「民俗学を活かした地方創生研修」 報告 須藤 美恵

「民俗学を活かした地方創生研修」 報告 須藤 美恵

日時
2020年2月8日(土)~10日(月)
場所
徳島県三好郡東みよし町
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクトH「生命のポイエーシスと多文化共生のプラクシス」

本研修では、民俗学者の山泰幸教授(関西学院大学)による徳島県三好郡東みよし町における10年におよぶフィールドワークの成果を辿った。これらは、平成21年から東みよし町元職員でかつ、現在地元でNPO法人三好素人農事研究會の理事長をされている島尾明良氏を中心に、町役場のプロジェクトチームと共に創り上げてきた活動であり、それらの歴史を紹介いただきながら、主要な拠点や周辺地域の観光資源を案内いただいた。地域を歩き、食し、生産の場や過程を拝見し、地元の方々と言葉を交わし、日々の暮らしの中で新たに産出されつつある地域資源を、2泊3日の短い時間ではあるが垣間見ることのできる貴重な機会であった。

徳島県三好郡東みよし町は、徳島県の西部に位置する「にし阿波」という地域で、北に讃岐山脈、南に四国山地を望み、その合間を走る吉野川沿岸に位置する平野部と、そこから山間に点在する集落によって成っている。人口14, 285人(R2.1.1現在)、市役所の職員さんのお話によれば山間には15ほどの集落が点在しており、40度ほどの傾斜地での農耕や狩猟をしながら10~13代に渡って生活様式を受け継いできた人々がいる。

初日の見どころは、町の平野部に位置する加茂の大クスであった。樹齢1000年余りという巨大な楠の木である。車を降り立った一行は、大クスのそびえる枝葉の影よりも2~3まわり大きい空き地を一周し、その傍らに大楠保存の拠点として古民家を改造して造られた「大クスハウス」にて、保存に関わった地元の保存会と山教授のプロジェクトチーム、および東みよし町の取り組みについて島尾さんよりお話いただいた。このお話の中で印象的だったのは、防災としての取り組みが、町おこしの仕掛けに使われていたことである。高齢化と過疎の問題と、防災を結び付けることで、各世代へのアプローチが可能になる仕組み。そして、その各世代が集える場として今回紹介されたのが、加茂の大クスというシンボルと、哲学カフェであった。山先生によれば、経済状況や人口動態の状況によって変化を強いられる地域の現状とは対比的に、何千年という時を経てなおそこに鎮座する大楠というシンボルは、この地域の創生に必要な要素であったという。そこで祭りを行い非日常の空間を共有すること。そして、哲学カフェは、日常において集える対話空間の創生の実現であり、これらの2つの場所と防災という実務的な活動を組み合わせて、地域のネットワークをじわじわと拡げることを試みているのがこの民俗学を活かした地方創生という方法であった。

プロジェクトの展望を伺った後に、一行は吉野川ハイウェイオアシスを訪れ、美濃田の湯のお湯をいただき、初日宿泊予定の民宿うり坊に向かった。この民宿は平野部を取り囲む山の中腹に位置し、12代続く農家であったそうだが、その民家の一部を改装して宿を営んでいるとのこと。玄関をくぐると土間の囲炉裏があり、靴を脱ぎ80センチメートルほどの上がりを登って、畳の広間にはすでに宴会の席は用意されていた。たくさんの美味なジビエ料理がオーナーの笑顔とともに振舞われた。料理の中では特に、新鮮な野菜やキノコ類と共に、この民宿で捌かれた新鮮な猪のばら肉の薄切りが彩る牡丹鍋が美味であった。こちらの料理は、約10年ほど前からオーナーが独自に開発し、徐々に洗練されたものへと変化を遂げているという。猪や鹿の肉は臭みがなく、とても柔らかい。私たち一行がお皿や鍋に箸を伸ばしている間、オーナーは座敷の入り口でその様子を伺っているのだった。白菜の甘みが抜群ですね、とお伝えすると、この傾斜地に流れる水の特徴によってこの野菜が生まれるのだ、と説明してくれた。高地の気候の中、多すぎずむしろ枯渇気味に流れる地表近くの層と地下水脈があるという。この傾斜地の水分の供給と水はけにはバラツキがあり、ここの野菜たちは、水の枯渇と潤沢さの双方を経験することによって、甘みを蓄える。枯渇を耐え忍ぶ頑健さと、水が流れたときにそれを逃さずに吸収するための柔軟さがこの環境から培われているのではなかろうか。鍋の中で柔らかく煮られた白菜を箸でつまみ、その葉としての特徴をみてみると、私が通常接している東京のスーパーの白菜よりも、葉脈が太く見えた。こうした形態の変化は、一時の影響で生まれるものではなく、繰り返し環境に暴露される中での適応の帰結として起こるので、この土地の特徴がこの野菜のうまみを生み出しているのだと言える。翌朝には、宿のオーナーが自ら捌いている鹿や猪の骸骨を拝見したのだが、それらの骨には傷ひとつなく、肉を無理やりに引き剥がそうとすると傷がつくが、ここでは、肉を頂いた後の骨を田畑に一定期間埋め、微生物によって分解されるのを待つ、そのためこのように綺麗に骨だけが残るのだ、と説明頂いた。現在、鳥獣被害として疎まれることの多い猪や鹿などの山野の動物たちであるが、伝統的に共存する文化が育まれた土地の風習が残る場所においては、その恵みを活かす知恵と敬意が、今も残っているのだ。

