東京・メルボルン・シドニー研修 報告 武内 今日子

東京・メルボルン・シドニー研修 報告 武内 今日子

日時
2018年2月1〜9日(東京)、2月27〜3月8日(メルボルン・シドニー)
場所
東京、メルボルン、シドニー
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト5「多文化共生と想像力」

オーストラリア研修は、前半の東京におけるプログラム、後半のシドニー・メルボルンにおけるプログラムから成っている。日本の学生は、院生は3人と少なく、主に学部生のメンバーで構成されており、様々な専門分野から学生が集まり、メンバーの多様性が刺激的だった。オーストラリアの学生は、民族や年齢にさらに多様性があった。様々な背景をもつ学生が参加していたことは、プログラムにおける議論を深めることにつながったと思う。

東京プログラムにおいて中心となったのは、班ごとにテーマを決めたフィールドワークである。私たちの班では、ジェンダーやセクシュアリティの表象が、どのように東京の街で見えやすいもの/見えにくいものとして現れているのかというテーマを設定した。街に散在している看板の表象、渋谷周辺のラブホテル街、池袋の漫画や同人誌を販売している店舗などを訪れた。特に、オーストラリアの学生はBL漫画の広がりに興味をもち、それらが主に女性に読まれていることを伝えると、なぜ女性が男性同士の恋愛・性愛に関心をもつのかが気になった様子だった。女性が自分の性的欲望を直接表すのが難しい社会状況があるために男性によって表現するという説、男女では結婚などの社会的状況に焦点を当てざるを得なくなるために、純粋に関係性を描くためのファンタジーとして表れているという説、ゲイ男性からの批判もあることを説明した。フィールドワークを通じて、日本において、どのような性的表象が認められていたり、人々に支持されていたりするのか、もしくは支持されないかということを、普段気づかなかった視点から捉え直すことができた。

講義も興味深い論点を扱っており、活発な議論が交わされた。まず、矢口祐人先生による北海道のアイヌ民族に関する講義では、日本に暮らし、教育を受けてきたにも関わらず、知らないことも多く、いかにアイヌ民族の存在が不可視化されているかという現実を突きつけられた。また、白人特権に関するビデオを視聴し、それについて議論する伊藤圭子先生の授業では、目や肌の色という身体的特徴によって、差別に対する当事者意識が大きく異なっており、非白人が日常的に差別的状況に置かれているという重要な指摘がなされていた。映画「Dooman River」を鑑賞して議論したエリス俊子先生の授業では、中国と北朝鮮の国境において難民に対する公的な扱いに振り回される少年たちの友情から、国家の境界設定が与えてしまう影響と、それがどのように暴力的な形で現れるかを議論できた。特に日本では人種の問題を授業で扱うことが少ないため、これらは貴重な機会だった。自国の社会や文化を捉え直す契機となった点で、東京プログラムは有意義であった。

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オーストラリアでのプログラムは、前半はシドニー大学で授業を受けたりフィールドワークを行ったりし、マルディグラ・パレードにも参加した。後半はメルボルン大学での授業が中心となった。最後にメルボルン大学でClaire Maree先生のもと、プログラム全体の振り返りを行った。

シドニーでのフィールドワークでは、大学近くの通りを散策するなかで、歩行者の多様な人種や、マルディグラ・パレードを直前に控えてレインボーフラッグを掲げる店などを観察した。クラス全体の議論では、LGBTの経済効果を指摘する意見が多く出されたほか、継続的な支援や当事者自身による活動の場をどのように確保するかという課題があることが指摘された。それらのフィールドワークと、同性愛者を中心とした権利獲得運動の歴史解説を経て、私たちはマルディグラ・パレードに参加した。日本のパレードと比べて、参加団体、ボランティア、観客、それぞれの規模が大きく、性的指向や性自認だけではなく、宗教や国籍などによって分かれている団体や、当事者の家族の団体も多く参加していることが印象的だった。とはいえ、目についたのは必ずしも良い面ばかりではない。まず、ゲイやトランス女性など、生まれが男性である人がパレード参加者に多いように感じられた。そこには、男性の経済的優位が反映されているように思われる。また、多くは「レズビアン」「トランスジェンダー」といったカテゴリーを掲げて主張を行っており、それはアイデンティティの表現という点で重要ではあるが、他方で、あるカテゴリーで表現できないあり方をもつ性的マイノリティの存在はパレードでは不可視化されやすいだろう。

