「演習V─シンガポール研修─」報告 水上 拓哉

「演習V─シンガポール研修─」報告 水上 拓哉

日時:
2019年10月2日(水)~5日(金)
訪問先:
シンガポール国立大学、他
主催:
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクトN「科学技術と共生社会」

概要

日本の科学技術研究の未来は決して明るくない──そう指摘されるようになって久しい。もちろん、少子高齢化のような経済的理由やそれに伴う大学教員のポストの減少も大きな原因ではあるのだが、私は一人の博士課程の院生として、科学技術に関する研究プロセスの実態が大衆に理解されていないという科学コミュニケーション的な問題も絡んでいると感じている。出版された論文やノーベル賞の受賞ニュースだけを見るとそこに至るまでのプロセスは綺麗で整ったものに見えるが、実は試行錯誤の繰り返しと偶然の発見を伴うことも少なくない。そして、こういった科学技術研究の実態は、実際にそこに入ってみないとわからない。だから、衆「愚」政治とは言わずとも、民主主義的手続きによって、科学技術研究やその成果の社会浸透について誤った、ないし非効率的な意思決定がなされるのも、ある意味仕方のないことである。

では、そのような事情に通じている人間がトップダウン的に、独断的に意思決定をするというのはどうだろうか。実際、アジアの大学ランキングで東大よりも上位にランクインしている大学は、そういった意思決定をする国の大学が少なくない。ならば、科学技術の発展においてはそのような意思決定の形こそが「最適解」なのであり、我が国はその姿勢から変革をしなければならないのだろうか。その答えを求め私たちはシンガポールへ飛んだ。

以下は今回の研修の大まかな訪問先である。次節以降では時系列に沿って私たちが学んだことを報告する。

1日目:深夜便でシンガポールチャンギ空港へ
2日目:シンガポール国立大学(NUS)Tropical Marine Science Institute(TMSI), Marina Barrage
3日目:科学技術振興機構(JST)Singapore Office, Urban Redevelopment Authority, Centre for Liveable Cities, Art Science Museum, Little India
4日目:Faculty of Arts and Social Sciences, Center for Language Studies(NUS), Department of Japanese Studies(NUS), Mechanobiology Institute(NUS, Toyama Lab)
5日目:Singapore Zoo, 羽田空港へ

シンガポールの科学研究と景観を味わう(1日目)

深夜便で7時間ほど揺られた後、私たちは陽気な音楽の流れるタクシーでシンガポール国立大学(以下、NUS)のTropical Marine Science Institute(TMSI)に向かった。到着してすぐに私たちを温かく迎えてくださったのがTMSI副所長、Wong Sek Man先生である。Wong先生は本研修の引率である渡辺先生の30年来の旧友で、研究所の取り組みから学内バスの利用法まで、ありとあらゆることについて懇切丁寧に教えてくださった。

私たちはセンターの一室でWong先生からTMSIの活動について説明を聞き、日本とシンガポールの環境問題への取り組みの違いについて意見を交換した。TMSIはNUSに所属する環境学の研究所であり、熱帯の海洋研究およびその教育において国内外で指導的な役割を担うことを目的としている。この研究所には主に2つの特徴がある。ひとつ目は、“multi-disciplinary”の理念のもと、物理学や海洋学、生物学を始めとする多様な研究者が集まり学際的な研究を行っているという点だ。日本においてもそうだが、環境問題のような課題を解決するためには、単一の研究領域に留まることなく、領域同士の越境と研究者の協同が必要になる。その点においてTMSIは熱帯の海洋環境の学際的な研究活動拠点として先進的な取り組みを進めている。

