イタリア研修「食・地域・記憶—イタリアで考古学を体験する」 報告 高原 柚

イタリア研修「食・地域・記憶—イタリアで考古学を体験する」 報告 高原 柚

日時
2018年9月8日(土)〜16日(日)
場所
イタリア、ソンマ・ヴェスヴィアーナ
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクトH「生命のポイエーシスと多文化共生のプラクシス」

1. 概要

本企画は、IHSの教育プロジェクトHにおける研修であると同時に、東京大学教養学部前期課程の「国際研修」であり、企画にはIHSの学生が3人、東大前期課程の学生が6人参加していた。引率は、村松真理子先生、山崎彩先生、石川学先生の3名である。まずスケジュールを紹介して研修の全体像を示しておこう。

1日目:ソンマ・ヴェスヴィアーナ宿舎到着
2日目:青柳正規先生(考古学)レクチャー、発掘現場紹介
3日目:ナポリ見学
4日目:発掘現場実習、Girolamo Ferdinando de Simone先生(考古学)レクチャー
5日目:William Van Andringa先生(考古学)レクチャー&発掘現場見学、ポンペイ見学、エルコラーノ見学
6日目:芳賀京子先生(美術史)レクチャー、発掘現場実習、向井朋生先生(土器学)レクチャー
7日目:現地大学生との合同発表会、発掘現場実習
8日目:宿舎出発、帰国

2. ソンマ・ヴェスヴィアーナ遺跡と発掘作業について

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ソンマ・ヴェスヴィアーナは、ヴェスヴィオ山の北麓に位置する35,000人ほどの人口を持つ街である(2015年1月1日時点) 1。この地に最初に遺跡が発見されたのは1931年で、それは農地の所有者が農機具保管用の小屋を建てようとした際の偶然の出来事だった。発見直後の1932年には試掘が行われ、ヴェスヴィオ山北麓の古代遺跡としては異例な豪壮さを有する建築があることが分かったものの、ムッソリーニ政権がポンペイの発掘に注力したためソンマ遺跡は埋め戻され、本格的な発掘は行われなかった。しかしその豪壮さから、ソンマ遺跡はローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスの別荘である、という仮説が唱えられ、後年最近になっても近くの駅が”Villa Augustea”と名付けられるなどその存在は意識され続けた。その後、現在は東大名誉教授である青柳正規先生が、ご自身の別荘建築の発掘調査の総括とするべく、2002年にソンマ遺跡の発掘を再開し、それから16年間毎年夏に発掘作業が行われて現在に至っている 2

発掘の結果、今までに判明したのは、まず、ソンマ遺跡はアウグストゥスの別荘ではないということである。また、ソンマ遺跡が破壊されたのは紀元472年のヴェスヴィオ山の噴火であり、ポンペイが埋まった噴火ではないこと、ポンペイが1世紀の人々の生活を凍結保存していると言われるのに対し、ソンマ遺跡は噴火以前に廃れており、廃墟になってから埋まったことも明らかになった。

これらの結果は、2002年の発掘開始当時の人々の期待を裏切ることになったかもしれないが、遺跡に新たな研究的価値をもたらした。あまり研究の進んでいなかったローマ中期〜末期の状況を示す貴重な史料となったのである。現在のソンマ遺跡の主要部分は2世紀の建築だと特定されているが、その建築的空間構成は他に例を見ないもので、当初の用途で建てられたのかは未だ分かっていない。その後、5世紀に空間の用途が代わり、ワイン生産工場や農作業の場として使われた。そして火災に見舞われて廃墟化し、簡易的に人の生活の場として利用された後、噴火の被害を受けたと考えられている。ローマ中期〜末期の建物の使われ方、人々の暮らし方をこのように描き出した事自体に歴史的価値があるのだ。

