2018年度・新潟県越後妻有研修「地域における教育とアート」研修報告 西村 啓吾

2018年度・新潟県越後妻有研修「地域における教育とアート」研修報告 西村 啓吾

日時
2018年8月25日(土)〜26日(日)
場所
新潟県越後妻有
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクトH「生命のポイエーシスと多文化共生のプラクシス」

ihs_r_h_180825_echigo_tsumari_01.jpg

2018年度・新潟県越後妻有研修「地域における教育とアート」について報告する。本研修では、越後妻有(新潟県十日町市)で2000年より開催されている「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」を訪れるとともに、「越後松之山体験交流施設 三省ハウス」(旧松之山町立三省小学校)で行われたイベント「松之山オープンキャンパス ──アートによる学びのこれから──」に参加し、同地域におけるアートや教育を通じた地域振興のあり方を実地に学んだ。

報告者は、松之山オープンキャンパスにおいて、カオス*ラウンジ代表の黒瀬陽平氏によるレッスン「現代アートの学校」に参加した。このレッスンでは、地滑りによって形成された松之山の地形をフィールドワークするとともに、地震や地滑りに対し日本人が歴史的にどのような認識と想像を抱いてきたかを、アートを通じて学ぶためのワークショップが行われた。参加者は十日町市在住の小学生とその保護者たちが主であった。

ihs_r_h_180825_echigo_tsumari_02.jpg

大地の芸術祭でもよく知られるように、越後妻有には美しい棚田の風景が存在する。こうした棚田は、人為的に地形を切り崩して作られたものではなく、地滑りによって形成された地形と豊かな湧水を利用して作られた、いわば自然と人間の共作により生まれた芸術作品である。フィールドワークでは、根曲がり杉や湧水、植物の多様性などを手掛かりにして地滑りの痕跡を自分の足で巡り、“地滑りの聖地”である松之山の自然の魅力を肌で感じることができた。ワークショップでは、「辰ノ口」という松之山に実在する地名が、かつて地震や地滑りを起こす原因だと考えられていた龍になぞらえて“龍の口”から付けられた可能性があるという解説を聞いた上で、地形図に生き物の形を発見するという作業を行った。自由な発想で次々に地図上から生き物を見つけ出す子供たちの想像力の豊かさに感銘を受けるとともに、どうしても型にはまった見かたをしてしまうという報告者自身の思考の柔軟性の無さを痛感した。こうした体験は、参加した地域の子供たちにとっても、自身の住む土地の魅力を知る新鮮な機会であるようで、こういった機会が子供たちの“地元愛”を育て、将来的に地域に貢献する人材の育成に繋がっていくのかもしれないと思われた。

ihs_r_h_180825_echigo_tsumari_03.jpg

ihs_r_h_180825_echigo_tsumari_04.jpg

若者の都市への流出による人口減少や、それに伴う地域高校の廃校の危機という問題を抱えている松之山にとって、地域の若い担い手の育成は重大な課題となっている。理想的なのは松之山で生まれ育った子供たちが、地元に留まってその未来を支えていくことだが、現状を鑑みると、その理想とは大きな距離がある1。若い担い手の確保のために考えられるもう一つの方法として、外部から松之山に若者を呼び込むという方法がある。大地の芸術祭に長年スタッフとして関わってきたアートフロントギャラリーの関口正洋氏とIHS生との打ち合わせにおいてもそのことが話題に上った。外部からの若者の呼び込みを実現するためには、松之山が若者たちに魅力的だと思わせるような何かを見つけ出し、あるいは生み出し、発信していくことが必須となる。いま、松之山を含む越後妻有地域全体でそのような魅力を生み出す力として強い期待を受けているのが、大地の芸術祭をはじめとするアートの力である。

