2019年度イタリア研修「イタリアで考古学を体験する」報告 岑天霞

2019年度イタリア研修「イタリアで考古学を体験する」報告 岑天霞

日時
2019年9月7日(土)〜15日(日)
場所
イタリア、ソンマ・ヴェスヴィアーナおよびその周辺
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクトH「生命のポイエーシスと多文化共生のプラクシス」
協力
グローバル地域研究 地海地域研究部門

1、企画の概要

本報告は、2019年9月7日から15日まで、東京大学大学院IHS・教育プロジェクトHの「イタリアで考古学を体験する」をテーマとした研修について記すものである。今回の参加者は、IHSプログラム生の大学院生4人、学部生5人、ティーチングアシスタント1名と同行した村松真理子先生、山崎彩先生、合わせて12人である。

本研修では主にイタリアのヴェスヴィオ山麓地域で考古学の体験と発掘現場の見学を行った。活動は主に以下の四つであった。

①ソンマ・ヴェズヴィアーナにある発掘現場で実践実習
②ナポリにおける都市見学
③ポンペイにおける遺跡見学
④考古学に関するレクチャー

今回の研修のテーマは考古学の体験だが、考古学は、その地域の地理、歴史、文化、言葉、さらに現代の都市などの様々な方面と繋がっている。本報告は、研修の中で私が関心を持ったこと、また、今後の自身の活動について考えたことを記述したいと思う。

2、考古学に関して

私たちは、現地で発掘している松山聡先生、杉山浩平先生と岩城克洋先生から話を聞きながら、考古学の仕事を体験した。杉山浩平先生がソンマ・ヴェズヴィアーナにある発掘現場について紹介してくれたことによると、この遺跡は、おおよそ西暦紀元2世紀に建てられ、建物の方向や、図式から推測すれば、最初の使い道はローマ皇帝と関係している。その後、葡萄酒の工場として使われているかもしれないという仮説もある。また、紀元5世紀の大噴火で埋められたローマ時代の建物である。まだ全体の広さがわからないが、18年間の作業を通して、現在は6メートルの深さまで発掘している。

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図1 ソンマ・ヴェズヴィアーナにある発掘現場の様子

その後、先生の指導を受けながら、主に発掘と出土品を洗う仕事を体験した。この考古学体験を通して、考古について本来のイメージとは全然違う印象を持った。

それ以前は、考古学においては「何」を発見したかが一番大事なことだと思っていた。なぜならば、歴史教科書から歴史を学ぶとき、「何」が出土して、それによってわかった当時の生産技術について強調することが多く、出土する経緯とそれによって推測できる他のさまざまなことについては詳しく説明することが少ないからだ。たとえ博物館に行っても、綺麗に修復された文物そのものとその簡単な紹介が書かれているキャプションしか見えない。さらに、多くのメディアも、出土した文物の文化的な価値を強調するのではなく、どのくらいの価格で売れるかによって、その貴重さを示そうとする。

しかし、今回、実際に杉山浩平先生と岩城克洋先生の指導の下に発掘してみると、大事なのは「何を発見したか」ではなく、「何をどういう風に発見したのか」である。例えば、発掘の作業は、盗掘のように発見した物を掘り出してはいけない。発掘することは単に掘るのではなく、水平に地層を下げることである。そうすると、出土する遺物周辺の状況を確認できる。例えば、遺物が人為的に埋められた場合は、遺物を取り囲む土の色が他とは異なる。このような発掘調査でのノウハウを聞いて、とても勉強になった。しかし、実際に掘ってみると、考えていたよりはるかに難しかった。体力が足りないのはもちろんだが、掘りながら周りの状況を把握するために、観察力も鍛える必要がある。今回は、ちょうど私たちが見学しているときに、紀元1世紀前後と推測される地層から、新しい壁が出土した。これは、今までソンマ遺跡の中で最も古い建築物の一部と考えられる。私たちは主にこの周辺で発掘していた。最終日に、渡された地図上に加えられた新しい自分たちの発掘成果を見て、大変嬉しいと思った。

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図2 ソンマ・ヴェズヴィアーナ遺跡で発掘している私

3、考えたこと
(①学問に関して ②青柳正規先生のレクチャーに関して ③多文化共生に関して)

①学問に関して

発掘は研究と同じ

前に述べたように、発掘するときには、一筋に掘ることではなく、水平的に地層を下げることによって、「何をどういう風に発見したのか」を把握できる。よく考えると、発掘することは学際的研究をすることと似ている。私は学際情報学専門に所属していて、ひとつのところを深掘りすることより、常に周りの状況を見ながら、自分の掘っている場所との繋がりを考えたり、自分の掘り方を調整したり、さらに自分の研究の学問的位置付けを明らかにすることを心がけている。ひとつの課題の深堀りすることも大事だが、この常に変化している世界に向けて、自分の専門分野しか知らないことはハイリスクである。新たな発見ができるために、周りの状況を見比べることも大事だ。

考古学は学際的な学問

これまでは、考古学に関して歴史学と似たようなイメージが持っていたが、今回体験してみて、考古学も学際的な学問であると思うようになった。私から見ると、考古学は主に発掘、推測と、活用の三部分から成り立っている。歴史学、人類学の知識ももちろん必要、さらに、地理学、物理学、建築学などの知識がないといけない。例えば、ペルージャ大学のProf. Gian Luca Grassigliのレクチャーによると、考古学者は、壊れた壁から、ローマ時代に建てられた神殿か、キリスト教徒によって建てられた教会堂か推測することができる。

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図3 ポンペイの発掘現場で発掘とスケッチしている考古学者

