斎藤正樹氏講演会「在日朝鮮人集落・ウトロの居住権確立の活動」 報告 岑 天霞

斎藤正樹氏講演会「在日朝鮮人集落・ウトロの居住権確立の活動」 報告 岑 天霞

日時
2019年5月28日
場所
東京大学駒場キャンパス18号館コラボレーションルーム1
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクトH「生命のポイエーシスと多文化共生のプラクシス」

本報告は、東京大学大学院IHSプログラムの外村大先生の授業で、IHS生も対象とした「在日朝鮮人集落・ウトロの居住権確立の活動」に関する講演について記すものである。講師は、在日朝鮮人が集住している京都府宇治市の「ウトロ地区」で、長年居住権確立の活動を行ってきた斎藤正樹さんである。今回は、ウトロ地区の歴史やこれまでの活動について、ウトロの住民と風景の写真を見せながら、その背後のストーリーを語っていただいた。

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講演では、まずウトロの歴史的経緯について紹介した。第二次世界大戦中、京都飛行場建設工事に従事した朝鮮人労働者と家族たちの飯場が、現在のウトロ地区の前身である。戦後、建設が取りやめになり従事者が失職し、ウトロに行けば最低限の生活は維持できるだろうと考えた人々がやってきて暮らすようになった。しかし、ウトロ地区は不法占拠ということで、長年にわたり水道管の敷設が認められなかった。その後1989年になると、ウトロの土地を所有する西日本殖産は住民に対し、土地を購入するか、しないのであれば退去を求める民事訴訟を起こした。それ以降、ウトロ地区の住民による居住権を求める活動が繰り広げられ、斎藤正樹さんとボランティアたちも運動に参加してきた。斎藤正樹さんは昔学生運動に関わった経験をいかして、ときにはウトロ地区に様々な反対を主張した看板を書いた。2018年、強制立ち退きを阻止して、ウトロ地区の住民たちは新たに建てられた公営住宅に入居することとなり、地区に在住している在日朝鮮人や日本人が共に生きる未来に期待して、新たな看板と壁画に入れ替えた。

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この報告を聞いて、斎藤正樹さんたちの活動を素晴らしいと思う一方、在日外国人の現状について、日本のメディアと若者たちの、歴史認識及び在日朝鮮人に対する無関心さについて深く考えさせられた。例えば、その時々のウトロ地区の状況によって、町の看板や壁画などが入れ替えられることを聞いて、斎藤正樹さんが書いた看板の言葉も、多文化共生を表現する世界中の人々が一緒に睦まじく生活している絵も、とても素晴らしいメッセージであると思った。しかし、残念なのは、ウトロ地区の問題について、テレビやネットを通じた発信がほとんど見られなかったことである。そのゆえに、斎藤正樹さんたちの活動が日本では知られていない。その点について、講演後の質疑応答で「ウトロの居住権確立の活動に若者が参加したか」との問いに対して斎藤さんは、「この活動に参加したのはご年配の方が多くて、若者がほぼいませんでした」と答えた。

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筆者はこの答えを予想していた。私が所属している研究室では、平和や歴史の継承をテーマとしたワークショップが多く行われているが、参加者の年齢層は相当高い。その理由としては、まず若者が歴史に対して興味を持たないからではないだろうか。しかしながら、ウトロ地区に暮らす在日朝鮮人のおばあさんが、韓国の人気バラエティー番組の「無限挑戦」に取材され、今韓国の若者がウトロに注目し、わざわざ訪ねて来る人も多くいるそうだ。さらに、ウトロ地区と靖国神社は、韓国の修学旅行のコースの一部にしている学校もあるとのこと。この事例からもわかるように、テレビは若者に対して、韓日の歴史に興味を抱かせる力を持つ一方、日本の若者が歴史や、在日朝鮮人に関心を持たないことの要因の一つに、日本のマスメディアの報道のあり方があるのではないだろうか。

日本の中国・韓国・北朝鮮に関するニュースの中には、偏った報道が多くみられる。筆者は中国出身であるが、日本のニュース番組や新聞を読むと、おかしいと思うことが多々ある。例えば、「中国には偽札が多く流通しているから、紙幣が汚いから、治安が悪いから」などのネガティヴな理由で、中国のキャッシュレス化が急速に進んだというような報道も多く見かける。キャッシュレス化が進んだ理由が、中国の治安や衛生が悪かったためであり、反対に日本では治安も良く衛生的なので、キャッシュレス化が進まないのは当然だという。このような大衆が望んでいることだけを報道し、大衆の娯楽に徹するメディアは、愚民化政策に手を貸しているだけだと考えられる。また、日本では中国・韓国政府の行なっている反日教育について指摘することが多い。しかし中国のメディアも政府も、日中戦争について取り上げることは確かにあるが、現在の日本の進歩を否定したことはない。一部メディアによるバイアスのかかった報道は、日本の若い視聴者に、中国・韓国・北朝鮮に対する悪いイメージを助長させている。