大地の芸術祭では、“地域を興す”、“人と人を繋げる”という地域貢献の目的がはっきりと掲げられている。このことは、アートの役割を、主に新しい概念や前衛的発想を生み出すという点に見ていた報告者にとって、新鮮なことであった。大地の芸術祭のアートディレクターを務める北川フラム氏は、その著書「ひらく美術――地域と人間のつながりを取り戻す」の中で、「妻有の芸術祭は美術情報を得るというよりは、作品に導かれての巡礼のようなもの」であり、「これが妻有の魅力にな(る)」と述べている2。つまり芸術祭は、越後妻有という土地そのものが持つ魅力を、アート作品をきっかけに知らしめようという試みなのである。そういった意図を前提にアート作品を巡ると、視線はアート作品そのものだけではなく、作品を包み込む周囲の環境である越後妻有に元来から存在していた自然の風景へと向かうことになる。

ihs_r_h_180825_echigo_tsumari_05.jpg

ihs_r_h_180825_echigo_tsumari_06.jpg

ただ、確かに、越後妻有のアート作品を取り巻く自然は、都会でせわしなく生きる報告者にとっては心のオアシスのようであり、人の手と自然とが調和して生まれた特有の棚田の風景は、その無理のなさが見ていて心地良いものであったのだが、同時に、一般の来場者の視点でアート作品を巡り感じることができる越後妻有の魅力とは、ほとんど表層的なものにすぎないのではないか、という疑問も抱いた。その理由は、作品を見るだけでは、地域を愛しそれを語ってくれる人物たちの存在を感じることが難しいと思うからである。北川氏の著書に書かれていたように、芸術祭のアート作品を制作するにあたっては、当初は地域住民の反対の声も大きく苦労が多かったり、それが徐々に作品を受け入れた住民による温かな応援へと変わっていったりと、様々なドラマがあったようである。想像力を働かせれば、作品を通してその情景を頭に描きだすことは可能かもしれない。また、北川氏の地域にかける並々ならぬ情熱を知っていれば、作品を目にした時に心が揺り動かされることもあるだろう。しかし、それらはその土地を訪れることによって直ちに得られるような実感ではなく、むしろ地域の人々との実際のふれあいを通じて初めて生の感動として抱くことができるようなものだと感じた。

ihs_r_h_180825_echigo_tsumari_07.jpg

報告者は、昨年の冬に、IHSのプログラムとして行われた瀬戸内研修「アートによる地域振興──海・島・生命のかたち」に参加した。研修で訪れた直島・豊島・小豆島は、「大地の芸術祭」に続いて誕生した瀬戸内国際芸術祭の舞台であり、そこにおいて芸術祭は地域の活性化という点ですでに大きく成功している。しかし、報告者が島の魅力を真に感じたのは、島内のアート作品やプロジェクトそれ自体だけでなく、むしろ島で生きる方々の話を伺い、瀬戸内海の島々の辿ってきた歴史と芸術祭がもたらした変化を実地に知ることによってであった。この時の体験から、地域の魅力とは、そこに生きる人たちの思いや姿、過去に生きていた人たちの思いを知ることによって、初めて強く伝わってくるものであるという感覚が報告者の中に生まれた。大地の芸術祭でも、そういった人々の思いや姿がより感じられるような展示になっていけば、来場者に与える越後妻有の魅力はより大きなものになるだろうと感じられた。地域の人々を知り、地域の魅力を知るという点から見ると、先に述べた黒瀬陽平氏によるフィールドワークは、アート作品を巡る以上に、松之山の自然と歴史、そこで生きてきた人々の姿がありありと想像されるものであり、地域の魅力を感じることができるものであった。参加した子供たちが、地形ができる原理など細かなことまですべては理解していなかったにせよ、フィールドワークを楽しんでいたであろうことは横で見ていてよく分かるものであった。松之山に限らず、人口減少などの課題を抱える地域では、知識や経験を持ち地域の歴史と魅力を語ることができる人物が、いま最も必要なのかもしれない。語るための準備には苦労がかかるに違いないが、そういった“人の魅力”が現れて初めて、地域の魅力が輝き出すのだと報告者は考える。そうなって初めて、同じく手間を惜しまずに作られたアート作品たちとの相乗効果が生まれ、より地域の魅力が強く発信されるような力へと変わっていくのではないだろうか。

ihs_r_h_180825_echigo_tsumari_08.jpg

十日町市および松之山では、1950年以降継続して年少人口(0~14歳)および生産年齢人口(15~64歳)が減少の一途を辿っている上に、近年では老年人口(65 歳以上)がおよそ50%をも占めるようになった。.十日町市人口ビジョン,新潟県十日町市ホームページ,2015年10月29日掲載
http://www.city.tokamachi.lg.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/6/000043279.pdf
北川フラム,ひらく美術──地域と人間のつながりを取り戻す,ちくま新書,2015.

報告日:2018年10月23日