2日目は祖谷方面の観光に再び町の公用車で案内頂いた。観光コースである。東みよし町よりも更に西に向かい、そして途中で南に折れて山深い渓谷の隙間を縫いながら、私たち一行はかずら橋、平家の家やお墓などを見学した。いずれも観光地というのは観光向けに整備されればされるほど、地の固有性が消去されてしまい面白さが減少していく側面があるが、ここもそういう意味では例にもれない印象を受けた。利便性や安全性が優先された観光化は、土地の固有性を消去してしまう。この夜には、懇親会が催された。案内された場所を辿っているだけだと、町の素顔が見えない。思い切って、職員さんの1人に町の一番の問題点はなんでしょうか?と尋ねた。吉野川ハイウェイオアシスの赤字が深刻であるとのこと。これも観光地化の1つの負の遺産であろう。

3日目は、山間にある集落のひとつで、山教授のプロジェクトで復活させた農村舞台の場所となった法市集落を訪れ、干芋つくり体験、ヘリポート見学、農村舞台見学をした。山頂のヘリポートは、集落で孤立した世帯の有事に備えたものであるとのことだが、集落民の1人がイニシアチブをとり作ったのだという。昼食は、集落の皆さんが集まってくれ、一緒にお弁当を食べた。皆さん80歳を超えた方々で、男性が1人、その他は女性で、一人暮らしをしている方もいらっしゃった。互いに下の名前にチャン付けで呼び合っているのが不思議であったが、この辺りはそれが普通なのだという。同じ苗字も多く、昔はいとこ同士の結婚も多かったとのこと。皆さんにどの辺りに住んでいるのかと尋ねてみると、「私は上」「私は下」「私は右下」「私は横」とそれぞれに言う。方向感覚がとてもシンプルだ。集落では昨年、一気に7人が亡くなったという。どんどんと連れ合いが死んでいく高齢過疎の村、と想像してしまえば先細るわびしさがあるが、ポンポンと交わされる会話を聞きながら、自然な調子で気さくにこちらにも話しかけてくれる輪の中に混じっていると、寄り合う暮らしの中で生まれた呼吸のリズムがあるような気がして、暗さなどは感じられなかった。この集落には、手作りの干芋を売り出している60歳代の若手がおり、「法市の干芋」として、絶賛売り出し中であった。この60歳代の若手は、この昼食の席でここの干芋は芋にかけている手間や質に比べて、値段が比例していないと、皆に説く場面があった。山を滅多に下りずに農業に勤しむ皆は、世間におけるその適正な価値がわかっていないと言い、法市の干芋のブランディングはもっと展開できるというのである。すでにこの「法市の干芋」は、大手の百貨店で、70g×3=3,780円で販売されている。この昼食の席では試食の芋をたくさん振舞ってもらったのだが、60歳若手の説教なんぞどこ吹く風で、持っていけと、袋にどーんと干芋をくれる80代畑のベテランのおばあちゃんたちのその笑顔には、干芋が遠くの都会で高値で売れることよりも、この山に訪れた私たちとの遭遇に喜んでくれている様子が伝わってきた。帰りがけ、久々に会った孫を見送ってくれるかのように、曲がった腰つきと、ゆっくりとした足取りで見送りに出てきてくれる様子を見ながら、田舎の排他性がここにもあるとは聞いたが、それには当てはまらない、この集落の人々のオープンさが名残惜しく感じられた。
今回の研修は、地方創生というキーワードのもと、町の職員さんと共にした旅路であったので、東大生にお知恵を拝借したいといった期待を地元の方達より感じられて、いやはやどうしたものか、と思案しながらの道中であった。大した知恵は滞在の間に生み出すことができなかったが、この報告書を書きながら今一度振り返って思い出してみよう。「また来たい」と思わせるのものは何だっただろうか?私にとっては、観光資源の豊かさそのものよりも、集落の人々の暮らすリズムや、今ここにしかないと思わせるような空気感に出会ったことのような気がしている。世界農業遺産に認定されるほどの特徴的な農業様式でありながら、実際にその山々に暮らす人からは、そのような自負は感じられず、むしろ自覚がないと言える自然さと朗らかさ。この土地で育つ白菜のように、傾斜地に暮らす人々は、独特の生活様式やリズムの中でその固有性を発達させてきている可能性があり、おそらく彼らの生活の中には、この傾斜地で暮らすための習慣化された特徴的な身体動作がたくさんあるのではないか、と連想することができたが、それらは未だ十分に平野部の人々に可視化されていないのではなかろうか。この短期の研修期間の中では、そこまでの深みを明らかにする術を見出すことはできなかったが、山中のこの傾斜地だからこそ存在することができている、ユニークで面白いものは、まだまだ発掘されずにこの地に潜んでいるのではないかと思った。既に山教授の研究において法一集落について明らかにされている点はあるだろうが、集落間の関係性なども興味深いところである。

地方創生において、遠くの人々を惹きつけるわかりやすい観光資源はある程度必要であるとしても、そこと深みのある傾斜地の暮らしを結びつけて循環させるようなローカルな仕組みがあると、より一層面白いのではないかと感じた。

稚拙ながら、報告書をここに閉じたいと思う。今回の研修にご尽力くださった先生方、地元の皆様に大きな感謝の気持ちを伝えたい。

報告日:2020年2月12日