佐渡・宿根木研修「都市の歴史/都市の生命」 報告 水上 拓哉

佐渡・宿根木研修「都市の歴史/都市の生命」 報告 水上 拓哉

日時
2018年10月26日〜28日
場所
新潟県佐渡市宿根木
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクトH「生命のポイエーシスと多文化共生のプラクシス」

研修の概要

2018年10月26日から28日にかけて、私たちは新潟は佐渡市に滞在し、国の保存地区である「宿根木」を舞台にフィールドワークを行った。佐渡といえば江戸時代の金山や流刑の地としての発展を連想するかもしれないが、この宿根木は最南端にあり北前船の寄港地としての歴史をもつ。船大工によって作られた板壁の民家が所狭しと屹立する町並みは独特で、現在では国の重要伝統的建造物群保存地区として知られている。本研修は「都市・生命を観る、撮る、書く」をテーマに掲げた「多文化共生・統合人間学演習I」(大石和欣先生)の一環として行われ、宿根木が港町として成立し維持されてきた歴史的過程を現地の建築調査を通して検証・考察することを目的としている。調査にあたっては、都市・建築の歴史が専門の伊藤毅先生(青山学院大学教授)に都市調査の方法論を、旧宿根木小学校の卒業生の高藤一郎平氏には宿根木の歴史についてご教示いただいた。また、研修には写真家の横田大輔氏と宇田川直寛氏も参加され、宿根木の町並みを私たちと共に調査された。

ihs_r_h_181026_syukunegi_01.jpg

宿根木の町並み見学(1日目)

新潟市の両津港からジェットフォイルで一時間ほど揺られ、私たちは佐渡島に上陸した。そこから車で少し行くと、現代の佐渡市の町並みから打って変わってかつての有様を保った宿根木が現れる。到着してから私たちは、宿根木の町を実際に自分たちの足で歩き、伊藤先生と高藤氏のお話を聞きながら、宿根木がいったいどのように成立した町なのか、その歴史について学んだ。

私たちは事前学習として田島則行らの『都市/建築フィールドワーク・メソッド』および昭和56年に刊行された『宿根木 伝統的建造物群保存対策調査報告』を読み、都市論の基礎と宿根木の歴史については学んでいたため、歴史的事実として宿根木がどのような町かについては知っていた。しかし実際に宿根木の町を自分の足で観察してみると、保存された町並みにその歴史や生活の名残が今も息づいていることがわかった。たとえば、川の上流に向かって集落を北側に進むと称光寺と呼ばれる寺があるのだが、そこの入り口の門の木壁には建築大工と船大工の両方の仕事が混ざり合っている様子が伺い知れる。というのも、右側の壁を構成する板は僅かな隙間がある状態で繋ぎ合わせられているのに対し、左側の壁は継ぎ目なくぎっしりと板が並んでいる。つまり、右の壁は建築物を作る建築大工の仕事であり、左の壁は水が漏れてはならない船を作る船大工の仕事によって出来たのだと推定することができるのだ。

ihs_r_h_181026_syukunegi_02.jpg

他にも宿根木の町を注意深く観察するとたくさんの「生活感」を見つけることができた。ここではそのすべてを列挙しないが、驚かされるのは町並み全体の機能性である。佐渡という決して広大ではない土地に宿根木はあらゆる工夫をこらして成立している。たとえば、一般的な町並みに見られるような、建物と建物を仕切る塀のようなものが宿根木には見られない。では、生活に必要なプライベートな空間をどのようにして確保しているのかといえば、(一例だが)高低差を作ることによって物理的に仕切らずとも心理的にスペースを区切ることで確保に成功しているのである。このように、宿根木は狭い土地の中で平面的にではなく立体的な空間利用によって快適な生活を実現している。新潟生まれの私は新潟本土の町並みや暮らしには馴染みがあるのだが、宿根木の有様はそこでの生活よりもむしろビルやマンションが立ち並ぶ都会の姿に類似しているのかもしれない、というのが個人的感想である。

もちろん、これらは私たちが自力で得た考察ではなく、宿根木と共に歩んできた伊藤先生と高藤氏のお話に着想を得たものである。彼らの宿根木に関するお話は、あるときは「都市論的観点からの解説」であり、あるときはそこに住んでいた人間の「思い出話」であった。宿根木には何割かの住民が今もなお暮らしており、町を歩くと彼らが生活を営む姿を見ることができた。

ある町の成立過程を客観的事実として知るためには文献調査だけで十分なのかもしれないが、やはり実際に足を踏み入れると、私たちの「予習」が取りこぼしていた視点が数多く残されていたことに気付かされる。カメラを片手に宿根木を歩くことで、宿根木の成立史を学びつつ、そこに息づく一人称的な生活感をも肌で感じることができたと思う。

フィールドワーク──間取り図作成(2日目)