ではなぜNUSはこれほどまでに熱帯の海洋環境研究に力を入れているのだろうか。ここにTMSIのもうひとつの特徴がある。すなわち、シンガポールにおいては自国の研究が国益に貢献するか否かが重要視され、TMSIも国にとっての脅威を解決する手段のひとつとしての役割を担っているのだ。たとえば、TMSIは白鳥型ロボットを用いて水質を調査するというユニークな研究を展開している(NUSwan project)。海水の質が低下することは海洋環境の共生関係が崩れるだけではなく、毒に侵された魚が国民の健康を損なう可能性もあるため、水質の向上はシンガポールの喫緊の課題となっているのだ。

Wong先生によれば、シンガポールでは近年、環境に配慮して割り箸やプラスチックストローの使用を制限しているそうだ。実際、現地のコンビニでは会計の際に“plastic bag?”(ビニール袋はいりますか?)と聞かれることがしばしばあった。現在流行しているタピオカミルクティーの太いストローはまだプラスチックのものが多かったが、今後はこういったものにもメスが入ることだろう。Wong先生は日本でもプラスチック容器が使われていること、特にバラン(弁当に入っている緑色をしたギザギザの飾り)のようなデコレーションが多く使われていることに疑問を呈していた。先生は終始穏やかな表情ではあったが、その裏にはシンガポールの環境問題に取り組む研究者としての強い使命感が窺い知れた。環境を構成する風や水に流れがある以上、そして私たちの国同士の関係に歴史的文脈がある以上、環境問題の実際の利害関係は往々にして非対称的である。だが、長いスパンで考えればこの問題は決して他人事ではない。TMSIは学際的な取り組みを展開しているが、国際的な協同が今後の私たちの課題となるだろう。

1日目の後半ではWong先生の案内でNUSのキャンパスを見学した。NUSのキャンパスは広大で、学生は学内を勢いよく走り回る無料バスを使って施設間を移動しなければならない。キャンパスは学生で溢れかえっており、図書館の中にも自学自習に励む学生の姿が垣間見えた。また、キャンパス内には不要になった衣服を回収するリサイクルボックスや正しい分別がされるようにデザインされたゴミ箱が点在しており、キャンパス内でも自然環境が十分に配慮されていた。東京大学をはじめとする歴史のある日本の大学では、古くから残る建造物と新しい建造物が混在することがしばしばあるが、それに対してNUSのキャンパスは建物のデザインが統一されており、計画的にキャンパスが作られていることがわかる。この違いは日本の都市とシンガポールの都市計画の違いと似ていて、こういったところにも双方の国の大学の立ち位置の違いが表れているのかもしれない。

その後私たちはWong先生と別れ、地下鉄を利用してマリーナ・バラージおよびリトル・インディアの景観を味わった。シンガポールの水需要の1割を供給しているといわれるマリーナ・バラージは、大雨の際に洪水から国民を守るダム的機能だけではなく、観光地およびレジャースポットとしても有名である。比較的資源に乏しいシンガポールでは、水を供給することもひとつのローカルな環境問題となっている。その対策がこのマリーナ・バラージであり、そこを観光地化して人が集まるように設計するというところからも、自国の環境問題対策を国際的にアピールしていきたいという姿勢を感じ取ることができた。一方、インド系の方が多く暮らすリトル・インディアは、シンガポールの中心地とは打って変わって別の文化が展開される混沌とした異世界のようであった。とはいえ、このリトル・インディアの地理的な範囲も明確に定められており、国全体としてはやはりトップダウン的かつ計画的に街づくりがなされているのだと感じた。

シンガポールの歴史を知る(2日目)

2日目、私たちは国立研究開発法人の科学技術振興機構(JST)のシンガポールオフィスを訪ねた。JSTは日本の機関であるが、シンガポールにもオフィスがあり、理化学研究所のオフィスと同じフロアに存在している。JSTシンガポールオフィスの職員として勤務されている渡辺さんと金子さん──オフィスの職員は2人だけである──が私たちを迎えてくださり、JSTのシンガポールにおける活動について紹介していただくと共に、日本とシンガポールの研究投資のあり方の違いについて議論した。