なぜこのような事情が分かるのかについては次章で述べるとして、実際の私達の作業を簡単に紹介する。

発掘作業は、①地層を一枚一枚剥がすように水平に土を掘り、②同一地層に含まれる土器やモザイクタイルの破片、骨などを拾い上げるというものであった。①は、地層によって土の色や粘度が異なることに注意して地層の境目まで土を掘る作業であるが、素人目には境目が分かりづらく難しかった。②は、掘った土を丁寧に攫えば拾い上げることが出来るが、手際よくやることが求められる作業で、やはり慣れるまでは難しかった。

発掘の他に、③現場の記録とそのための整地や④出土した土器やタイルの洗浄、⑤モザイク面の掃除といった作業があった。③は記録のための写真撮影や高度の測定である。写真撮影には周囲の地面の足跡を消したり白飛び防止の為に地面や出土品に霧吹きで水を吹きかける作業が付随した。④は出土品を1つずつ水とタワシで洗浄する作業だ。ただの土は洗い流してよいが、調理などに使われて焦げた食品がこびりついている場合、それは当時の生活文化を読み取る資料になるから洗い流してはならない、など素人目には判別が難しく、単純作業ながらも繊細さを要求される難しさがあった。

これらの作業を、毎年現場で発掘を行っている松山聡先生や岩城克洋先生、杉山浩平先生と現場に入っていたイタリア人学生に教えてもらいながら体験した。

3. 考古学という学問について ── 様々な領域の専門家の集会所としての発掘現場

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今回の研修で最も印象的だったのは、様々な人々が一堂に会し、知恵を寄せ合って検証をすすめる考古学の現場の面白さである。本現場は特に学際性の高い現場だったようで、考古学者の方々の他に、土器学や美術史、建築史、歴史、地質学、農学など20以上の分野の専門家が関係している2。私達はそのうち古代美術史の東京大学人文社会研究科の芳賀京子先生と土器学のフランスCNRSの向井朋生先生に直接レクチャーしていただくことができた。芳賀京子先生のレクチャーでは、出土した彫像のモチーフやアトリビュートの付け方から、彫像をその場所に設置した意図を読み取り、そこから部屋の用途や使い方を推測するという思考の流れの説明が印象的であった。向井朋生先生のレクチャーでは、土器が何故年代判定の指標になるのか、土器学者が土器片から何を読み取っているのかの説明が印象的であった。それ以外にも、お二方ともそれぞれの専門分野からソンマ遺跡全体の考察を語ってくださり、そのような「知の結集」の結果としてソンマ遺跡の経緯が結論付けられているという研究のあり方を生き生きと感じることが出来た。

現場に出入りするのは研究者だけではない。前節で述べたように、研究者の卵である大学生も作業員として出入りするし、陽気なイタリア人の現場作業員の皆さんもいらっしゃった。他に、発掘と研修の様子をテレビカメラに収めるドキュメンタリー・ジャパン社のカメラマンとプロデューサー、さらに今年の調査を取材中のNHK取材班と現地コーディネーターもいらっしゃった。

お昼には、イタリア人作業員のおじさんが作ってくださったおいしいごはんを長机を囲んで皆でいただく。笑いが絶えないこのランチタイムは現場に欠かせない要素である。16年間作業を共に行っているだけあって、皆さん非常に仲がよい。

発掘現場はさながら各領域のプロフェッショナルの井戸端会議であり、皆さんが非常に楽しそうに現場に関わっているのが印象的であった。そのようにして多くの人によって研究が進められ、成果が発信されていることを目の当たりにして、私はすっかり発掘現場に魅了されてしまった。

4. イタリアの都市と文明 ── ナポリとポンペイ

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ナポリ見学では、まずナポリ国立考古学博物館を訪れた。個人的にこの博物館で最も印象的だったのは、ポンペイから出土したモザイク画や壁画の写実性の高さである。モザイクは非常に小さなピースを使って細かい陰影まで表現されており、海産物や人の顔、動物など多様なモチーフが生き生きと描かれていた。壁画は住宅内部を飾っていたものだと思われるが、遠近法のない時代に奥行きを表現したものもあり、その技術力に大変驚いた。壁画もモチーフがユニークで鑑賞していて非常に楽しかった。