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もうひとつの理由としては、日本の歴史教育は、第二次世界大戦における日本の戦争責任(日本はアジア諸国を侵略し、植民地支配したことによる責任)に直面していないのではないだろうか。国によって、それぞれが違う視点から戦争を語るのは当然である。例えば、斎藤正樹さんの講演で映写した写真の一枚に、終戦直後アメリカ占領軍が日本軍の飛行機を燃やすシーンがあった。しかし、これはアメリカが日本を侵略して飛行機を破壊したわけではなく、投降した日本軍の不用になった機体を処理していただけだ。日本から見る第二次世界大戦は、被害者の視点になりがちなのではないだろうか。筆者は日本と中国の戦争映画を研究している。日本の戦争映画の7割は太平洋戦争を舞台とした作品で、その中のほとんどはアメリカによる空襲や原爆の被害を描いた作品である。日本も中国も同じく、歴史を自分たちの視点からしか見ることができないので、日本と中国との間には歴史認識の差が露呈するのも当然だろう。

また、2017年に出版し、アメリカで話題を集めている小説Pachinko1は、今年、中国語版も出版したが、日本のメディアでは全く取り上げられていない。その理由として考えられるのは、「日本統治下の釜山から始まる在日韓国人ファミリー4世代を描写し、韓国での日本人による現地人への虐めや、在日韓国・朝鮮人への差別、そして単語こそ出てこないが「慰安婦」のリクルートなど、『パチンコ』は日本人にとっては居心地が悪い小説かもしれない 2」という書評である。確かに、筆者はこの小説を読んだとき、日本では出版されないだろうと思った。

講演でもうひとつ印象に残っている写真は、自分の家を離れざるを得ない時に撮られたおばあさんの写真である。ウトロ地区の居住権確保のために戦ってきたおばあさんが、最後に自分の家を犠牲しなければならなかった。この写真を見て、悲しみを感じると同時に、戦後70年経ても自分の家を守る権利もなく、日本人に助けてもらっている在日朝鮮人は、まだ社会的な弱者なのだと思った。また、現在の日本には、在日朝鮮・韓国人だけではなく、様々な外国人も多く暮らしている。これらの在日外国人には、日本人と全く同じ人権を与えられているとはいえない。学校、職場、結婚などの場面で、差別を受けている事例も少なくない。さらに、同調という社会現象によって異論は歓迎されないので、違う文化や人種を受け入れることももちろん難しい。

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このような社会的弱者としての在日外国人の現状と、日本のメディアと若者における歴史認識の欠如、また在日外国人に対する無関心さを変えるためには、まずは日本社会の努力が欠かせない。例えば、家庭や学校教育の場で、小さい頃から異なる意見に対して寛容な態度を持つことを、子供に教えることが大事だと思う。そして、正しい歴史教育を行うことによって、特に戦争に関して歴史の「負」の部分も受け止めることが必要だ。さらに、日本のメディア、特に公共放送の責を担うNHKが、中国・韓国・北朝鮮に関してより客観的な視点から報道し、事実を尊重することが重要である。

最後に、日本に滞在している外国人としてやるべきことは、一方的に日本社会に存在している欠点・弱点などを指摘することではない。積極的に日本の人々と交流し、一人一人と共感を得て、問題に対する関心を呼び起こすことが大切である。筆者は日本と中国の戦争映画を比較分析した上で、日本の若者向けの中国の反戦映画と、中国の若者向けの日本の反戦映画の鑑賞会を行なっている。まずお互いの視点から戦争映画を観て、異なる視点と立場を持っていることに気づいてもらう。その後、お互いの感想を交換し、理解を深めることによって、日本と中国の若者が相互の歴史認識を理解し合うことが可能だと思う。このように、多文化共生社会はそれぞれの違いを認め、共に生きることをめざすのである。

Min Jin Lee (2017) Pachinko : Head of Zeus
渡辺 由佳里 書評『Pachinko』(Head of Zeus) https://allreviews.jp/review/2129 (参照:2019年6月20日)