「四国における農業の伝統と未来」報告 ピーピョミッ

「四国における農業の伝統と未来」報告 ピーピョミッ

日時
2018年12月5日(水)〜6日(木)
訪問先
徳島大学、及び徳島市近郊・阿波世界農業遺産、高知市春野町の農家
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクトN「科学技術と共生社会」

参加したきっかけ

ミャンマーの西側にあるインドと国境を接しているチン州では、伝統的な焼き畑を行なっている。計画的に一定面積の山を焼き5〜6年の間雑穀などを栽培した後20年程放置して土地に栄養分が戻ってくるのを待って、再び焼き畑を行う。近年、畑の需要と山の供給バランスが崩れてきており、次々と新しい畑が開拓されるとともに畑の放置期間が短くなり、畑に科学肥料を補っている。焼き畑の増加につれ、土地が自然に回復することが待てず、新しく山林伐採や人工的に農薬を使うことによって、環境や自然に破壊をもたらすのではないかと懸念していた。このような問題意識を持っていたところ、今回の阿波農業世界遺産の研修を知った。日本の代々受け継がれた持続的かつ伝統的な傾斜法農業の知恵を理解し、ミャンマーの農業へと応用できるかどうかについて考えているため、研修に参加した。

伝統的急傾斜地農業

徳島県剣山系世界農業遺産支援会会長の永井英影氏に説明して頂いた。剣山系の傾斜地は、場所によって標高、傾斜度、日照量、気候、地勢、地質が異なり、また日照量に従って、「日の地」(日浦)と「蔭地」(影地)に別れている。昔の有力部族は日当たりの良い南面から選び、日照量に応じて作物を選定して栽培した。30度から45度の傾斜地の土壌流出を防ぐため、カヤを畑に敷いた。畑に敷くカヤを確保するために、カヤ1場と呼ぶ採草地を確保して秋にカヤ刈りし、刈り取ったカヤ束をまとめて三角錐形のゴロ巻きにした「コエグロ」を作ってカヤを乾燥させて保存し、春になって傾斜地に投入する。

カヤは毎年1ha当たり1t、1㎡当たり1 kgで、厚さにすると5〜8 cmを土の表面に置く。カヤの茎は油があるため、水を弾き耐水性があるとともに、空洞であることによって、夏では暑さを控える効果と冬では寒さを抑える効果がある。カヤを引くことによって、保水力や保温力が向上するのみならず、土壌の微生物が保護され、カヤに含まれるエンドファイトと呼ばれる有用微生物が土中に入る。カヤの体積は1年で10%に減り、春に10 cm厚さのカヤは1年間立つと10分の1の1 cmのみ残ることになる。毎年新しいカヤを引くことによって、従来の土地の上に腐蝕に富む土壌が生まれるようになる。急傾斜地では土が下に崩れることがあり、これを防ぐため、「サエラ」という独特の道具を使って、土を少しでも上にあげ、山の傾斜地の土の流出を守っている。そして、傾斜地農業を持続的に営むには、カヤ場を確保し、カヤを使用することが必須条件である。この農法は山の資源を最大限に生かすという思想に基づいた自然循環系の伝統農業である。

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阿波傾斜地農村で

徳島市内から穴吹き町口山渕名へ向かって車で移動した。高速道路沿いの両側は、紅葉により鮮やかに彩られた山々が脈々と続いていた。さらに印象的だったのは高速道路から離れて穴吹町から続く急傾斜の山道だった。道は秋の落ち葉で覆われて黄色に満ちており、まるで漫画の中にいるようだった。

現地で伝統的傾斜地農業に携わっている小泉さんのお宅を訪問し、お話を伺うとともに、村内を案内していただいた。小泉さんが住んでいる村は標高450メートルに位置し、60戸数100人程の人口である。村民のほとんどは60歳以上であり、学業年齢の子どもがほとんどいない高齢化社会である。村人は主に年金生活であり、自宅で野菜などを育てている。副業として農産物を道の駅で販売している人々もいる。また製薬会社と契約して、薬草などを栽培している農家もいる。