JSTのシンガポールオフィスは、日本の科学技術研究とシンガポールをつなぐ役割を担っている。金子さんによれば、シンガポールの研究者は日本の研究開発をフォローしようとしているが、日本語の壁によってアクセスできない状態になっているとのことだ。日本語がわかればインターネットでの検索ですぐわかるような情報も、そうでない人にとってはアクセスするのが難しく、助けを求める問い合わせがJSTにも殺到しているそうだ。私たちも自分の研究成果を英語媒体で発表しなければならない、そう痛感するばかりである。

シンガポールでは日本のJSTに相当するものとしてシンガポール科学技術研究庁(Agency for Science, Technology and Research, A*STAR)がある。JSTが文科省の組織である一方で、A*STARは日本でいうところの経産省の組織であり、ここに両国の研究投資のスタンスが伺える。日本の科学技術基本計画に相当するものとして、シンガポールでは“RIE”と呼ばれる計画が定期的に策定されているのだが、この“RIE”は“The Research, Innovation and Enterprise”の略で、研究開発だけではなく事業への接続も重視されているという特色がある。また、物理的に規模の小さいシンガポールにおいては、新しい技術の社会実装が試験的に行われているのも特徴で、日本では自由に動かせないドローンや自動運転車のような最新技術がシンガポールの一部では既に運用されている。新しい技術をトップダウン的な意思決定でテストすることには当然問題も付き物で、諸手を挙げて称賛できるものではない。だが、国益のために利用できる地理的特性は利用する、というシンガポールのスタンスは、決して資源が豊かだとは言えない我が国にとってもよい参考材料になることだろう。

JSTを後にし、私たちはシンガポールの都市計画の歴史が展示されたUrban Redevelopment Authority, Centre for Liveable Citiesとアートサイエンスミュージアムを見学した。Urban Redevelopment Authority, Centre for Liveable Citiesでは都市計画の歴史と今後の展望が映像や踏むと光る床面の展示などを用いてわかりやすく説明されていた。とりわけ、現在でも十分巨大なチャンギ国際空港が今後も「成長」し続ける予定だという開発計画には驚かされた。アートサイエンスミュージアムの方はというと、現在、常設展「FUTURE WORLD」が開催中であり、シンガポールの子どもたちが、デジタルコンテンツ開発で知られる日本のチームラボの作った展示物で楽しそうに遊んでいる姿が印象的だった。科学技術研究の知見が言語の壁によって伝わらないという問題については先述した通りだが、科学技術にアートをかけ合わせることはその壁を超越するためのひとつの手段かもしれない。

シンガポールと日本の関係性のこれから(3, 4日目)

3日目はNUSの中でも日本と関わりの深い人々と交流を深める一日だった。まず私たちはNUS人文社会科学部の語学教育研究センターを訪れ、副所長のウォーカー先生から日本語教育の実情についてお話を伺った。

NUSの語学教育センターは130人の教員を擁し、13もの言語を学ぶことができる。この語学教育センターの日本語教育は、(1)基礎講義と応用実践の双方の重視、(2)言語を行為として理解する「パフォーマティブ・エクササイズ」の採用、(3)教科書にとどまらない多様なメディアの利用、(4)日本人コミュニティとの連携といった点が特徴である。

シンガポールでは今でも多くの学生が日本語を学んでいる。とはいえ、現在の教育状況は決して楽観できるものではない。ウォーカー先生によれば、短期留学を経験した学生は学習プロセスから脱落しづらくなる。特に現地の日本人学生とバディを組み、短期間で共同してペアワークをするようなプログラムは学習効果が高いらしい。しかし最近では、留学生を招聘するための助成金が減額された関係で、日本の大学主催のサマープログラムの数が減少しているそうだ。また、日本語を習得した学生の「出口」、すなわち日本国内で活躍するための仕組みが未だ十分に整備されていないという課題もある。外国人技能実習生制度の問題に代表されるように、我が国においては留学生や海外から働きに来た外国人の方が厳しい現実にさらされることも少なくない。日本語学習者をいかに増やすかだけではなく、日本で働きたい、活躍したい、と希望する方々をどのように受け入れていくのかについても、私たちは考えていかなければならない。

