「演習V福島研修─3・11、そこからどんな未来が開かれるのか?─」報告 芝宮 尚樹

「演習V福島研修─3・11、そこからどんな未来が開かれるのか?─」報告 芝宮 尚樹

日時
2018年11月15日(木) - 16日(金)
訪問先
福島県内各所、帰還困難区域など
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクトN「科学技術と共生社会」

研修二日目、11月16日の午前中に小豆川先生のアテンドのもと、富岡町および大熊町の帰宅困難区域を見学したが、そこでの経験は奇妙なものであった。目の前の現実が「膜のようなもの」で隔てられていて、十全と事態を理解することができない感覚を抱いた。この報告書では、帰宅困難区域の中で私自身が覚えた「膜のようなもの」の感覚を手がかりに、希望という観点から福島をめぐる科学と社会の関係について考えてみたい。

【「膜のようなもの」と〈福島のイメージ〉】

私と帰宅困難区域の間を隔てていた「膜のようなもの」の感覚を言葉にするのであれば、目の前の様子は確かに認識されているのだが、それを上手く感じたり考えたりすることができないという感覚であった。これにはいくつかの理由が考えられるだろう。防護服とマスク越しに帰宅困難区域の様子を経験・観察していた、チェックポイントを抜けて帰宅困難区域に入っても景色が目に見えて変わるわけではない、むしろ気持ちの良い秋晴れの下にのんびりとした緑が広がっていた、防護をしていない作業員の方が乗っている車にすれ違うと自分たちが大げさなことをしているように感じた、線量計の数字は東京と比べたら確かに高いが短時間の滞在では問題がないであろうと科学的に理解していた、東大理系の先生3名が同行していたので不安を覚える余地がなかった、オーガナイズされた短期の滞在で「観光」のようになってしまっていた、これまでにも帰宅困難区域の複製されたイメージをテレビやSNSで見ていた、など。いずれにしても、眼の前の帰宅困難区域の何をどのように感じ考えたらいいのかがよく分からず妙に冷静でぼうっとしてしまったという、私自身の主観的な感覚を本報告書の出発点にしてみたい。

もちろん、帰宅困難区域の「問題」を明瞭に考えることは可能である。避難指示の解除をめぐる政策論として、科学的な放射線の知識と人々の誤解の間のリスクコミュニケーション論として、あるいは非均一的な空間線量と除染に関する放射線科学論として。こうした論点は、研修でお話を伺った方々との間でも話題になったし、また研修参加者の間でも移動中の車内において常に議論された。これを踏まえるのであれば、「膜のようなもの」によって隔てられ上手く理解することができなかった帰宅困難区域をめぐる事態は、政策論・リスクコミュニケーション論・放射線科学論といった個別の領域に分かれる手前の次元に位置するのではないだろうか。既存の知識の観点から、その知識の範囲外の事物を除外した上で、その知識が扱いやすいよう現実を整理してしまう前の次元である。この次元を〈福島のイメージ〉の次元とでも呼んでおこう。「膜のようなもの」というのはあくまで私自身の個人的な気づきであったが、それを通じて見出されるこの〈福島のイメージ〉の次元はより普遍的なものであるだろう。

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【問題とともに・・・あること】

ところで、今回の研修で印象付けられたもう一つのことは、福島の問題を解決する方法だけではなく、福島の問題とともに生きる方法の重要性である。例えば富岡町3・11を語る会では、避難指示が解除されても過疎化によって住民がなかなか帰らないことを伺った。また、福島県農業総合センターでは、いつになるかわからない将来の輸出規制解除に向けて、毎日運ばれてくるたくさんの農産物の放射能測定を、職員の方が淡々とこなしている姿を見せていただいた。JAEA楢葉遠隔技術開発センターでは、現在は原発廃炉に必要な新しい技術の研究開発のフェーズであり、したがって廃炉までの道のりは決して短くはないことを理解した。さらに原発周辺の土地に置かれた黒色のフレコンバッグ──この袋の中には、除染で剥がされた放射性物質を含む表土が詰められている──の山を見ると、そもそも何をもって解決ということができるのかという問いに直面した。