2日目には伊藤先生のご指導のもと、本格的なフィールドワークを行った。まずはじめに私たちは、事前に許可をいただいた民家に入ってその内装や間取りを観察することを試みた。そこでは伊藤先生によるフィールドワークに使われている道具や調査手法についてのレクチャーがあり、実際にその民家においてどのような「歴史」を読み取ることができるのかについて先生が実演された。私がそこで驚いたのは、伊藤先生が柱の切断面や天井の梁の流れといったきわめて些細な建造物の様子から、その民家の改築史──どの部屋がもとからあった部屋でどの部屋が後から作られた部屋なのか、かつて住んでいた人々がどのようにスペースを使っていたのかといった生活の足跡──をあざやかに解き明かしていたことだった。物言わぬまま過去の姿を保つ民家からそこに住んでいた人々の生活のありさまを明らかにする姿は、名探偵ホームズのコールド・リーディングを彷彿させるもので、私たち一般人(他分野の研究者)と建築史の専門家ではこれほどまでに視野が違うのかと衝撃を受けた。

ihs_r_h_181026_syukunegi_03.jpg

次に私たちは伊藤先生のレクチャーを元に民家の間取り図を作成した。作成にあたっては、参加者のそれぞれが別々の部屋を担当し、私はキッチンを担当した。各々が作った間取り図を合わせると一つの民家が完成する、という仕組みだ。ここでいう間取り図とは部屋探しの際に不動産屋から差し出されるようなものではなく、畳の配置から家具や扉の大きさ、柱についてもその寸法はもちろんその新旧についても詳細に記録しなければならないという性格のものだ。そういうわけで、私たちはたった一つの小さな部屋を記録するのに3時間ほど掛かってしまった。伊藤先生は宿根木のほとんどの民家のすべての部屋について私たちが作成した間取り図に加えて断面図も取られているとのことだったが、実際にそのほんの一部をやっただけでも、その作業が途方もない努力を要することがわかる。さきほど私が言及した「コールド・リーディング」は、もちろんセンスの問題なのかもしれないが、少なくとも長年にわたって粘り強くフィールドワークした伊藤先生だからこそできることなのだろう。

ihs_r_h_181026_syukunegi_04.jpg

フィールドワーク──公開民家および民俗博物館見学(2日目)

間取り図の作成が終わると私たちは他の公開されている民家を見学した。「塩」の看板が特徴的で集落の中心に位置する民家では、かつての住人である深野アサ氏の生活が白黒やカラー写真で展示されていた。写真をよく観察してみると、道を流れる川の堀が今よりもかなり浅く、当時はその川を中心に衣食住が営まれていたことが想像できた。

ihs_r_h_181026_syukunegi_05.jpg

現在公開されている民家の多くは昔は廻船業で財を成したもので、間取りも広々としていて立派な民家がほとんどだ。私たちの現在の感覚だと廻船業が宿根木においてどれほど存在感のある役割だったのかを想像するのは難しいが、その想像力を補うのに有益なのが佐渡小木民俗博物館である。博物館に入ると巨大な帆船のレプリカが私たちの視界を占めるのだが、この船は千石船の「白山丸」であり、安政5年(1858年)に宿根木で建造された「幸栄丸」を当時の設計図をもとに復元したものである。実物を見ると当時の技術でこれほど大きな船を作ることができたその技術力に驚く一方、当時の宿根木における船および廻船業のプレゼンスの大きさを実感することができた。

また、博物館の隣には旧宿根木小学校を改装した民俗資料館がある。こちらは地域の信仰に関する祭具やかつて宿根木で使われていた日用品や家電製品などが保管されている。特に日用品が保管されているスペースは、あまりテーマ性はなく当時住んでいた人々から集まった物品を雑多に並べているそうなのだが、それがかえって宿根木の昔の生活がそのまま保存されているように思えて、興味深かった。

町並みを保存していくこと(おわりに)

今回の研修を通じて私たちは宿根木という町を実際に体感し、フィールドワークを通じてそこに息づくかつて廻船業で栄えた町の姿に思いを馳せることができた。もちろん、今回の研修はわずか2泊3日でありフィールドワークもごく簡単なものである。したがって、私たちが学び分析してきたことは、伊藤先生の長年にわたる研究や高藤さんが過ごしてきた人生に比べれば宿根木のごく断片に過ぎない。だが、本研修を通じて私たちが普段とは違う視野を獲得しようともがいたこともれっきとした事実である。宿根木のような歴史的な保存地区を訪れ分析する際には、普段身の回りの建造物や町並みを所与のものとして経験する私たちの視野は捨て去らなければならない。この梁はどうしてここまで伸びているのか、この建物全体を支えている柱はどれか、右の壁と左の壁ではなぜ作りが異なるのか。そういった細かい点について粘り強く蛙瞰図的に観察しなければ、せっかくそのままの形で保存されている宿根木から何のメッセージも読み取ることはできないだろう。そのような分析眼、すなわち這いつくばるように町を見る力をわずかながらでも滋養することができた今回の研修は、「都市・生命を観る、撮る、書く」をテーマに掲げた多文化共生統合人間学・実験演習のはじめの一歩として大変有意義なものであったと思う。

ihs_r_h_181026_syukunegi_06.jpg

報告日:2018年11月12日