「障がい者アートの現場から研修」報告 加藤 大樹

「障がい者アートの現場から研修」報告 加藤 大樹

日時:
2019年11月27日(水)、12月4日(水)、12月11日(水)、12月18日(水)
場所:
東京都東村山市「希望の郷 東村山」、東京都小平市「白矢アートスペース」
主催:
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)
教育プロジェクトH「生命のポイエーシスと多文化共生のプラクシス」
協力:
東京都社会福祉事業団「希望の郷 東村山」

2019年12月12日から17日にかけて、東京都小平市にある白矢アートスペースで障害者アートの展示会「からんどりえ展」が開催された。この絵画作品展は、東京都東村山市の障害者支援施設「希望の郷 東村山」の利用者の方々が、施設の絵画活動で制作した作品を発表する場である。この活動に東京大学大学院リーディングプログラムIHSからプログラム生2名が参加し、11月下旬から12月中旬にかけて、「からんどりえ展」の開催に向けて準備を進めた。本報告では、絵画活動ボランティアから作品展の終了・搬出に至るまでの一連の活動について、個人的な振り返りや解釈も交えつつ報告する。

1. 絵画活動ボランティア

「からんどりえ展」の主催団体である社会福祉法人東京都社会福祉事業団「希望の郷 東村山」(以下「希望の郷」)は、都内の数少ない障害者支援施設の一つであり、そこには強度行動障害、重度の自閉症、てんかん等の重度・最重度の知的障害をもった方々が入所・利用している。そしてこの「希望の郷」では、10年ほど前から利用者の方々が日中活動として絵画活動をおこなっており、その成果が「からんどりえ展」で発表される。東大IHSのプログラム生は今回の「からんどりえ展」のプロジェクト参加にあたり、作品制作の現場を知るためにも、まずは「希望の郷」の絵画ボランティアとして絵画活動の手伝いをおこなった。なお、筆者は11月下旬と12月上旬の2度、絵画活動ボランティアに参加している。以下ではその概要について述べる。

「希望の郷」は小平駅から徒歩10分ほどの住宅街の一角に位置しており、絵画活動はその施設内の一室で週に一度、昼下がりの時間帯におこなわれる。一回目の絵画活動ボランティアをおこなう前に、「希望の郷」職員の松井潤さんから施設の説明や注意事項を受けた。注意すべき点として、利用者の方々は重度・最重度の知的障害を抱えているため、はっきりとコミュニケーションをとれる人は少ないということ、また人によって好きな距離感が異なるため、最初は職員等による紹介も聞きつつ徐々に接し方を見極めた方が良いということなどを教えていただいた。筆者自身、重度・最重度の知的障害を抱える人に接した経験がなかったため、この時点ではかなり緊張していた。その後、汚れてもいいように服を着替えてエプロンをつけ、絵画活動がおこなわれる教室に向かう。

教室に入ると、壁や床のそこら中に絵の具のしぶき、クレヨンの破片、マジックペンのインク跡などがこびり付いており、そこにはカラフルな空間が広がっていた。「希望の郷」の絵画活動は2部制をとっており、1回に15人前後の利用者の方々が教室に集まって、40~50分ほど絵画活動をおこなう。その後、前半と後半の交代の時間を挟んで、また別の利用者の方々が同じように絵画活動に取り組む。現在、「希望の郷」には渡邉知樹さんと尾関立子さんという2人の絵画講師がいて、それぞれ週替わりで絵画教室を担当している。また絵画講師1人の他に、毎回施設の職員が5人ほど教室に来て、利用者の方々の絵画活動をサポートする。絵画ボランティアの主な仕事は、エプロン着用の手伝いや画材の用意・後片付けなどであり、それ以外の時間は絵を描いている利用者の方々に声をかけ、作品の感想を伝えたり、絵を描くように促したりする。実際、ボランティアとして活動する時間のほとんどは、利用者の方々とのコミュニケーションにあてられる。

絵画活動の時間になると、利用者の方々が教室に集まってきた。利用者の中には、床の境界線(引き戸のレールなど)をなかなか跨ぐことができない方、お腹を出して虚空を見つめ続けている方、激しく筆を振り回して絵の具を飛び散らせることで絵を描いている方、ただ黙々と絵本を参考に動物を描き続ける方など、様々な人がいる。彼ら彼女らが描く絵も多様で、マジックペンで幾何学的な模様や文字を書いている人もいれば、たっぷりの絵の具で画用紙一面を塗りたくる人もいる。どこからか習得したのか、はたまた先天的なものなのかはわからないが、いずれもそれぞれに固有のスタイルがあり、その多様性と一貫性に絵画やアートの奥深さが垣間見える。