また、日本や日本語に興味がある学生をいかに増やすかについても検討の余地がある。マンガやアニメといった日本の文化に興味があって日本語を勉強し始めました──日本語を学ぶ留学生と会話したことがある人なら一度は聞いたことのあるセリフだろう。しかし、ウォーカー先生によれば、最近シンガポールではそういった理由で日本語を学ぶ学生が減少しており、日本語学習者の数にも影響が出ているそうだ。これにはいくつかの要因があるのだが、ひとつにはシンガポールの子どもたちが普段からメディアで触れるコンテンツの変化がある。たとえば、最近のシンガポールではテレビで韓流ドラマがよく放映されるようになり、その影響で韓国語を学びたいと思う学生が増えているという。一方、日本のコンテンツにアクセスする手段は限られてきている。かつて外国語に翻訳された日本のマンガやアニメを提供していたwebサイトは著作権法的に問題のあるものが多く、これらは日本のコンテンツを守るために規制されていった。もちろん、知的財産を守ることの重要性は言うまでもないのだが、そのようなサイトの存在が日本のマンガやアニメの国際的認知に貢献していたという見方もある。こういったジレンマについては、従来の情報倫理ではあまり表立って議論されてこなかったが、今後は情報倫理と日本語教育の交差する喫緊の課題として取り組まなければならない論点だろう。

このように、私たちが想像する典型的な理由で日本への留学を希望する学生は減少傾向にある。だが、ウォーカー先生の話では、それでも思いもよらない動機で日本へ行きたいと考える学生が少なからず存在しているという。たとえば、シンガポールでは結婚するまで実家で生活しなければならないという制約があり、両親から独立するために日本に留学するというパターンも少なくないそうだ。日本を訪ねる学生のモチベーションは私たちの想像よりもはるかに多様である。日本を知りたいと思うような学生を増やすために日本の「クール」さを知らなければならないのは、他ならぬ私たち自身なのかもしれない。

昼食はNUSの日本語サークルの部員たちと取り、その後彼らの案内でNUSの日本研究学科やサークルの部室を訪ねた。私たちは日本語と英語を混ぜながら彼らとお互いの学生生活について談笑していたが、NUSの学生は難関である入試を突破した後も高い成績を取り続けなければよい就職先にありつけないため、毎日汗をにじませて勉強しているとのことだった。私たちも身の引き締まる思いである。とはいえ、彼らはその中でも日本語の語彙に英語や中国語を絡めながら(たとえば「逃げる」+「run」=「逃げラン」など)、工夫して日本語学習を楽しんでいるようだった。

彼らと別れたあと、私たちはメカノバイオロジー研究所(MBI)のToyama先生のもとを訪ねた。メカノバイオロジーとは、細胞や分子、組織といった生物学の研究対象が物理刺激に対してどのように反応するか、そのメカニズムを解明する研究領域である。私たちはToyama先生の案内で研究所内を見学し、MBIの活動について説明を受けた。研究所内は空間的に開けており、また(大枠の分野は共通しているが)他分野の研究者とコミュニケーションしやすい環境になっていた。Toyama先生によると、シンガポールでは国がトップダウンで注力すべき分野を決め、数年単位でプロジェクトを回しているそうだ。上流の意思決定に携わる人間が科学について詳しいことは我が国も見習わなければならないだろう。それに加え、MBIには科学コミュニケーションユニットもあり、科学分野で博士号を取った人が科学を大衆に伝える努力を積極的にしていることも我が国より進んでいる点だと感じた。

