「障害の現場 べてるの家ウィンタースクール2019」報告 田中 瑛

「障害の現場 べてるの家ウィンタースクール2019」報告 田中 瑛

日時
2019年1月14日(月)〜22日(火)
訪問先
社会福祉法人浦河べてるの家、札幌なかまの杜クリニック、社会福祉法人麦の子会など
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクトN「科学技術と共生社会」

毎年恒例の「べてるの家ウィンタースクール」が2019年1月14日~22日に開催された。今年は北海道浦河町の当事者研究の拠点「べてるの家」に加えて、札幌市の「札幌なかまの杜クリニック」「社会福祉法人麦の子会」など関連する様々な現場を見学することで、障害者の当事者性に関する様々な学びを得た。本研修では様似町、浦河町の生活館の見学からアイヌ文化についても理解を深めたが、報告書では精神障害の当事者性に焦点を当てて知見をまとめる。特に、当事者が語りを取り戻すこと、それに応じて支援のあり方が変容することについて、報告者が旅中で考えたことと紐づけて報告したい。

1. 当事者が語りを取り戻すことについて

本研修のメインの訪問先である「べてるの家」は、統合失調症や双極性障害など様々な障害を抱えた100人の当事者が共同生活を営む拠点であり、当事者同士が助け合いながら自分自身の主観的経験を探究する「当事者研究」の起源として知られる。当事者研究はソーシャルワーカーの向谷地生良氏が「べてるの家」の統合失調症の当事者にその苦労を「研究しよう」と呼び掛けたことで始まり、従来の精神医療的アプローチとは一線を画する実践として注目されている。実際に訪問すると、当事者同士でのミーティングが繰り返し行われており、全体的に当事者を中心に活動が展開されていることが分かる。従来の一般的な厚生施設のイメージとは異なり、自己決定のプロセスが重視されているのである。例えば、朝のミーティングでは、当日の気分と体調を各自が自己申告し、それに合わせて労働時間を自己決定することができる。

このような「べてるの家」特有の自主性は当事者研究の実践と深く関係している。例えば、一般的な精神医療において自らの症状を診断するのは医者の役割であるが、ここでは当事者が自己診断名を自ら定義して名乗ることにより、剥奪された自分自身の固有性を取り戻している。私達が訪問した際には、自己診断名「電波でイライラ障害救急車多乗型」の当事者の研究発表を聴くことができた。彼は誰かが発する「電波」を夜に感じて眠れなくなり、何度も救急車を呼んだ経験があるという。ところが、周囲の助けを借りながら観察を続けた結果、「電波」が自分自身の暴力的な気質を抑える効果があることを発見し、女性ケアスタッフに頼み「女子会」を開いてもらうことで「電波」と上手く付き合うことができるようになったとのことだ。彼の場合には「電波」と呼ばれているが、当事者研究のもう一つの特徴は、幻聴や妄想などを「幻聴さん」「お客さん」などと換喩して自己から切り離すことにある。こうした「べてるの家」特有のユーモラスな語彙は、単なる病名や症状としてステレオタイプ化されていた自己理解を取り戻す試みとして興味深い。

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そして、当事者研究を可能にする基盤として「弱さの情報開示」がある。メディア研究を専門とする報告者は「声なき声」を「声」に転換する営みについて考察してきたが、通常の日常生活の空間でスティグマを誰かに打ち明けることには困難が伴う。しかしながら、「べてるの家」には自分自身の脆く弱い部分を安心して曝け出すための文化的土壌があることに気付かされる。それでは、その文化的土壌はどのように形成されるのか。ここでは、当事者研究以外に、日常生活での困難の対処法を考えるソーシャルスキル・トレーニング (SST) や、自分自身の経験を匿名の状態で独白するスキゾフレニック・アノニマス (SA) も展開されている。

具体的な「生活の苦労」をどう解決するのかを考えるSSTでは、実際に起きた出来事に関する当事者の語りをホワイトボードに書き起こし、別の当事者から寄せられた質問やアドバイスを手掛かりに「どのように対処すれば良かったのか」を考える。そして、実際のシチュエーションを再現することで、実際に別様の対処を当事者同士で演じてみながら解決策を模索していく。他方で、浦河教会で夜に実施されるSAでは、当事者研究やSSTの開かれた対話とは異なり、閉ざされた空間で参加者が匿名の状態で代わる代わる経験を独白していく。他のアノニマス・グループと同様に厳格なルールがあり、他の参加者は口出しや口外をせずに聞き手に徹さなければならない。今回は例外的に見学が許されたが、これは当事者しかいない場で互いに「弱さ」を曝け出す特殊な空間である。このような開かれた対話の場と閉ざされた独白の場が「べてるの家」に共在していることにより、その固有の文化的土壌は多角的に形成されている。

人々の語りから形成されるものとして文化を考える視座は、アイヌの事例にも見て取ることができる。浦河町滞在中に訪れた「東様似生活館」(様似町)と「堺町生活館」(浦河町)では、アイヌ文化の保存に関する話をアイヌの方々から伺った。その文化的慣習の多くは和人により禁じられて衰退し、混交が進むにつれて自分自身をアイヌとして認識する人も減少したという。他方で、この訪問で強く印象に残るのは、文化は混交を繰り返しながら変化し続けていくものであり、語りを通じて再生産されていくということである。