絵画教室の最中に特に気になったのは、教室内でおこなわれていた創作活動の「騒々しさ」だ。教室内のあちらこちらで様々なコミュニケーションが発生し、作業の時間中、静かに机に向かい続ける人は少ない。最初はそれに戸惑いもしたが、少し時間が経てばその場のコード(行動規範)にもすぐに慣れ、参加者の振る舞いに対する違和感は徐々に薄れていった。一般に絵画活動というと黙々と絵と向き合う個人作業というイメージが強いが、「希望の郷」の絵画活動はそうではない。そこでは、その場の「騒々しさ」が象徴するように、施設職員や絵画講師と利用者の方々による集合的なコミュニケーションの中から作品が生まれている。そしてこうした教室内のやりとりは創作活動を妨げるものではなく、むしろ創作活動に欠かせない要素の一つとなっている。このような制作プロセスの特徴、すなわち共同作業的な創作活動のあり方は、障害を抱えて生きる人々の、日々の生活のあり様を大きく反映したものであるといえるだろう。今回、絵画活動ボランティアとして制作の現場に入ったことで、利用者の方々の絵画活動だけでなく、その背後にある彼ら彼女らの「日常」の一端にも触れることができたように思う。

2. 「からんどりえ展」の開催

2度の絵画活動ボランティアを終え、いよいよ「からんどりえ展」の準備にとりかかる。そもそも「からんどりえ展」というのは、10数年前に「希望の郷」で絵画講師をはじめた南椌椌さん(現在も絵画活動ボランティアとしてたまに顔を出している)が、せっかく絵を描いたならその発表の場が欲しいと考え、小さなギャラリーで作品展示会を開催したところから始まっている。今回は最初の展示会から数えて第10回目の「からんどりえ展」であり、初めはごく少数で試行錯誤をしながらなんとか開催していたのが、今では施設内外の協力者の数も増えて、展示会の認知度も高まりつつある。第10回の「からんどりえ展」の会場となるのは、小平駅と「希望の郷」の中間に位置する「白矢アートスペース」だ。2階建てのギャラリーで階段部分は吹き抜けになっており、真っ白な内装と大きな窓から射し込む陽射しで、明るく開放感のある内観となっている。なお「からんどりえ展」では、1階が作品カレンダー等の物販の販売スペースで、2階が絵画作品の展示スペースとなっている。

東大IHSのプログラム生は、「からんどりえ展」開催前日の12月11日に作品展示の手伝いをおこなった。利用者の方々が制作した作品数がかなり多いため、作品展示は2階の壁一面にびっしりと並べるようなスタイルを採用した。我々プログラム生の作業内容は、他の絵画活動ボランティアや施設職員と一緒に、膨大な作品の中から展示する絵画作品を選び出し、その配置を決めて作品を壁に貼り付けるというものである。展示作品の選択や配置は展示会の内容を大きく左右するため、責任を感じつつもその分やりがいのある仕事でもあった。一連の作業はかなり時間を要するものだったが、施設の職員や過去の「からんどりえ展」協力者の方々が次々と会場を訪れ、展示会の準備を手伝ってくれたため、時間内に作業を完了することができた。作業後にはプログラム生と絵画講師、施設の職員数人で懇親会が開かれたが、その場でも絵画講師や職員の方々は「からんどりえ展」をより良いものにするためにお互いの意見をぶつけ合い、ギリギリまで改善点やアイディアを話し合っていたのが印象的だった。

「からんどりえ展」は12月12日から17日の6日間開催され、14日には南椌椌さん含む絵画講師の方々によるギャラリートークや、「希望の郷」のダンス講師によるダンスパフォーマンスがおこなわれた。14日、筆者はプログラムの活動とは別で個人的に会場を訪れ、一般客としてギャラリートークやダンスパフォーマンス、展示作品を楽しんだ。その他にも、会場の一部では絵画活動の紹介動画が常に流れており、各作品の作家(利用者)に関してキャプションがついているパートも存在する。またギャラリートークの前には、実際に絵画活動に参加されている施設利用者の方3人に登壇してもらい、職員や絵画講師がその利用者の方々や彼らの作品を紹介するというコーナーもあった。絵画講師の方曰く、これらの仕掛けはいずれも「作品だけでなくてその背後に存在する人物や制作活動についても知ってほしい」「それによって、来場者の方々にはより深く、様々な角度から作品を眺めてほしい」との想いから導入したものである。実際に一般客として会場を訪れてみると、これらのコンテンツはどれも充実しており、作品鑑賞の導線として大きな役割を果たしていると感じた。上記のような展示会全体のデザインや実際の会場のにぎわいを総合して考えると、今回の作品展示会は一定の成功をおさめたと言えるだろう。「からんどりえ展」終了翌日の18日には、「白矢アートスペース」からの搬出・撤収作業を手伝った。作品の搬出作業は比較的早く終わり、その完了をもって本研修は終了した。

