奥三河・花祭研修「伝統の継承と地域の共生」 報告 井坪 葉奈子

奥三河・花祭研修「伝統の継承と地域の共生」 報告 井坪 葉奈子

日時
2018年10月13日(土)現地インタビュー調査、11月10(土)- 11日(日)花祭実地研修
場所
愛知県北設楽郡東栄町御園
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクトH「生命のポイエーシスと多文化共生のプラクシス」

愛知県北設楽郡東栄町御園での花祭をテーマにした今回のプロジェクトHの研修は、10月2日に慶應義塾大学名誉教授の鈴木正崇先生(文化人類学・民俗学)をお招きしての事前学習会、10月13日に御園での現地インタビュー調査、そして11月10日と11日の花祭本番の実地研修と数回に分けて行われた。

まず、10月2日の駒場キャンパスでの事前学習会では、「修験道の想像力とは何か」と題して、鈴木正崇先生から山岳信仰や修験道をテーマに据えたお話を伺った。修験にとって文字はあまり意味を持たず、本質に迫るためにかつての修行者と同じ現場に立って追体験することを重視していたという。花祭も鎌倉時代末期から室町時代にかけて、熊野の山伏などによって伝わった霜月神楽の一種であり、花祭の信仰と身体性について理解する入り口を作っていただいたと同時に、花祭の文化的背景について知ることが出来た。

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10月13日の現地インタビュー調査においては、新幹線とタクシーを乗り継いで愛知県北設楽郡東栄町御園の地区集会所に伺い、住民の方々とお話しする機会を得ることが出来た。12名の方にお集まりいただき、2時間にわたって花祭は地域の人々にとってどのようなものなのか、伝統を継承していくことの難しさなどを主なテーマとしてインタビュー調査した。また事前に用意していた質問や疑問点を詳しくご説明いただき、花祭と地域の抱える問題についての理解を深めた。

その中でも特に私は、花祭を「祭」というイメージから非日常的な空間であると認識していた。しかしその背景には、日常の中での準備の積み重ねがあり、花祭は特別な祭事であると同時に、御園に息づいている「当たり前」の風景でもあるのだという。また季節が巡るように、花祭が当たり前にやって来るとおっしゃった方もいた。
少子高齢化が進む中、夜を徹して行われる花祭では外部からの観光客を広い仮眠所を設けて受け入れたり、男女ともに子どもたちが舞を舞えるようにしたりと、伝統と改革の危ういバランスのはざまで祭りは継承されている。

お話を伺って、御園は他の地区の花祭よりも比較的革新的であり、外に開かれているように思ったと同時に、観光客を受け入れることに対しての葛藤もあるのではないかと感じた。

近年は大挙するアマチュアカメラマンの問題があるという。神聖な儀礼の場にまで入り込む一部のカメラマンに対して、御園では舞庭に柵を設けた。神聖な場には侵入しないというのは当然のことであるが、ルールとして明言されていないからという理由で儀式を妨害されてしまったりするというお話があった。しかし、ルールとして明記すればいいのだろうか。その空間を共有している人たちの中での暗黙の了解はルール化しだすときりがなく、逆にルールに縛られてしまい、今までそこに存在していた何か大切なものが失われてしまう気がする。これらの話を伺ったのは、花祭に参加する前だったので、実際に祭を体験する中で、これら問題に関しても、自分なりに考えを深められればと思った。

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11月10日の花祭当日は、舞の前に行われる神事から参加させていただいた。祭り会場の近在にある熊野神社で行われた神事には、地域の子ども達も多く参加しており、アットホームでありつつも、引き締まった空気の中で進められた。前回のインタビューで気さくにお話ししてくださった方々も白装束に身を包み、厳かに式を進めており、日常と非日常が混ざり合った不思議な空間であると感じた。熊野神社での神事が終わると、御神体を神輿に乗せて山を下り、祭り会場の外で花祭の最高司祭者である花太夫の清水晃さんが引き継いだ。

無事に神事が終わると、舞が始まるまでしばらく周辺を散策した。地域のお母さんたちが作っている五平餅などを売っているお店があったり、仮眠所として旧御園小学校の校舎が開放されたりしているのを見て回った。17時を過ぎると受付が開き、お見舞い(寸志)を奉納する。お見舞いを手渡すと、記念品の小皿セットと食事券が渡され、舞が行われる会場の後ろの壁に自分の名前が張り出される。食堂で食事券と引き換えに、白米や煮物、漬物やお酒が出てくる仕組みだ。

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18時頃に舞が始まった。会場となっていたのは御園集会所で、舞庭と呼ばれる場所は地面が土になっており、中央では滝で汲んだ水が入った釜が火にかけられていた。舞庭の奥には、神座と呼ばれる花太夫や囃し手がいる場所があり、手前には一段高くなっている観覧席があった。映像などで見たりはしていたが、舞庭の天井からつるされている、「ざぜち」と呼ばれる切り絵などは見事だった。舞はたいていの場合まず1人が舞い、その後人数を増やして舞うという流れで、手に持つものは変わったりしつつも、基本的な動きは似通っていた。

個人的に驚いたのは、舞庭のカジュアルな雰囲気だ。みんな酒を飲んだり、ミカンを口に入れられたりしながら舞っており、自分の中で神事としての舞や祭というものに固定概念があったことに気づかされた。最初は一段高くなっている観覧席から舞を見ていたのだが、基本的な舞い方やステップに変化は見られず、見るだけでは途中で飽きてしまいそうなことに気が付いたのも祭りに参加してこそだった。花祭はその場で起こる相互作用が生み出す即興性や、舞の囃しによって引き起こされる一体感といったものが魅力である。実際に参加する方が、観覧席にいるよりもこの祭りを満喫できるのではないだろうか。

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しかし一方で、見様見真似で舞っても限界があるということも感じた。インタビューの中では、それを「血」と呼んでいる方もいたが、私はそれを幼少期からコミュニティに参加していることで得られる「内の人間の意識」なのではないかと考えた。内部意識を持たない外側の人間は、最後の所で花祭の輪の中に、本当の意味で入ることが出来ないのではないか。だが、その「空間を共有しているはずなのに最後の所で同化できない」もどかしい感覚が、花祭に何回も通ってしまう魅力にもなりえているのではないかと感じた。

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花祭を行っている地区は、過疎化や少子高齢化に伴い徐々に減ってきている。花祭という文化をどのように継承をしていくのかという問題は重要な論点であると考える。実際、御園の花祭においても、40年ほど前から女性の参加を認めるようになったり、都市部に移住した子どもたちが戻ってきて舞ったりというように、伝統とされてきたものは少しずつ変わって来ている。伝統文化は継承されるものであると同時に、変化していくものでなければ後世に残していくことは難しい。

しかし、ここで問題となるのはどの部分を伝統文化として保持すれば、その文化のアイデンティティは保たれるのかということである。その線引きを慎重に行わなければ文化は形骸化してしまい、誰にとっても愛着のないものとなり、何のために継承してきたかすらわからなくなってしまうだろう。だが、誰がその線引きを行うのか、そもそも線引きを行える人などいるのだろうか。文化とは誰のもので、誰のために継承していくものなのだろうか。

今回の研修に参加して、多文化共生・統合人間学プログラムのひとつの核ともいえる「文化」と何か、という問いについて、改めて考えることが出来たと思う。

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報告日:2019年1月7日