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ミーティングの合間には研修参加者による研究発表の時間が設けられた。合計9名が個人発表を行い、残りの3名は共同で「べてるの家」の当事者に質問を投げかけた。特に何人かの研修参加者は自らの弱さと研究を関連付けて発表した。ある参加者が「べてるの人には聞いてもらいたいけど、東大生の前では言うのに勇気がいる」と語ったのが印象的であり、報告者もこの点に共感した。報告者自身も「テレビ番組における笑い」についての発表で「普通の文脈」について問題提起を行ったが、特定の文脈において語れることがあり、語れないことがあるということをその言葉は示唆しているように思われた。

本研修では、「べてるの家」と関連する札幌市内の「語り」を促す取り組みも見学した。「プレイバック・ユー」(札幌市)では、観客の中から一人のテラーが経験を語り、その内容を演者が即興で演じる実践である「プレイバック・シアター」が展開されている。研修参加者は実際に身体を動かしながら演者を体験し、最後に何人かが自分自身の体験について語った。ここでは、即興的な演技を通じて自分自身の主観的経験と演じられた経験を切り離すことで、その懸隔から自分自身の経験を捉え直し、自己理解を深めることが期待されている。

また、「札幌なかまの杜クリニック」(札幌市)のように当事者研究を実践する拠点もある。このクリニックは当事者を主体として2012年に設立された。デイケアを見学した際に、報告者は「なぜ自分自身の病気や障害について語るのか」という問いを投げかけ、多くの当事者から「話しやすい空気があるから」などの動機を伺うことができた。中には、自分自身の経験を打ち明けることで誰かの役に立ちたいという意識を語る人もいた。

2. 当事者の主体性を尊重する支援のあり方について

以上のように当事者が語りを取り戻す活動は、支援の場の地域社会への移行を促す包括的なケアのモデルに繋がる。日本の精神科病棟の数は半世紀前に推進された政策の影響で未だに多いが、当事者が従来の医療モデルにおいて奪われた自主性を取り戻すならば、ケアする側の人々にはいかなる役割が求められるのだろうか。

この重要な問いに関して、「べてるの家」以外の拠点において支援を行う立場の人々から話を聴く機会を得ることができた。浦河町で向谷地氏と共に地域支援を手掛ける精神科医の川村敏明氏は、かつて130床にも上った浦河赤十字病院の精神科病棟の廃止を受け、病院のすぐ近くに「ひがし町診療所」(浦河町)を設立した。「べてるの家」の活動が地域に根差すにつれて長期入院ではなくデイケアのニーズが増加したことについて、川村氏は、「病気」は当事者の複雑な経験を語る一部でしかないこと、当事者が「病気の苦労」ではなく「生活の苦労」を語ることのできる環境を構築する必要性があることを繰り返し強調していた。その中で、精神科医の役割は極めて限定的なものであると言う。

児童精神科クリニックである「エマオ診療所」(浦河町)は、障害や苦労を抱える子供のために放課後等デイサービス「からし種」を提供し、当事者研究を療法として採用している。理事長の八十川真里子氏は「べてるの家」のスタッフを経て、教会学校で苦労を抱えて生きる子供を多く見た経験が診療所設立の経緯であると説明した。また、該当地域の障害児は各地の学校に点在しており、「からし種」は彼らが集まる場所として機能している。八十川氏は医者として、親の意向ではなく本人の意向を尊重する治療を心がけてきたという。彼女自身、「べてるの家」時代に当事者に支えられることが多かったと言い、「医者が全部背負わなくても良いのが浦河」という言葉が印象深かった。また、ソーシャルワーカーも「少し頼りないぐらいがちょうど良い」と述べており、支援者と当事者が互いに対等な関係を構築することが支援者側にとっても重要であることを確認した。

知的障害や発達障害を抱える児童の支援を展開する「社会福祉法人麦の子会」(札幌市)は、市内の一角で幅広いサポートを展開しているのが特徴である。就学前児童の通園施設やクリニックだけでなく、障害者生活介護事業や就労移行支援事業、親同士の自助グループや児童を預かるショートステイ、きょうだい児(障害児の兄弟姉妹)支援などの家族支援を展開しており、支援のあり方については枚挙に暇がない。総合施設長の北川聡子氏によれば、発達障害児の親自身が発達障害であったり、配偶者からDVを受けているケースが多く、そうした声に応えるうちに支援のあり方が多様化していったという。「麦の子会」はこのような親も施設職員として雇用することで、当事者が当事者を支えるというピアサポートの構図を成立させている。その結果、発達障害児が十分なサポートを受けることができる地域として認識され、施設の近くに家を建てる保護者もいるという。

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8日間に渡る研修において得られた多様な知見を簡潔に振り返って締め括りとしたい。報告者が2年前の「べてるの家ウィンタースクール」に参加した際に疑問に感じたのは、何が当事者に語りの契機をもたらしているのかということであった。この時点では、自らの経験を積極的に説明する「べてるの家」の当事者は一般的な当事者と比べて例外的・特殊的であるように思われた。しかしながら、それを当事者を取り巻くより広い環境の観点から捉え直すことにより、当事者の主体性が彼らの能力や精神障害というアイデンティティにだけ根差して形成されるのではなく、相互的な関わりを通じて形成された文脈、文化、制度に依拠して回復されたものであることを学ぶことができた。これは医療や障害だけの問題ではなく、メディア、教育、政治といった幅広い現象に適用可能な視座であり、当事者が声を取り戻すことはいかにして可能であるのかを問い続けていきたい。

報告日:2019年1月22日