小泉さんは阿波剣山傾斜地農業が世界農業遺産に登録されたことをきっかけに、村で「農家レストラン風和里」とゲストハウスを設立し、山頂近くの傾斜地に展望台を作った。もともと高齢者の村の農業が世界農業遺産に登録されることによって、たくさんの人々を見学や観光に呼び込むことを彼は考えていた。レストランとゲストハウスの庭では、大根、ネギ、白菜、かぶ、ブロッコリーなどを栽培して、お客さんに自家栽培野菜を提供している。レストランでは本業の他に、障害を持つ方が作成した手作り品の小物を入り口付近に展示して販売している。そして、障害を持つ方も働いている。ゲストハウスは山に面している傾斜地の上に建てられ、リビングルームから直接見られる山の景色は息を飲むほど綺麗だった。ゲストハウスでは次郎柿の乾燥フルーツを試作しており、甘い柿チップスを食べながら、綺麗な山の景色を眺められることは、本当に贅沢の中の贅沢だと思った。

展望台の近くにカヤ場があり、2メートルほどの高さがある「コエグロ」のカヤ束が置かれていた。展望台からゲストハウスに向かって降りていく道沿いに、人の手が届かない畑が草むらになっている風景が見られた。高齢者人口の村で年々傾斜地農業をする人口が減っている現実をみて、若者のいない村では、先祖代々受け継いできた農業法や農地が今後どのように継承されていくのだろうかと考えた。幸いなことに、阿波世界農業遺産に登録されたことによって、外国人留学生たちが、見学を兼ねボランティアをしに短期的に村へ来ることもあるというお話を聞いた。ただし、今後農業遺産を長期的、持続的に伝承していくためには、若者の人手が必須だ。

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阿波世界農業遺産を見学した後、高知のきゅうり農家さんのハウスを見学した。阿波世界農業遺産と違って、きゅうり農家は山の麓にあり、四方山に囲まれているため、風の流れが悪く、季節や気温に応じて、甚大な害虫被害がもたらされることがある。この農家さんは最新の光による害虫駆除装置を導入して以来、大幅に害虫被害を減らすことができた。したがって、農薬の使用を大幅に減らすことができた。

見学したきゅうりハウスでは、害虫駆除以外にも、送水やハウス内の温度管理や送風が機械で行われ、機械の管理と機械が届かないところは人間の手で補い、家族のみで管理することが可能になっている。

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考察

四国研修を通して出会った農家の方々は、伝統農法を元に次々と新しい農法を趣味レベルで実験して開発しており、科学的にも良い結果をもたらしていることが分かった。彼らは自己のためというより、みんなのためという精神をお持ちの方々であり、自分らが発見した農業技法を実践したい人々に対して、快く教えようとする意志が伝わった。今のグローバル社会において、阿波の世界農業遺産の伝統的傾斜地農法を伝承する一つの形として、日本以外の地域で普及させることが考えられるのではないか。今農業人口が減少している中、グローバルに伝統的な農法を伝承することで、地域に人を呼び込み、活性化に繋がるのではないか。

今回の研修では、機械を一切使用していない阿波世界農業遺産の剣山系の農法と最新の機械を使って農耕する近代農法を比較してみることができた。私が現在所属している多文化共生人間学が育てるべきは、異なる文化の間で必要な場所へ必要なものを持っていける架け橋のような人材である。そして、私自身も阿波農業遺産を見学した場所に戻り、実習企画を作って、現地で行い、ミャンマーのチン州の焼き畑に阿波農業遺産の伝統的傾斜農業の方法を導入していける機会やつながりを作れたら良いなと思っている。

参考文献
永井英影(2018)『カヤに恋して「家庭菜園のすすめ」』徳島県剣山世界農業遺産支援協議会

カヤ:チガヤ、スゲ、ススキなどの総称。カヤ場:用途によって茅葺屋根に使うカヤ場と傾斜畑に施用するカヤ場に分別。