「沈壽官氏講演会「陶房雑話」」報告 金 希妍

「沈壽官氏講演会「陶房雑話」」報告 金 希妍

日時:
2019年9月11日
場所:
東京大学駒場キャンパス18号館 コラボレーションルーム1
主催:
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクトH「生命のポイエーシスと多文化共生のプラクシス」

9月11日、東京大学駒場キャンパス18号館のコラボレーションルームにて、沈壽官さんを招いて講演会が行われた。沈壽官さんは日本でも幅広く知られている「薩摩焼」を代表する窯元の家に生まれ、現在はその15代目として活躍されている。本講演会では、「薩摩焼」の歴史から始め、沈家の歴史、そして沈さんご自身がその長きに渡る歴史と伝統を受け継ぐまでの、生々しいライフ・ヒストリーを中心に行われた。その中でも、本報告書では沈さんご自身が職人の道を継ぐまでの経緯と、その経験から沈さんが考える「多文化共生」とは何か、について内容をまとめて記述する。

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豊臣秀吉の朝鮮出兵をきっかけに、朝鮮から日本へと連れ去った朝鮮出身の陶芸職人たちにより誕生した「薩摩焼」は400年が過ぎた現在でも続いている。沈さんは、その中でも著名な窯元の家に生まれた。日本で生まれ鹿児島県で育った。家業を継ぐという大きな課題を幼い頃から常に意識していた沈さんは、当初、「自分に職人としての才能はあるだろうか」「沈という名前と歴史を背負って今後生きていけるだろうか」と、いくどとなく煩悶したという。大学に進学し卒業するまで、沈さんが抱いていた自らへのアイデンティティへの問いは続く。特にアイデンティティについて、二つの選択の中から選ばなければならないと考えていた若き頃の沈さんは、自分が生まれ育った故郷である日本と、韓国という自分の先祖や自分の血に流れている国との間で長い時間葛藤していた。両国とも自分にとっては大切な存在であり、片方を切り捨てることはできない。ならば自分はどうすればいいのか。何度も何度も考えていくうちに、沈さんがたどり着いた結論は、「日本か、韓国か」ではなく、「日本も韓国も」自分自身のアイデンティティであることを受け入れることであった。両国を背負って生きていくことは、一つの大きな強みであると認識することの大事さに気付いてから、沈さんは従来とは異なるものがみえるようになったという。

そういう経緯から、いま現在、沈さんを引っ張ってくれているのは、「今の現状にしばられることなく、『私』という個人の人類として生きていく」という信念である。それは、以前沈さんが作家の司馬遼太郎さんとの出会いから頂いた言葉、「Transnation(両国を行き渡る架橋)ができる人物になること」からも影響したものである。「国家の違いではなく、水が、風土が違うだけであり」、「真の愛国はTransnationできる人物である」という司馬さんの話から、沈さんは自らの信念を自分自身だけではなく、その周りの人たちにも伝えてきた。

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おそらく沈さんが考える「多文化共生」への道とは、こうした自分から他者へとつなぐアイデンティティへの認識なのではないだろうか、と本講演会を通じて筆者は考えた。同時に、彼の物語は人々の移動が常に行われ、もはや国境・国籍などの法律に定められている境界がはっきりみえなくなった現在を生きている私たちにも呼びかけているのではないかと感じた。

「多文化共生」の道は、その目に見える枠に自らをしばることも、しばられることもなく、堂々と自分らしく生きていくことから始まるものであるのではないだろうか。そうした自分をまず認識できてから、周りをみることが、「多文化共生」への第一歩になる。「多文化共生」をめぐる一つの方向を沈さんの講演会を通じて学ぶことができたと考える。