2018年度第二回つくばみらい市農業実習 報告 葛原 敦嘉

2018年度第二回つくばみらい市農業実習 報告 葛原 敦嘉

日時
2018年5月26日(土)
場所
茨城県つくばみらい市寺畑およびその周辺
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクトH「生命のポイエーシスと多文化共生のプラクシス」
協力
NPO法人「古瀬の自然と文化を守る会」、東京大学大学院農学生命科学研究科

2018年5月26日、IHSプログラムとして本年度二回目のつくばみらい市農業実習にわたしは参加した。NPO法人古瀬の会は、古瀬地域の自然や文化などの保全や復元、また都市と農村の交流を通じて人間関係を再構築することによって地域の活性化を図り地域の振興に寄与することを目的に設立された。会員の皆さんはほとんどの週末を作業やイベントに費やし、文化の保全に尽力されている。

寺畑の田んぼに着いたわたしたちは、最初に昼食をこしらえる班と田植えを行う班を割り当てた。単純なことだが、生活の中で生命を維持する食を用意する労働、そしてその食を生産するための労働、二つが存在し両立するからこそわたしたちの生活が維持されてきたことに思いをめぐらせた。わたしは田植えの班に参加し、トラクターで植えきれなかった部分や、植え残しのあった部分を手作業で確認し植える作業についた。寺畑の会館から畦道を少し歩き、傾斜になった小さな丘を下って、わたしたちは今回作業する田んぼへとやってきた。

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寺畑の畦道

作業を始める前に、古瀬の会の方から農作業について説明があり、その途中に話してくださった津波についてのお話が非常に印象的であったため記述する。

2015年9月10日鬼怒川が決壊した。鬼怒川の堤防が決壊した際、実際にわたしたちがこれから作業をする予定の畑まで浸水があったが、寺畑の集落ぎりぎりでなんとか水の進行は止まったという。この周辺は10メートル程度しか勾配がないため、決壊が起これば必ず被害が出るのだが、水がやってくるまでは約27時間もあり、集落のみんなの防災意識が低かったため、具体的な対策をとらなかったらしい。後に国交省のハザードマップを確認したところ、書かれていた通りの浸水状況だったらしく、普段から気をつけていれば十分に予見できたことであったという。

このお話を聞いて、わたしたちは災害で被害を被るまで、自然と共生していることを忘却してしまうことを再確認した。日常において、潜在的に抱えている災害のリスク、あるいは多文化が混在する社会における衝突は見えなくなっているだけで、依然として常にそこに存在している。災害や衝突のリスクというものが常に存在していることを自覚することは、人間の安全ひいては様々なモノとの共生にとって非常に重要であるからこそ、わたしたちはその危機の忘却や隠蔽と闘っていかなければならないだろう。

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堤防の決壊についてのお話

堤防の決壊についてお話を伺った後、田んぼの仕組みについて実際に作業を行いながら説明を伺った。わたしたちは横並びに一人3列ずつ担当して稲を植えていった。前回の農業実習で体験した種まきの作業から約1か月、稲は青々と成長していた。種籾は前年の稲刈りの時に選別したものを乾燥させ、保管している。この種籾を水に「ひやして」(稲が枯れないように、田んぼにひたしておくこと)芽を出したものを蒔く。この種を水に浸して芽が出るまで、積算温度と言われる大抵必要な温度は120℃で、水温が10℃だと12日で120℃である。30℃だと4日で芽が出るのに適当な温度を満たすことになる。こうした温度調節は非常に繊細であるため、作物の収穫安定のため人工的に温度調整がされる。こうした段階を経て発芽し、稲箱のとおり四角に生い茂った稲たちを左掌の上に載せて、3本程度ずつトラクターの植え損ねた場所に植えていく。水田の土は、表面から15センチ程度トロトロになっているが、それより下は耕盤というものがあるお陰でトラクターが沈まないようになっている。また、足跡をつけすぎるとその分土が押し込められてしまい、苗が浮いてくるので注意しなければならない。この苗たちは丈夫で、4、5日水没しても案外大丈夫だがやはり田んぼの水調整は米作りにとっては非常に重要で、毎日欠かさず水量の調節を行う。豊かな水に誘われてあるいは水の氾濫などによって、水田の中には魚が入ってくることもあり、そこで産卵された卵たちは8月くらいに稚魚になるので、それを食べることもあるそうだ。そして良い米が実る田んぼにとって土の栄養分は重要な側面である。現在は技術の発達により栄養分が徐々にしみでる肥料が存在し、最初の一回それを使うだけでよいのだが、昔は何度かにわけて肥料をまく必要があったそうだ。肥料の原材料は米ぬかや油かすで、お金を出せば有機肥料を使うことができる。土地に栄養があればそれだけ風などに飛ばされてきた種たちが雑草をはやすために、植えてから一ヶ月は手作業で雑草と戦わなければならない。

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稲の持ち方を教わる

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稲を冷やすIHS職員

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実際に作業を行った田んぼ

上記の田植え作業を終えて、わたしたちは昼食班が作ってくれた料理を頂いた。メニューは野外で火をおこしかまどで炊き上げたお米と、ジャガイモや玉ねぎの入った味噌汁、サラダ、揚げ物、そして古瀬の会の方が漬けてくださった玉ねぎのピクルスだった。途中和やかな食卓の中央に、突如頭上の木から毛虫が大きな音を立てて着地するという衝撃的な事件も起きたが、非常に充実した昼食の時間を過ごした。午後からは芝刈り機を使って畦道の草刈りを行ったが、先ほどの事件の衝撃からわたしを含めた何人かの人は、頭上に毛虫が落ちてこないか不安を覚えながら作業を行ったのではないだろうか。