その後ナポリ大学を見学し、ダンテ研究者のアンドレア•マッズッキ教授の案内でナポリの18世紀の町並みを見学し、ナポリ最古のピッツェリアでランチを食べた。

午後は村松先生の案内でサンタ・キアラ聖堂やジェズ・ヌオーヴォ教会を訪れ、町並みを見学しつつ海岸に歩いて向かい、夕日に照らされたナポリ湾を見る、という、ナポリを満喫できるコースをたどった。建築史を専門とする私としては、18世紀のバロック様式を基調とした町並みや西洋的広場など、ヨーロッパ都市を肌で感じることが出来て大満足であった。

ナポリ見学後、1日の現場実習を挟んで、今度は2000年前のイタリアの都市であるポンペイとエルコラーノを見学した。ポンペイの町並みは事前に写真などで知っていたものの、実際に歩いてみるとその土木技術や建築技術の高さに驚いた。住宅や酒場が混在しているが、間口の広さや調度品で建物の用途が一目瞭然なところにも高い文明を感じた。2000年前の人々も機能に応じて建築的形態を洗練させ、装飾を施して都市生活を楽しんでいたということが感じられ、当時の生活の豊かさに驚いた。

5. 宿舎での生活 ── 南イタリアの農村の伝統家屋にて

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私達が滞在していた宿舎は、ソンマ・ヴェスヴィアーナの街中から南に下った農村部にあるマッセリアというロの字型平面のイタリア南部の伝統的農家の一角にあった。ロの字平面というのは、何軒かの家がお互いに壁を共有して中庭を中心に集まっている形式である。ロの字の一部分の1階に門が設置されており、住人はその門から中庭に入り、中庭から各戸に入る。かつてはロの字の建物全体に農業に従事する地主一家や小作人が住んでいたらしいが、今は家主がそれぞれの部屋を貸していたりするため血縁関係はない。

宿舎はその建物の一部分の2階と3階にあり、2階の出入り口は広いテラスに面していて非常に心地がよかった。中庭では子どもたちが遊んだりして、のんびりした空気が流れる素敵な家であった。

私が最も惹きつけられたのは、ロの字の一角、門の隣りにある小さな礼拝堂である。たまたま私達が到着した次の日が、その礼拝堂の年に1度のお祭りであり、礼拝と礼拝後に広場で催されたパーティーに参加することが出来た。私は、現代社会における宗教建築の保存・活用に興味を持って研究をしているので、礼拝堂の使われ方や人々の振る舞いを興味深く拝見した。カトリックの祭典を見学するのは初めてで、プロテスタントとは全く異なる、半ば土着信仰と混じっているような「泥臭い」雰囲気に驚くとともに、宗教離れが進むヨーロッパにおいて、地域の人々に愛され、熱気を伴って使われている礼拝堂が存在することに感動した。

杉山先生が振る舞ってくださる宿舎の食事は毎回美味しく、イタリアの食材の美味しさと調理技術に圧倒された。おかげで体重がかなり増えてしまった。

6. まとめ ── 個人的学び

本研修は、発掘現場実習という貴重な体験をすることができた点で非常に意義深いものであるだけでなく、第一線で研究をしている様々な研究者の方々に直にお話を伺い、その方々が生き生きと現場に関わっている姿を見ることが出来た点で、研究のモチベーションを上げる機会となった。専門を定める前の学部生と共に生活したことも初心に立ち返るいい機会となり、今身につけようとしている専門性を追求したい、と思うようになった。

異国の空気を吸って文化を感じたことに加え、学部生、研究者、ドキュメンタリー作家など、日常ではなかなか会えないような人々と同じ時を異分野横断的な現場で過ごせたことは、一生の宝物になるに違いない。

報告日:2018年10月15日