仮に、政策的あるいは技術的に問題を解決することができるのであれば、おのおのの分野において問題を構成・分析・解決していけばよいということになるだろう。しかし今回の研修で印象に残った事態は、問題の解決が新たな問題を生んだり、問題の解決に非常に長い時間がかかりそうであったり、そもそも解決が原理的に不可能であるような事態であった。であるならば、現実的に問題に対処し具体的な解決策を立案し実施していく作業とは別に、問題とともに生きる方法について考えることが求められているのだろう。そのためには、ともに生きる対象としての〈福島のイメージ〉が多用なアクターに共有されていることが必要不可欠になるだろうし、そのイメージは希望に満ちたものでなければならない。

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【知識を揺さぶること、そして希望】

人類学者の宮崎広和によれば、希望とは、単に明るい未来が待っているという素朴な「楽観主義」ではなく、〈まだ−ない〉未来に向かって固定的な知識を揺れ動かし開いていく「方法」である(宮崎 2009:4)。本報告書の文脈に即して考えるならば、いかにして知識を揺さぶり希望に満ちた〈福島のイメージ〉を立ち上げることができるか、という問いが問われていることになる。

本研修では、福島再生エネルギー研究所とJAEA楢葉遠隔技術開発センターという二つの大規模な国の研究施設を訪問し、研究開発中の技術について説明を受けた。質疑応答の中で印象付けられたのは、「科学の側」の「科学的知識」へと閉じこもる傾向であった(cf. ラトゥール2008)。話題が法制度やローカルな政治との接点に近づくと、「あくまで我々は科学者集団ですので」といった語り口で、直接的に科学と社会の接点を議論することを避けるような動きが何度かあった。

一方の「社会の側」にも「文化的知識」へと閉じこもる傾向があるのだろう。本研修は県や国の公的な施設の訪問が中心であったので想像で補うしかないが、汚染水などを巡って科学的な知識の欠如ゆえに議論の前提が成立しないことや、風評被害といった現実には、「社会の側」の「文化的知識」への閉じこもりが背景にあるのではないだろうか。

「科学の側の科学的知識」への、「社会の側の文化的知識」への閉じこもりを踏まえた上で、希望について考えるのであれば、こうした個別の領域に固定されそうになる知識を揺さぶるところに希望の源泉があるのでないだろうか。科学的知識を社会の側へ、文化的知識を科学の側に動かすことで、「科学」と「社会」──さらに細かく、「基礎研究」・「技術」・「政策」・「経済振興」など──に分かれる手前の次元に位置していて「膜のようなもの」に隔てられている〈福島のイメージ〉を、共有可能なものとして作り上げていくことができるのではないだろうか。これは、福島から実際的な希望の形を学び、広げていく唯一の方法のように思われる。

以上、本報告書では「膜のようなもの」という個人的な気づきから、希望に関して福島をめぐる科学と社会の関係性について考察した。エッセイ風になってしまったが、エッセイというスタイルそれ自体が、知識を狭い領域に限定しないで「膜のようなもの」の奥にある〈福島のイメージ〉を思考する方法であった。

最後に、訪問先の方々のご厚意のおかげで、今回の研修は実りあるものとなりました。わたしたちのために貴重な時間を割いて現場を案内していただき、率直な意見を交換してくださった方々に感謝の意を表明したいと思います。ありがとうございました。個人としても、リーディング大学院プログラムとしても、今回の研修で得た学びを、研究及び社会実践に活かしていきます。

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【参考文献】

  • 宮崎広和(2009)『希望という方法』以文社。
  • ラトゥール、ブルーノ(2008)『虚構の「近代」──科学人類学は警告する』川村久美子訳、新評論。

報告日:2018年11月16日