ところで、こうした一瞬の出来事にもわたしたちの生活をかえりみる要素が含まれているだろう。わたしが小学生だった15年ほど前は、毛虫が小学校の木に沢山いて、同級生たちがそれを大量に虫かごに集めて楽しんでいたのを覚えている。しかし現在同じ小学校を観察しても毛虫はいない。あるいは都市の中で、虫を発見するということもあまり多くないだろう。確かに、わたしたちが不安なく生活を営むことが出来ることは必要である。しかし多文化や「他者」との共生という理想を構想する際に、自らのリスクと引き換えに「他者」を排除する現実から目をそらさないことが重要であると感じた。言い換えるならば、わたしたちは自分に危険を及ぼし得る存在と同じ空間で生活することができるのだろうか?という問いに応答する責任を持たなければならない。昨年話題になったヒアリ、あるいは「テロリスト」とみなされる人たちが生活圏に存在するときに発生する共生の問題がその一例だと言える。わたしたちは、生存へのリスクが高まったと感じた時に他者を排除するという選択を取ってしまう。何気ない毛虫の例から、人間は何かを殺すことなしに生活を営むことが困難な環境を生きているということに、再び気づかされたのであった。あるいは田んぼに飛来してきた「雑草」と共生することの困難についても同じことが言えるかもしれない。この困難とは、食において他の動物や植物に依存しているということももちろん含まれるが、ここでより包括的に考えたいのは食という問題も含めた自身の生存か、他者の生存かという選択を迫られる状況についてである。

例えばわたしは「人間」を殺してはならないという倫理観を持っている。しかし、それと同時に自身の信条や利害に敵対する存在を排除する欲求を持ちうる。このことを毛虫の例と重ね合わせて考えるならば、わたしは危害を及ぼすリスクとして毛虫を殺してしまうのか、わたしの生活圏に存在すべきではないものという嫌悪感から毛虫を殺してしまうのかという疑問が生ずる。あるいは何らかの危害を前もって裁くべきなのか。また公共空間に目を向ければ、どのような存在を経済や社会におけるリスクや遅れとみなし、それらを公共の場所からあらかじめ締め出しているのかということも見えてくるだろう。この問題を緻密に議論するのは難しいが、寺畑においては少なくとも毛虫が存在する空間が形成されているということは注目に値すると感じた。もちろん農作物に害を及ぼす生物たちとの共存は難しいが、どこまでをわたしの生活圏とし、どこまでを生物たちあるいは他者の生活圏として尊重するかという視点がこの事象から読み取れるのではないだろうか。毛虫が畦道を這っているのは、まさしくそこが人間の生活圏と動植物圏が曖昧な場所であるということである。しかし、そもそも人間が活動を行わなければ、人間のための空間は形成されない。この人間の活動によってつくられた都市は、わたしたちの生活圏を広範に整備していく。だからこそこの生活圏から締め出された他者を、もう一度共生という言葉の俎上に乗せなおすことは重要ではないだろうか。今回の体験から得られた、だれが・なにが生活圏において他者とみなされるのかという疑問は今後ともわたしの課題として取り組んでいきたい。

前回の実習で、わたしは研修での炊事や会議において男性と女性の領域が分けられているとことを報告したが、今回の実習では田植えの手法の変化から新たな視点を見出した。それは文化というものが絶えず変化する流動的なものであるということだ。あることは伝統なので守らなければならない、といった言説に見られるようにわたしたちが普段文化を捉えるとき、それを固定されたものとして扱ってしまいがちである。そのことが文化保存のジレンマを生み出すのかもしれない。そのジレンマとは、何かを継承し時には変容がおこるとき、わたしたちは何をその文化を特徴づけるものとして守るべきもの/守らなくてもよいものと定義するのかということである。実際田植えという作業ひとつを見ても、手植えから機械作業へ変化している。それは機械技術の発達によってもたらされた合理的な変化だろう。また、そうした作業の変化は単なる田植えの一工程が変わるというだけではない。わたしが特に着目したのは、そのことによって一人で完結できる作業が増えていくことである。従来の手植えでは複数人がラインを形成して作業を行ったのに対し、トラクターでは一人の人間だけでそれをこなしていた。このことはある食の生産一つが、コミュニティや文化の形成にも重大な影響を与えうるということである。つまりこの作業が単独で行えるようになるということは、コミュニティの成員を多く必要としないことにもつながりうる。わたしたちの生活が技術や倫理とどのように相互作用するか、わたしたちは流動する文化の何を保存することができるか、しなければならないか。ある食文化の一工程をとっても、わたしたちがどのような未来を創造するかということに密接に関わっているのである。そこに生活を根ざす人々が主体的に文化を創造することが出来るならば、明確に分けられていたジェンダー役割もまた固定的な文化として捉えるべきではなく、機械による田植えの変化のように、個々人の差異を尊重しながらその妥当性を問い続けていくべきではないだろうか。

最後に本実習に携わり御協力してくださった皆様に御礼申し上げ、報告の結びとする。

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かまどのご飯をよそうIHS生

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味噌汁を味付けする教員

報告日:2018年6月11日