ドゥルーズ・カンファレンス活動 報告 須藤 美恵

ドゥルーズ・カンファレンス活動 報告 須藤 美恵

日時:
2019年6月21日~23日
場所:
東京大学駒場キャンパス内各会場
主催:
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクトH「生命のポイエーシスと多文化共生のプラクシス」
協力:
ドゥルーズ・カンファレンス

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ドゥルーズ・ガタリのアジア圏研究者が集う2019年度、7回目の国際カンファレンスが、6月に東京大学駒場キャンパスにて開催された。國分功一郎氏を代表に、ジョフP.N. ブラッドリー氏、キャサリン・デイル氏、千葉雅也氏により企画された‘War Machine, Conflict, Coexistence’ というテーマに集った研究者たちが、ドゥルーズ・ガタリの方法論から新しいパラダイムや思考イメージを探求する旨の学術会議である。筆者は、ここに運営側のスタッフの1人として参加した。スタッフとして参加したため、カンファレンスの内容への関与が少ない報告書であることを、先に明記しておく。カンファレンスの内容の詳細を知りたい方は別の資料を当たられる必要がある。筆者はしかし、この会場において主催者が旨としたオープンネスとカオス的センスに習い、自身がこの会場でコーヒーをサービスする体験の只中から創発された感覚を頼りに、「多文化環境における自由」というテーマにつなげて記述することをここに試みた。

今回、カンファレンスは3日間の開催であったが、悔しいことに筆者は最後の1日のみしか参加が叶わなかった。そして、カンファレンス会場ではなく、軽食・昼食の手配などが主に筆者に割り当てられた役目であった。そのために、カンファレンスそのものには非常に限られた時間しか立ち会うことができなかったのである。しかし会場の雰囲気や主催チーム、参加者とのやりとりなど、限られた範囲のものではあるが、筆者はその空間と時間に何かしら自由な空気を感じたのである。この「自由」について何が「自由」と感じさせたかを考察しつつ、簡単ではあるが報告としたいと思う。

筆者が参加したのは最終日。カンファレンスは駒場キャンパス施設内の2フロアで行われた。会場となる教室は、1フロアに3教室程あり、その教室を渡す絨毯が敷き詰められた廊下の中央ほど、エレベーターの横に2×4m程のスペースがあった。普段はテーブルと椅子が配置され談話的スペースとして使われているのだろうか。カンファレンスのスケジュールには、9:00~9:20のモーニングスナック、11:50~12:50のランチ、15:30~16:00のコーヒーブレイクが明記されている。筆者は実は、普段は医学系研究科で精神看護学を専攻しているため、哲学系のカンファレンスに参加する機会は非常に貴重なのであるが、食事や飲み物を提供する時間という枠が、スケジュールにカンファレンスの内容そのものよりも明度の高い配色で書かれていることに、新鮮さを感じていた。そして、これらをサービスするのが筆者で、その日の最初の役割であった。とても美味しいコーヒーに、生クリーム、みかん、さくらんぼなどの果物、おにぎり、ケー・クサレというフランス式の甘くないパウンドケーキ、ミニサンドなどがケータリングされた。まず、この小さな憩いの場所がカンファレンス会場内に設置されているということが筆者にとってはさらに新鮮であった。医学・心理学系のカンファレンスではあまり見受けられないサービスで、あっても有料、そしてこうした飲食のコーナーは別の場所でお願いします、という注意書きもあるほどだ。演劇論関連のゼミに参加したことが1度あるが、そういえばこのようなコーナーがあり、飛び入り参加した筆者は、そこに並んだ高級そうなお菓子を食べて良いのかどうなのか、と逡巡した覚えがある。人文系ではそれほど特異なことではないのかもしれないが、そうだとしたらこれはどんな文化に影響されているのだろう?

