葛飾区郷土と天文の博物館イベントの運営 報告 宮田 晃碩

葛飾区郷土と天文の博物館イベントの運営 報告 宮田 晃碩

日時:
2019年3月29日(金)~30日(土)
場所:
葛飾区郷土と天文の博物館
主催:
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクトH「生命のポイエーシスと多文化共生のプラクシス」
協力:
葛飾区郷土と天文の博物館

今回私は「葛飾区郷土と天文の博物館」(以下「葛飾区博物館」)でのイベント運営に、二日間の日程で参加させていただいた。主に参加したのは、「東京港醸造」の齊藤俊一さんをお招きしての酒造りに関する講演会であったが、博物館ではインターン学生として受け入れていただき、博物館での活動全般について多くのことを学ぶことができた。

研修の詳細に先立って、この研修を通じて印象付けられたことをまとめて示したいと思う。それは一言で言えば、博物館の役割が単に史料・資料を集め保管し展示するということに尽きるのではなく、むしろ「知」を生きたものにするという点にある、ということである。これは「物」「場所」「人」の三つの点から示せるだろう。つまり、(1)様々な「物」に文脈を与え直し、現在の我々の生活を捉え直す機会を提供するということ、(2)現に我々が暮らしている「場所」に気を配り、そこに暮らすということがいかなる意味を持つのか、共に反省するということ、(3)市民に活動・探求の機会を提供し、またそのためにまず信頼関係を構築・維持するということである。少なくとも葛飾区博物館においては、市民は単なる「お客さん」として知識を享受するだけの存在ではないし、地域はただ資料を産出するだけのいわば「鉱脈」などではなかった。これらの点を念頭に、今回の研修を振り返ってみたい。

まず、今回受け入れを担当してくださった小峰園子さんから、博物館の概要について、特に葛飾の地誌的な特徴に絡めてご説明をいただいた。その特徴とは主に、水との関わりが極めて深いこと、また都市近郊に位置しており、江戸ないし都心との関わりのなかで発展推移してきたことである。第一の点に関して言えば、江戸川・中川・荒川の流れる低地でいかに水害と闘ってきたかということや、逆にその水利をいかに活かしてきたか、ということが焦点になる。葛飾は元来、一面に水田の広がる地域であった。酉の市の飾熊手は有名であるが、あれは農家が副業でこしらえ、毎年江戸での流行を作ったのである。また江戸で回収された人糞尿は「下肥」として船で運ばれ、利用されたという。ここには「都市近郊」の独特の性格が現れている。ところがいまや、葛飾区内に水田は残っていない。都市近郊ゆえに、いわゆる下町の工場が発展したり、宅地開発が急速に進められたりしたためである。

「郷土」についての展示は、こうしたことを単に過ぎ去った歴史として見せるのではなく、むしろ「水」「都市近郊」といったテーマで配置することにより、現在の暮らしと連続的な事柄として見せる。縄文時代から弥生時代、古墳時代……そして現代というような、時系列に沿った一般的な展示をするのではない。また博物館の前の通りには、緑道に小さな水田を設けており、市民有志から成る「田んぼサポーター」および「田んぼジュニア」がここで実際に米作りの作業をする。これは、葛飾区から消え、生活から縁遠いものとなった水田を、体験として残す取り組みである。つまり「郷土」についての博物館の活動は、まさにこの地域の歴史を生きたものとして息づかせることにあるのである。だがそのためには当然、人の参与がなければならない。

実は今回お手伝いさせていただいた酒造りについての講演会も、経緯がやや複雑だが、この水田についての活動を背景としている。講演会は、葛飾区博物館と「葛飾酒造り本舗」との共催で開催された。「葛飾酒造り本舗」というのは、大正時代まで葛飾区内に造り酒屋が存続していたということから、これを復活させようという目的とともに発足した市民グループである。はじめ博物館前の水田でとれた米を利用して日本酒が作れないかと画策したものの、とても量が足りないということになり、模索の末、福島県東白川郡塙町の水田で米を作り、矢祭町の藤井酒蔵店で純米酒を作るという活動をしている。また一方、今回お話を伺った「東京港醸造」は、かつて港区で造り酒屋をされていたのが、明治44年以降廃業しており、現当主が苦心の末100年の歳月を隔てて復活させた、というものである。じつは現在ここが23区内唯一の造り酒屋となる。その歴史やノウハウを学ぼうというのが今回の講演会の趣旨であった。一見すると、何故港区の酒造の講演会が葛飾区博物館で開催されるのか分かりづらいのであるが、その文脈を振り返ってみると、このイベントが大変息の長い活動の中に位置づけられるということが分かる。博物館の学芸員である小峰さんは、こうした活動を繋いできたのである。

講演会は土曜日の午後に開催され、かなりの盛況を見た。講演会については、「葛飾酒造り本舗」のブログ記事https://ameblo.jp/katsusake/entry-12450929605.htmlに報告がある。限られた敷地内でいかに醸造を実現するかなど、興味深いお話ばかりだったのだが、私にとって特に面白く印象的だったのは、かなり念入りに家族史が語られたことである。当主の齊藤さんが酒造りを復活させた熱意には、おそらくその家の歴史への愛着というものがあるだろう。これに対応するものを、おそらく「葛飾酒造り本舗」の方々にも見出すことができる。ただしそれは、必ずしも「地域への愛着」といった言葉で単純に説明すべきものではなかろう。何となれば、米作りも酒造りも葛飾から遠く離れた福島県へわざわざ足を延ばし、酒造りを行っているのである。それでもこの活動は「葛飾酒造り本舗」なのである。これをどのように考えればよいだろうか。ひょっとすると、この活動をして「葛飾」と名乗らしめているものこそ、葛飾の「歴史」というものなのかもしれない。水田も酒蔵も消えたのだが、それにも拘らず、これら消滅したものが現在の活動を動機づける力を持つ。そして、失われたものがこうして力を持つということこそ、ここで博物館が可能にしていることなのである。

このように考えると、郷土の歴史を知として生かすということは、意外な広がりと可能性を持つように思われる。例えば酒造りが為されていたという歴史を活かすために、必ずしもその土地で酒造りを行わねばならないわけではない。そうした「再現」とは別の仕方で、歴史が生きるということがあり得る。そして「葛飾酒造り本舗」の場合には、それは多くの他の場所と関わりを持つことによって実現されていた。これが可能なのは、当然だが他の場所で酒造りができる場合である。こうしてみると、地域の歴史を考えるということは、それが変化を受け入れねばならない限り、他の場所との関係をあらためて模索する、ということを要請するのであろう。他の場所との間に新たな関係を築くということが、「地域の歴史を活かす」ことであるかもしれないのだ。

今回の研修では、博物館の活動の一環として、他に金町地区センターでの「川漁ファンクラブ」の展示の手伝いにも参加させていただいた。また天文分野では、実物を展示することが原理的に難しいため、むしろ場所や機会の提供を大事にしている、ということについてもお話を伺った。葛飾区博物館は、こうして市民の活動を支えているのである。講演会の片づけを終えた後、葛飾酒造り本舗の方々に誘われ、花見に参加させていただいた。ややあって小峰さんが現れると、皆さんが喝采で労をねぎらう。信頼関係の厚さを感じさせる一幕であった。