、この悪循環が起きやすいと考えられる。

この問題を乗り越える方法としては、「LGBT」という言葉の正しい理解を広めると同時に、その言葉を使わずに「実態」を伝えることが重要であると考えられる。この例として、シンポジウムでは、今年ヒットしたドラマ「おっさんずラブ」が取り上げられた。このドラマは、男性の同性愛を描いたストーリーであるが、「おっさん」という言葉を使うことで、ゲイにもボーイズラブにも回収されない“綺麗すぎない”同性愛のイメージを作り上げているとの意見が挙げられた。しかしながらこれは、「LGBT」という言葉のイメージから逃れる一方で、「おっさん」という言葉のイメージに取り込まれていることを表しており、やはり何かしらの言葉のイメージを用いてしか「実態」を表現できないことを意味している。今後、性的マイノリティをテーマとするドラマや映画において、どのような言葉を借りてストーリーを描くことが、より「実態」に近づくのかは検討されるべき課題であると言える。

2. 「オネエ」という言葉

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私が、本シンポジウムで印象に残っているもうひとつの言葉は、「オネエ」である。登壇者である女装家・ブルボンヌ氏は、この「オネエ」という言葉が、いかにメディアで都合よく用いられているかについてエピソードを用いて述べていた。そのエピソードとは、新宿2丁目のバーで働く方がバラエティー番組の取材を受けた際、自分の性的志向・性自認について「自分はオネエではない」と取材スタッフに説明したが、発言の上に無理やり「実はこの人もオネエ!!」というテロップをつけられたというものである。この理由についてブルボンヌ氏は、「オネエ」はタレント性が高く、視聴者に「わかりやすい」存在であるために、あえて「オネエ」という言葉を用いたのではないかと述べていた。確かに、メディアで作り出される「オネエ」のイメージは、「明るく快活で、少し強引なほど積極的にコミュニケーションをとる人」というものであり、バラエティー番組には非常に使いやすいキャラであると考えられる。

今回、私はジェンダーをテーマとするシンポジウムに初めて参加したが、そこで普段テレビで見るような女装家の方が、研究者や専門家と議論している光景をとても新鮮に感じた。振り返ってみるとそれは、私自身もメディアが取り上げる「オネエ」のイメージに少なからず影響を受けていたからである。メディアが作り上げた「オネエ=女装をする男性」というイメージによって、判断基準を無意識のうちに取りこんでしまっていたと言える。「オネエ」という言葉が、女装をする人々に、性格や性的志向などの外見では判断できない要素にまで勝手なイメージを与えてしまっていることから、メディアの影響力の大きさを実感した。

おわりに

以上、本稿では「LGBT」と「オネエ」という言葉を取り上げ、メディアが表象するそれらの言葉がいかに「実態」とかけ離れているか、そして、その言葉が作り出すイメージに私たちがいかに影響を受けているかについて述べた。最後に、これまで用いてきた「実態」というものについて述べたい。冒頭で司会の小島氏は、「実態」とは人それぞれで、みんなが納得できるたった1つの「実態はない」と語られていた。本シンポジウムでも、「『実態』とは違う」というような意見が数多く挙げられたが、それは登壇者および質問者たちにとっての「実態」と異なっているという意味であり、それらの指摘を一般化することはできない。メディアで取り上げられる言葉がどれほど正しいか、もしくはまちがっているかについて検討することはもちろん重要だが、目の前の1人に対して向き合う姿勢を忘れてはならないと言える。

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報告日:2018年12月6日