Study tour to Kyoto with graduate students from the University of Pennsylvania Annenberg School for Communications 報告 田中 瑛

Study tour to Kyoto with graduate students from the University of Pennsylvania Annenberg School for Communications 報告 田中 瑛

日時
2016年6月19日(日)〜6月20日(月)
場所
京都、同志社大学
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト5「多文化共生と想像力」

2016年6月19日(日)・20日(月)、ペンシルバニア大学アネンバーグの大学院生を招いた『SummerCulture 2016』の一環として京都学習旅行が行われ、筆者も同行した。錦市場、金閣寺、龍安寺、清水寺と、京都の主要な観光名所を案内しながら、同じくメディア研究を専攻する米国の学生と親交を深めることがこの企画の主な狙いである。

京都は多文化共生の色彩が強い都市である。古代・中世・近代と時代の重層性を有するために、各時代に流入してきた異なる外国文化の影響が至る所で交錯しており、現在では代表的な観光都市として海外から多くの観光客が訪問している。ペンシルバニア大学の学生に京都を案内することは、すなわち「日本人である私」を相対化することであり、異なる視座から京都に表象される日本文化に眼差しを向けることである。海外経験の無い私にとっては英語で会話をするだけでも一苦労であったが、ペンシルバニア大学の学生と会話を交わすことで、それ以上に文化的な相違を感じる契機となった。

一方で、現代を生きる私自身も「日本文化らしさ」の表象を無意識に内面化しているに過ぎない。例えば、龍安寺の枯山水に見られる禅の思想はやはり抽象的であり、日常生活に関わりのないこうした事柄を説明するのは難しい。枯山水に配置された岩や小石が山や海を表象しているというのは、文献の読解を通じて刻み込まれた「知識」を紹介しているに過ぎない。しかしながら、そうした説明に対する「日々手が加えられながらも同じ状態を維持し続けているのは奇妙だ」というペンシルバニア大学の学生の感想を聞くことで、こうした文化遺産にシミュラークルという特性があることの異質性に、こちらが気付かされる。

ペンシルバニア大学の学生には様々なバックグラウンドを持つ人がいる。マス・コミュニケーション研究を専門にしている私は、中国で報道記者を務めた経験のある留学生と互いの国のキャリアコースについて話し、日本ではプロのジャーナリストを企業が育てる制度設計がなされているが、それだけでは記者自身の独自の視座を欠いてしまうのではないかという問題意識を共有した。

2日目には同志社大学のMartha Mensendiek教授の「The Multicultural Population in Japan: from a Human Rights Perspective」と題する授業を受講し、日本で見られる多文化共生の問題を共に考えた。日本では200万人を超える外国人住民が生活を送っているが、ビザの普及に関する問題から限定的なものであり、欧米諸国で見られるような移民政策とも異なる様相を呈している。例えば、京都駅の南側には在日朝鮮・韓国人の暮らすコミュニティがあり、戦前から暮らすオールドカマーと戦後に移住してきたニューカマーが混在しながら暮らしている。こうした複雑化する状況にNPOがどの様に向き合っているのかなどの話も聞いた。

本格的な国際交流を初めて経験し、京都という場でペンシルバニア大学の学生と交流を行い共に学んだ経験を総括すると、多文化共生を阻む問題は言語の問題に留まらない「異質性」の問題であり、「前提」を欠いたコミュニケーションから生じる新たな気付きを他者の問題としてではなく、自らの問題として引き受けることが求められているように思われた。本企画では、その第一歩を踏むに留まったが、今後も継続してこうした問題群に取り組んでいきたい。

報告日:2016年7月17日