3日目の最後に私たちは、Wong先生が呼んでくださったNUSの院生たちとピザを囲みながら交流した。NUSの院生は国籍も様々であるが、それぞれがシンガポールの研究環境および自然環境を求めてやってきたとのことだった。シンガポールがいかによい研究環境を提供し、豊かな自然環境を保全しようとしているかは既に述べたとおりであるが、それを高く評価し実際にNUSに学びに来る優秀な学生たちのリアルな声を聞けたのは大きな収穫であった。

「がっと」な国、シンガポール(全体を通しての考察)

私の生まれは新潟なのだが、物心がつくまで標準語だと勘違いしていた表現に「がっと(だ)」というものがある。標準語でぴったり一致する意味はないのだが、「強い」、「すごい」という意味があり、かつ(悪く言えば)乱暴、粗野なニュアンスを含む表現である。たとえば、ある電化製品から部品を取り外そうとするとき、本体も壊れてしまうほどに強く引っ張れば「がっとにすんな(て)!」と母によく叱られたものだ。

さて、なぜこんな表現を引っ張り出したのかといえば、今回の研修で体験したシンガポールの有り様はまさにこの「がっと」という表現がぴったり当てはまるだろうと思ったからである。「明るい北朝鮮」とも形容されるシンガポールは、トップダウンの意思決定によって国が動く。自動運転技術のようなリスクのある新技術もここではとりあえず社会実装するし、街を眺めれば日本ではありえないデザインのマンションが所狭しと屹立している。バスに乗れば急加速と急停止に振り回され、速すぎるエスカレーターには置いていかれそうになった。外国人受け入れについても、資本主義的な価値観において「役に立つ」人間に対しては広く門戸を開いている(し、そうではない人間には厳しい)。環境に配慮する国の方針も、純粋な道徳的動機というよりは自国にとっての脅威に対処するという動機が先行している。こういったことからは、シンガポールが自国の利益のためにできることは何でもやるという強固な姿勢が読み取れる。もちろん、これが政治における最適解とは限らないだろう。たとえば、新しい技術というものは社会浸透のプロセスにおいて予想のしない問題をしばしば引き起こしうる(これはポスト現象学的な技術哲学においては技術の「複数安定性」と呼ばれている)。したがって、多様なステークホルダーの声を聞かず、トップダウン的意思決定でそのような技術のテストを実施してしまうことは問題含みである。しかし、このような体制によって実現されたフットワークの軽さは科学技術研究においてときに強さを発揮するものであり、NUSが現在アジアランキングNo.1の大学として君臨しているのも、その表れとして見ることができるだろう。

とはいえ、今後シンガポールが経済的発展を遂げた先にどのような未来があるのかは不透明である。実際、近年では実質的な独裁政権に不満をもち、野党を支持する若者も増えているそうだ。加えて、私たちが本研修で見たシンガポールの姿はある種の偏りがある。つまり、私たちが会ってきた人々はNUS関係者をはじめとする「エリート」がほとんどで、彼らにとって居心地がよくても庶民にとってはそうではない、という可能性も十分にある。そういった人々にとっては日本のような国のほうが居心地がいいのかもしれない。

NUSの日本語サークルの学生に「NUSのバスは運転が乱暴でびっくりした」と言ってみたところ、彼は「みんな嫌いだよ!」と冗談半分で答えた。これは一例に過ぎないが、多様な民族や文脈が集結するシンガポール、その意思決定に全員が納得しているわけではない。だから、たとえ我が国の大学がランキングからこぼれ落ちる運命にあるのだとしても、シンガポールをただ真似すればいい、ということにはならないだろう。とはいえ、ここまで見てきたように、シンガポールと日本には資源状況や政治体制など似た点も多く、参考にできる部分も多い。ひとつの極端な、「がっとな」事例としてシンガポールを見つめ、相互に歩み寄りを続けていくことによって、我が国の科学技術研究の今後について、考察をさらに深めることができるだろう。

報告日:2019年10月5日