2018年度・新潟県越後妻有振返り研修報告 冨士盛 健雄
- 日時
- 2018年11月9日(金)〜10日(土)
- 場所
- 新潟県越後妻有
- 主催
- 東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクトH「生命のポイエーシスと多文化共生のプラクシス」
本報告書は、2018年11月9日10日の二日間、新潟県の十日町市松之山地域をIHSの研修として訪れた活動を報告するものである。われわれは今年の8月25日26日の二日間「大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ」(以下ではたんに「芸術祭」と記すこととする)にIHSの研修として参加した1。第七回2となる芸術祭を終えたいま、松之山は芸術祭からどのような影響を受けているのか、そして今後どのような方向を目指していくのか、それを知るためにわれわれは再度この地を訪れることとなった。
一日目は、松之山地域の住民の方に二度のインタビューを行った。まずは、「十日町市立里山科学館 越後松之山「森の学校」キョロロ。」(以下ではたんに「キョロロ」と記す)にて、館長である村山暁さんにお話を伺った。その館名が松之山の代表的な野鳥「アカショウビン」の鳴き声に由来するというキョロロは、この雪国の里山の真ん中に位置する科学博物館である。松之山地域の生物の多様性に関連した展示や体験プログラムも提供するほか、生物だけでなく地域の文化に関する調査・研究・紹介も行う複合的な施設である3。
キョロロが目指すのは、豪雪地に特有の生物の多様性とそれを基礎にした伝統知を再発見し継承していくことである。その手段として、たんに伝統知を収集・保管・発信するだけでなく、それを地域資源として様々な活動に実際に活用することで地域づくりに利用しようとする点に活動の特色がある。そのためには、科学博物館に勤める人だけでなく松之山の住民たちが主体的に関わることが必要不可欠である。それは具体的には、専門家の占有物としての科学でなく、生活の中で育まれた自然への観察眼・伝統知に裏付けられた地域住民の素朴な疑問や好奇心を重視した「等身大の科学」、里山について受動的に学ぶだけでなく今度は住民自らが能動的に調査・発信していく「住民皆科学者」、当たり前だと思っていた地域資源を調べることでその価値を再発見する「地域全体博物館」、という三つのコンセプトのもとで目指される。
村山さんからのお話から伺えたのも、まさにこのような松之山地域の住民を主体にした科学博物館の姿だった。村山さん自身、松之山で長年の間理科の小学校教員として勤め上げた後に館長に任命されたというエピソードに象徴的であるように、われわれを何度も驚かせたキョロロの展示は、住民も含めた地域全体の力が引き出された結果なのだとインタビューを通して思い知った。地元の小学校の子どもたちにこの科学博物館を介して自然に触れてもらうことで、将来的にこの地に帰ってきたいと思わせるようにしている、と笑う姿が非常に印象的だった。
次いで保育園を改修した布川カフェにて、松之山保育園の保育士であり、また2000年の第一回芸術祭から企画に携わっている画家の草村慶子さんと、財団法人「松之山農業担い手公社」で留守原の棚田の維持管理を行ってきた樋口一次さんにお話を伺った。お話を通して徐々にわかったのは、ずっとこの地域を見てきたお二人だからこそ知っている松之山の歴史であった。戦後の松之山では、農業だけでは家族を食べさせていくことが難しく、そのため冬季の間だけ数ヶ月間父親が東京の方へ出稼ぎに行くことが普通だった。そのような厳しい経済的な条件に加え、地滑りというこの地域に特有の災害のせいもあって少なくない住民が松之山から出て行ってしまったこともあったという。当時と比べれば、今はもちろん出稼ぎはほとんど存在しないだろうし、災害への対策も積み重ねられ安全性は大いに増しただろう。しかし、インタビューによれば、適した働き口がないために松之山に戻りたくても戻れずに都市部で暮らす人も少なくないようだ。「住む場所を自由に選ぶのに十分な職がない」という課題は相変わらず残り続けているように思われた。
また、芸術祭に対する住民の態度の変化についてのお話も興味深いものだった。最初、芸術祭が開催されることが決まった時、住民の反応はやはり否定的なものが多かったそうだ。得体の知れない「アーティスト」と「アート」が突然やって来るというのだから当然だ。しかし、アーティストが実際に松之山に滞在しながら制作を進めるのを目にし食事を共にするうちに、アーティストと住民とを隔てる境界線は徐々に薄れていったようだ。そして驚くべきことに、今や「松之山の中心地にもアート作品を置くべきだ」との意見も住民から出ているという。芸術祭が松之山の地元住民の方々に受け入れられてきたことが、実感を伴ってわかるエピソードだった。
二日目は、東京大学で哲学の教鞭を取っておられる梶谷真司教授のもとで、松之山地域の住民の方々と哲学対話を行った。松之山地域に住む小学校5年生から80歳以上まで、性別や職業も異なるおよそ20名が三省ハウスに集まってくださった。梶谷先生による哲学対話とは、参加者が円になって座り何かしらのトピックについて一時間弱ほど自由に対話するというワークショップである。ただしこの対話では、コミュニティ・ボールと呼ばれるカラフルな毛糸に包まれたボールを所持した人だけが発言することができ、話し終えたら手を挙げている他のひとへと渡していかなければならない。当日のトピックは「やってしまったと後悔するのに、ついついまた繰り返してやってしまうこと」についてだった。何か結論を導くことを目的としていないため、時に脇道に逸れた話も含めて、様々なエピソードが語られる。始め恥ずかしさのため発言することが簡単でなかった女の子たちもよくよく話を聞くと、大人たちも頷くような経験を挙げるのが印象的だった。本ワークショップにおいてはボールを持った一人一人の言いたいことにみなが耳を傾けるという意味で知的な安心感が保証されていたが、実際の対話においては当然ながらボールはない。だが、終盤に梶谷先生のファシリテーションなしでも住民の方の間に自発的な対話の萌芽が垣間見られたことは、これからの松之山にとってもしかしたら大きな意味を持つのかもしれない。本研修を通して、松之山が大地の芸術祭によって活気づけられる一方で、その活気は何よりもまず地域の住民ひとりひとりの底力によって支えられているものだと改めて実感した。お世話になった全ての方々にお礼申し上げます。
報告日:2018年12月3日