ケータリングされた手に乗るサイズの食べ物を、種類ごとに大皿に並べて見栄えを整えた。人がチラホラとやってくる。このカンファレンスに参加するには事前登録と参加料金が必要で、会場到着時に支払いをする人もいるが、この小さな憩いのコーナーでは、追加料金を払おうとする人はいない。既にカンファレンス参加者には認知されているサービスであるようだった。それについて尋ねるものが1人もいない。会場に着くと、このコーナーに当たり前のような足取りで接近し、いくつかの大皿に並んだ異なる種類の食べものの並びを一瞥し、ここで少し考えて、各自がおもむろに食べものに手を伸ばす。片手にミニサンドやおにぎりを抱え、次にほとんどの人がコーヒーを求める。まるでそれが決まりであるかのように。それとは対照的に、食べものには脇目も振らずにコーヒーだけを求める人もいたが、ここにはあまり自由な所作は感じられない。脳内に湧いたコーヒーの渇望を癒すことに駆り立てられるような、ゆとりのない所作になっている。人は、自分の先行イメージにない目前のものを選択するときには、動作のスピードを緩めるようだ。そして、それはよりよい選択を試みようとする行為の結果であろう。ケータリングしてくれた「キッチンわたりがらす」のスタッフさんに聞くと、毎日違うメニューを、シェフのこだわりの食材で作っているとのこと。「ホテルでの朝食よりもこちらに食べに来たわ」、という参加者が多数いた。彼らは自分をより満たす食物があることを予期し、空腹に耐えてここにたどり着く。彼らには、このコーナーに自身がやってくるだろう姿が既にイメージされているのである。食べるための食器を探すなどの他に、必要以上に動作が緩慢になることはないようだ。確実に、自分のニーズに見合う食べものを選択しようとする集中力が、大皿に手を伸ばす前の一瞬に込められる。ここでのニーズ・マッチングの試みは、予期に支えられて正確性を志向するといえよう。もし仮に、このモーニング・サービスがなんらかの事情によりこの日だけ提供されなかったとしたら、真っ先に不満や不平を述べるのは彼らであろう。大皿の食べ物は4種類あったが、飲み物はコーヒーに加えて砂糖とクリームのオプションがあり、その他はミネラルウォーターのペットボトルがあるのみで、「フルーツ系のジュースがないのか」と聞いてきた女性が1人ほどいた。「胃が痛くてコーヒーが飲めないのだが、他に飲み物はないか」と聞いてきたインド系の女性はサリーを着ており、おへそが出ていてお腹が冷えてしまったのではないか、と筆者はふと思う。ここはインドより寒いに違いない。その後、カンファレンスのスピーチが始まる頃になると辺りに人気はなくなり、それが終わると各部屋から出て来た参加者は、このコーナーの前でコーヒーを片手に関心のある相手と言葉を交わし始める。談笑混じりの議論の傘があちこちに開き、移動の時間になり「そろそろ行きましょう~」と声をかけてもなかなか動かないほど、そこは彼らにとって意味のある時空間になっているようであった。

今回、日本で行われたこの国際カンファレンスの参加者は全体で150人程であった。筆者の参加した日に接した参加者のうち、日本語話者は非常に少数であった印象で、スタッフを除いては5人いたかどうかというくらいである。正式な記録は入手していないが、南アフリカ、オーストラリア、イギリス、フランス、ドイツ、韓国、中国、インドの国からの参加者があった。筆者が冒頭に述べた「自由」は、単純にこの多国籍環境にあるのか?ここにおける自由の感覚はいったいどこから来ていたのか? モーニング・コーナーに立っていた当初、それはこの多国籍な参加者の雰囲気であろうか、それともドゥルーズというフランス人哲学者のエスプリがあるからだろうか、それとも主催者の心意気か? などと考えたが、筆者が裏方としてカンファレンス自体には全体として15〜20分ほどしか参加できなかったことを考えると、モーニング・コーナーに来訪した参加者の所作に、筆者がなんらかの影響を受けた、と考える方が妥当だ。それでは、上記の場面のどこに「自由」を感じたのか?