メルボルン大学では、シドニーでの経験とは異なり、大学での授業がメインとなった。日本語の授業では、日本語の文法を日本語でオーストラリアにいる学生と学ぶという経験を通じて、普段当たり前のように用いている日本語がどのように成り立っているのかを異なる視点から捉え直す機会となった。また、Kin-Min Chan先生による香港における雨傘運動についての公開講義が、社会運動論の観点からは興味深かった。香港では、大学生が主導的な役割を果たしていることもあり、それは日本において純粋に若い学生のみの運動が継続して生起しにくい状況とは対照的であると感じた。

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全体的にオーストラリア・プログラムでは、先住民であるアボリジニをめぐる歴史や政策に関する講義が多く、La Perouseにおけるアボリジニ・ツアー、Boomalli Galleryにおけるアボリジニによる絵画鑑賞、移民博物館など、様々な施設を訪れる機会が多くあった。アボリジニによる絵画は、性的欲望をどのように表現するかという正面から取り組まれることの少ないテーマを扱っていることも多いのが印象的だった。美術館はデザイナーがアイデンティティを表現し、グッズ販売によって収入を得る場でもあり、マイノリティの文化を保存することに重要な役割を果たしていると感じた。また、移民博物館は、日本の博物館のあり方とは良い意味で大きく異なっていた。移民の流入とその扱いについて、単に歴史資料を羅列するのではなく、参加者が視覚、聴覚、触覚をつかってマイノリティの生を追体験できるかのような体験型の装置が全体に組み込まれていた。例えばある展示では、バス内部の映像が示され、そこでの黒人の経験を、その周囲にいる多様な人種や立場の人たちをクリックすると、それぞれの視点での経験の仕方が映像と音声によって表現される。そういった仕掛けにあふれており、どの立場の人でもマイノリティの経験と差別の問題を当事者として捉え、また、言葉や身振りがいかにマイノリティとしてまなざされることに結びつくかを学ぶことができた。

プログラム全体を通じて、“多様性”というテーマが設定されてはいるものの、社会状況によって“多様性”に関する関心には偏りがあることも感じた。オーストラリアでは、先住民や移民の問題が、日本においてよりも焦点が当たっている。日本でより重点的に話されていたのはジェンダーの問題であった。これらは重要な論点ではあるものの、“多様性”として障害という観点がほとんど触れられていなかったことは気になった。マイノリティの中でも、障害者はさらに周縁的な立場に置かれることも多く、考えるべき課題ではあったはずだ。

これと関連して、参加者同士の“多様性”を十分に理解し合えたのかという思いもある。個人的には、コミュニケーションの困難を感じることが多かったと感じている。私には英語を自分の言いたいことを十分に伝えられる程度に話すことができなかったり、集団の中で話すのが人よりも困難に感じたり緊張しやすかったりする状態がある。それによって生じる不利益は、特にフィールドワークにおいては、文字資料を呈示することで緩和しようと考えていた。ただし、口頭でのコミュニケーション能力は多くの人が共有していることが前提となっており、その困難を伝えるには言葉を用いるほかない。そして、障害と簡単に言ってしまうことは、自分のアイデンティティと異なっているし、過度にマイナスで大きなアイデンティティとして受け取られる可能性がある。かといって、簡単な言い方をせずに自分の状態を説明しようとすれば、日本語でさえ難しい説明を要求され、英語でそれを行うことは私にはさらに難しい。東京プログラムでは、英語を当たり前のように用いてよいのかという話題が全体の振り返りとしてなされ、単に反省が必要だということではなく、日本人の学生が用いる、時に不十分な英語を読み取ることにも相当の努力を必要とすることが興味深い指摘としてなされた。その英語の困難という文脈で、私の班員が全員に向かって、「今日子に何かコミュニケーションでの困難についてみんなと話したいことがあるようだ、さあ私たちを批判してくれ」という旨のことを善意で言った。私はこのとき、そのまさに人に話すことに関する困難、つまり、大人数を前に自分の意見を表明する困難と英語で話すことが苦手であるという困難を、英語で全員の前で伝えるよう言われるというジレンマ的状況に陥り、言葉に詰まってしまった。こうしたディスコミュニケーションの経験も、この研修での重要な学びとなったように思う。全体を通して発見の多い、有意義な内容の研修だった。今回可能になった多様な学生とのつながりを、今後も活かしていきたい。

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報告日:2018年3月16日