3. 「障害者アートを通して社会とつながる」ということ

筆者にとって、今回の研修の活動内容はどれもはじめての経験で、いずれも刺激に満ち溢れていた。しかし刺激的な経験というのは、経験者にとって常にポジティブなもの、常に気持ちの良いものだけをもたらすわけではなく、心の中にいつまでも消化できない、ざらざらとした違和感のようなものを残していくこともある。今回の研修中にも、居心地の悪さを覚えた出来事や、自他の言動が少し引っかかった瞬間が、何度かあった。最後に、研修中に耳にしたある言葉についての考察を述べて、本報告を閉じたいと思う。

12月14日、「からんどりえ展」で絵画講師たちによるギャラリートークやダンス講師によるダンスパフォーマンスがおこなわれた際、イベントのはじめに松島匡典施設長が「アートを通して社会とつながるという目的のもと、このような展示会を開催している」といった旨の挨拶をした。このようなフレーズは特に変わったものではなくて、これまでもよく耳にしてきたし、筆者自身、施設職員や家族以外と触れ合うことの少ない障害者の方々が、アートを接点にして一般社会とつながれることこそ障害者アートの魅力の一つだと考えてきた。しかし「障害者アートを通して社会とつながる」という言葉をよくよく考え直してみると、この言葉が意味することは不明確であり、またかなり曖昧であると気づく。特に「社会とつながる」という部分が指し示す内容は、かなりぼんやりとしている。

「障害者がアートを通じて社会とつながる」と言ったとき、多くの場合は、「普段障害を持っている人との接点をほとんど持たない『健常者=社会』が、アート作品を媒介としてその作者である障害者に目を向けることで、彼ら彼女らの生の豊かさや多様さに思いを馳せ、障害者に対する理解を深める」といったようなことを含意しているように感じられる。実際、「からんどりえ展」でもそのような意図のもとでいくつかの導線が用意されていたことは上ですでに説明したし、筆者自身も「障害者が社会とつながる」ということを「健常者が障害者をより身近に感じる、理解する」という意味で解釈し、それが大切だと考えてきた。

しかしよくよく考えると、このような発想には問題もあるように思える。もちろん、このような考え方にも一定の価値があるということを認めた上で、それでもそこには大きく2つの問題があると考えられる。第一に、アート作品を通した作者(障害者)の理解ということがそもそも可能なのか、可能だとしてもそのような「理解」の形は望ましいものなのかという問題がある。障害者アートを通した障害者の理解においては、どこまで深い理解が可能なのか。鑑賞者が理解した気になっているだけで、実際は既存のステレオタイプを強化しているということもありうる。したがって私たちは、上記のような言説については慎重に考えなければならない。第二に、上記の言説は「健常者による障害者の理解」を強調した結果、健常者と障害者を明確に区別し、障害者の抱える「障害」を彼ら個人の問題として片付けてしまう危険性がある。「障害の社会モデル」によると、障害者の抱える「障害」というのは、障害者個人に帰属する何かしらの欠点や欠陥のことではなく、社会が形作った障壁や差別、無配慮によって、障害者とされる人々が被る不利益のことを指している(杉野 2007)

したがって障害者の抱える生きづらさや問題を解決するためには、それを抱えている障害者個人ではなく、生きづらさをもたらしている社会の方を問題化しなければならない。しかし、「<われわれ=健常者>が<彼ら=障害者>を理解する」という図式の中では、焦点が障害者のみに置かれており、そこからわれわれの暮らす社会にも目を向けて、そのあり方を反省し直すという視点を得にくくなっている。

「障害者がアートを通して社会とつながる」という時は、「健常者が障害者を理解する」という考えだけでなく、「障害者と健常者がともに暮らす社会全体の問題として、障害者の問題を位置づけ直す」ということも考えておく必要があるだろう。そのように考えると、「からんどりえ展」のような障害者アートの展示会でも、障害者に対する理解を促進するような導線だけでなく、来場者が自分の生きる社会(自分自身の身の振り方)を振り返ってしまうような仕掛けも必要なように思える。今回の研修を通してこうした新たな見方を獲得できたということは、個人的に大きな収穫だったと思う。

最後にこの場を借りて、「からんどりえ展」の開催に向けて尽力し、そのプロジェクトに我々を温かく迎え入れてくださった「希望の郷」の松井潤さんはじめ職員の方々、絵画講師の渡邉知樹さん、尾関立子さん、そして南椌椌さんに心より感謝申し上げます。

[文献]
杉野昭博『障害学──理論形成と射程』, 2007年、東京大学出版会

・関連リンク

「希望の郷 東村山」
https://www.jigyodan.org/kibounosato/(2020年2月6日より)