ここで筆者の過去の経験を少し開示すると、筆者は大学院入学以前の8年半をフランスで過ごしている。その当初、土居健郎の著書『甘えの構造』1には大変お世話になった。この著者自身のアメリカ留学体験におけるカルチャーショックは、筆者が異文化生活体験に入ったときの戸惑いをいくらか緩和し、日本人的な自己を意識することを助けてくれたからである。この著作の冒頭で土居は、アメリカ人の家庭に食事に呼ばれた時の自身の体験を記述している。飲み物は何にするか、どれくらい飲むのか、どうやって飲むのか、ということを逐一尋ねられ、「アメリカ人とはなんと小さなことで一々選択しなければならないのか、あたかもそうすることによって自分が自由であることを確かめでもするように(p. 3)」と考えた、と述べている。ここで言及された「自由」の概念を、今回のモーニング・サービスの舞台に重ねてみよう。土居は言う。日本人であれば、よほど親しくなければ相手の嗜好を直接聞くようなことはしない。日本人は相手が自分の好みを慮って準備してくれていることを期待し、そして相手はそれに応えようとする、この肯定的な依頼心に立った関係性、受身的愛情希求がそこにあり、これを日本人は「甘え」と定義する。この甘えは、満たされれば非常に情緒的に安定した関係性の構築へと至るが、それが満たされないと途端に不満感や自己否定感、または甘えにより同一化した他者への攻撃の源になるリスクもあり、日本の近代以降の家族関係においては、この甘えの氾濫がみられるという土居の着眼点は鋭く、近年話題に上りやすい家庭内暴力事件にも、この甘えの氾濫により複雑化した関係性による影響を分析することはおそらく可能であろう。土居はその留学体験におけるアメリカの食事風景の記述において、自身が育った自国文化を軸にした中心性から逸脱することを巧みに避け、これを批判的に描写しているのであるが、ドゥルーズ・カンファレンスのその日、モーニング・コーナーに立った筆者はこれとは異なる所感を抱いていた。

おそらく留学よりも長いスパンで生活者として存在した筆者のフランス体験がそこにある。一度は骨を埋める気になったフランスで、筆者は日本では感じられなかった「個人の自由」に遭遇していたのである。個人主義の強いフランスという国の中での自由は同時に、自己の選択責任の問われる世界への放逐でもあったが、これにより私という自身が、西欧的には未熟と解釈されかねない日本的自我を抱えていることを知る。私という自己は、そこから更に西欧的自由へ自己自身をどう介入させていくか、ということに対処することなしには生きていけないということをそこで学んだ。前述の土居のように、甘えたいという受身的愛情希求を感知してくれないフランス人社会に対する否定感情が芽生えたのも事実ではある。土居は「甘え」という言葉が存在しない諸国にとって、甘えという概念に対する文化的感受性は低く、人間のこころを扱う精神科医においてでさえも、患者のもがき苦しみ求める内奥の愛情希求に対する気づきには鈍感であった、と述べている。彼らは互いに鈍感であるがゆえに、そこに拘りを定着させることがなくコミュニケーションを発展させる。これらは極めて言語依存的で、その場における選択の自由は言語を媒介にやりとりするプロセスの中で発生する。同時に、これらは多文化国家が異なる文化圏の他者を尊重するために発展させた作法でもあろうと、筆者は考える。近代的な国家という支配的観念が消失し、人々の得る情報が多様化している現代において、日本のような言語を介さない作法は、非常に高等な環境の整備と、「慮る」ための能力を要求し、そうでなければ極めて複雑に誤解や悪循環を招きやすいリスクの高いものになりつつあるのである。

これらの文化的背景を踏まえて、今回のカンファレンスのモーニング・コーナーに思考を戻してみると、各参加者と筆者のやりとりにおいて、筆者はあえてコーナーに立ち止まった相手を「慮る」必要を過剰に感じることなく、あの場所に立っていられたのではないか。要求されたものがそこにない時、筆者はそれに過剰に対応を迫られる圧力を感じることなく「ない」と言え、それについて「どうしてないんだ!」と憤るモンスターの影に怯えることもない。そこにあるものを、人々がただ選択してゆくことが気持ちよく感じられた。そこに既に充足されたものをサービスすると、ストレートに「Thank you」と応答がくる。それだけである。それゆえに筆者はそこに「自由」を感じたのだろう、というのが結論である。ドゥルーズの哲学書を十分に読んでいないため、どこまでこの報告書がそこに近いものになっているのかは判断しかねるが、この日のカンファレンスのモーニング・コーナーでサービスのためにその場に立つ筆者は、日本との対比において、おおざっぱにではあるが西欧的自由をここに再び感じた。企画者の國分功一郎氏にこれを伝えたところによれば、当人はドゥルーズなのにアングロサクソン的、という所感があったようだが、このカンファレンスの使用言語が英語であった、という影響は大きいのではないだろうか。

今回はカンファレンスに集った人々の所作から、文化的差異についての考察へ至った面白い経験となったが、次回はもう少しカンファレンス自体に参加して哲学を体感してみたいという欲望も、ほのかにコーヒーの香りと共に立ち上がるようになったこの頃である。

土井健郎『甘えの構造』1981年3月、弘文堂(初出:1971年2月、弘文堂)