また、ポンペイで墓地を調査しているフランス発掘隊の責任者Prof. William Van Andringaのレクチャーや、ナポリ・ソルオルソラ大学の大学院生との合同発表会に参加して、出土する遺物ばかりでなく、人骨からもさまざまな推測ができることを学んだ。例えば、人骨から死者の年齢、性別、死因などの情報を読み取ることができる。まさに、Prof. William Van Andringaがおっしゃったように、考古学の研究は探偵が犯罪の現場から昔発生した事件を読み取ることと同じだ。さらに、青柳正規先生の話によると、遺跡と・遺物の修復保存と観光利用にも大きな課題がある。このような様々な知識が必要であることは、考古学の難しいところであるが、考古学の魅力でもあると考えた。

②青柳正規先生のレクチャーに関して

9月9日に、ソンマの発掘現場で東京大学名誉教授の青柳正規先生のレクチャー受けた。青柳正規先生は、考古学を例として、社会と人生についてわかりやすく解説してくださった。ここでは、私が面白い、かつ大変勉強になったと思う「サバイバル意識」、「情報収集と活用」の話題について記述する。

サバイバル意識

青柳正規先生は、中国の敦煌市(とんこうし)近郊にある仏教遺跡の莫高窟(ばっこうくつ)の壁画の保護から話を始め、中国の文物保護と修復が急速に成長して、日本とヨーロッパと同じぐらいと言えるようになったと説明された。このような成長は、考古学だけではく、様々な分野においても同様である。中国のこのような成長のひとつの理由としては、青柳正規先生が「サバイバル意識」だと指摘していた。

中国出身の私は、先生のこの話を聞いて、目から鱗が落ちるような気持ちになった。日本で、多くの有識者が、近年の中国の発展の原因が人口ボーナス 1 と市場経済などと主張する。これは、外の人から見るときに、見つけやすい原因だと思う。しかし、中国人としてなかなか納得できない、内から見た人々が頑張っている姿を無視することができないからだ。50年代から80年代産まれた世代は、日本の団塊の世代と似ていて、貧しい環境に育てられ、大きな危機感を持っている世代である。この人たちがまさに中国の高度成長期を支えている。今の中国社会も、日本と同じように成熟して、若者の「サバイバル意識」が減っていると考えられる。青柳正規先生がおっしゃったように「生き抜くために、抵抗力が必要」。

情報収集と活用

青柳正規先生は、多くの事例を挙げながら、情報収集とその活用の大事さについて説明された。例えば、今中国が構想して実行している「一帯一路」経済ベルトから、中国のグローバル意識が見える。実は、古代中国もグローバル化を目指して、世界を探検したことがある。しかし、残念ながらことはこの探検が、ヨーロッパと違い、トップダウンの形で行われていた。探検結果は、皇帝と大臣の手にしか届かなかった。一方、三世紀の古代ギリシャと古代ローマはアジアに対して、「知っていること」と「知らないこと」に関して情報を集めた。さらに、集めた情報を市民の考え方を変化させ、フランス革命の元になっているという。

たしかに、古代中国のトップダウンの思想より、ヨーロッパのようなボトムアップの意識の変化は理想な情報活用法だと考えられる。特に現在の情報化社会において、一人ひとりが無限な情報をアクセス可能になっているため、無限な可能性が創り出される。また、青柳正規先生がおっしゃったように「研究する時にも、誰が何をやっていることを知ることが大事」。どの分野においても同じだと思う。

③多文化共生に関して

中国出身の私は、今日本で生活すればするほど、いつも「異文化共生」が難問だと思う。言葉の壁を超えても、生活習慣や受けた教育の違いによって、カルチャーショックを受けたときに、互いのことを理解し合うことが難しいと感じる。しかし、今回イタリアの現場で経験したことから、改めて「共生」の意味を考え直した。現場では、いろんな背景を持っている人がいる。だが、誰も共生などと言わずに、日常的な感覚で一緒に働いて、一緒にご飯を食べて、一緒に話し合って過ごしていた。もちろんカルチャーショックがないわけではない。特に、イタリア南部の人は真面目な日本人と全く違っているのだ。

おそらく、アジア人はみんな見た目が似ているため、本来小さい違いが大きく感じる。ヨーロッパでは見た目からみんなが違うことがわかったので、より寛容な態度をとったからかもしれない。違うところを理解できなくても、尊敬することができる。こうして、お互いの違いを認めた上で、異文化共生できたわけである。

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図4 ソンマ現場の昼ごはん

実は、インターネットの普及によって、誰でも簡単に物理的な空間を超えて、自分自身の周囲と異なる文化にアクセスできるようになった。国家・民族・階層などの表面的な分類要素以外、趣味・志向も人の思考と行動に影響を与えている。それゆえに、文化はより主観的、錯綜的なものになっている。たとえ国籍、民族、性別、年齢が同じとしても、多種多様なマイノリティーとサブカルチャーの存在していることを常に心をかけて、他人の違いを尊敬することが「異文化共生」の基礎だと思う。

最後に、お世話になった松山先生と岩城先生、いつも美味しい飯を作ってくださった杉山先生とアントニオさん、サポートしてくださった村松真理子先生、山崎彩先生、TAの山﨑大暢さんに本当に感謝しています。この一週間で、たいへん貴重な経験をさせていただき、ありがとうございました。

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図4 ソンマ現場での集合写真

人口ボーナス(英語: demographic dividend)とは、総人口に占める働く人の割合が上昇し、経済成長が促進されることを指す。

報告日:2019年10月4日