スーザン・スマリヤン先生講演会 “History of Radio in the United States: Amateurs to Podcasts” 報告 田中 瑛

スーザン・スマリヤン先生講演会 “History of Radio in the United States: Amateurs to Podcasts” 報告 田中 瑛

日時
2017年12月6日(水)
場所
東京大学本郷キャンパス
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)

2017年12月6日(水)、IHSプロジェクト4・プロジェクト5の主催で、ブラウン大学アメリカ研究学部教授のスーザン・スマリヤン先生をゲストスピーカーとして招いた講演会が実施された。講演会のテーマは「アメリカにおけるラジオの歴史――アマチュアからポッドキャストまで」(原題:“History of Radio in the United States: Amateurs to Podcasts”) である。報告者は放送に関する研究を進めてきたが、日本やイギリスとは異なる形で発達してきたアメリカのラジオ放送に関する事情については知らないことが多い。そのため、アメリカでラジオがどのように発展してきたかについて話を聴くのは貴重な機会であり、講演会に参加することを決めた。1920年代に各国で始まったラジオ放送であるが、イギリスや日本は、政府の管轄下に置かれたことで現在のBBCやNHKのような公共放送制度を形成している。その点で、市場原理の下でラジオの商業化が著しく進んだアメリカのラジオ史には特異性が見られる。スマリヤン先生の講演は様々な関心を喚起するものであったが、これらの観点から報告者が重要であると感じた問題を二点挙げて紹介していきたい。

スマリヤン先生は自身の著書であるSelling Radio: The Commercialization of American Broadcasting, 1920-1934 (1996) の内容を紹介しながら話を進めた。ここで、第一に、ラジオの「商業化」がなぜ生じたのかということから、誰がラジオ運営の主体となったのかを見ることが重要であることが示唆された。アメリカの場合には、日本やイギリスとは異なり国土が非常に大きく、長距離通信を行うためには有線でのネットワークを展開する必要があった。そのため、黎明期にラジオ放送の拡張のために利用されたのは電話線であり、電話会社であるAT&Tのような大企業によりその回路が提供されることで普及したという経緯がある。しかしながら、その結果、ラジオ聴取の機会を得るためにはとても高価な出費が必要となったため、聴取者は利便性や独占状態の解消を求めた。したがって、国家的政策の上意下達的枠組みにおいて形成された他国の放送事業に比べると、アメリカのラジオの運営主体は市民のニーズに応える形で変遷したと考えることができる。

その結果として、MBS (Mutual Broadcasting System) やCBS (Columbia Broadcasting System) といったネットワークが展開され、現在に至るナショナルな枠組みが設けられた。そして、ラジオ機器を売りたい業者の要望に応える形で商業化と同時進行でラジオ聴取の無償化が進み、国民的オーディエンスが形成された。商業化は商業放送の特徴であるコマーシャルの手法を生み出し、放送事業者の間での競争を促すこととなった。現在では当時の放送を聴く機会を得ることは少ないが、スマリヤン先生はキャンディー会社をスポンサーに付けて放送された“The Happiness Boys”の実際の歌の音声を再生して聴かせてくれた。その音源からはキャッチコピーを繰り返すことによる広報戦略が垣間見られ、当時から既にいかにして商品を無意識に刷り込ませるかが重視されていたことが分かる。1930年代になるとEddie Cantor、Gertrude Burg、Jack Benny、Burns & Allonなどのコメディアンによる競争が始まり、全国ネットワークに依拠したラジオ黄金期を迎えることとなる。

第二に、スマリヤン先生はアメリカのラジオの特異な発展の特徴がその柔軟性 (flexibility) にあることを指摘する。特にアメリカの場合には他国に先駆けてテレビジョン放送が開始されたことにより、音声のみのラジオ放送が相対的に後退を余儀なくされたことは周知の通りである。しかしながら、アメリカの場合には、マスメディアとして構想されたラジオ放送がアマチュアラジオの普及を経て比較的パーソナルなメディアへと変化し、テレビ放送が普及した後もその形態を変えながらラジオ放送は持続している。特にディスクジョッキーが登場したことにより、ラジオは各々独特の音楽文化を盛り上げることとなった。報告者の体験を踏まえると、そのスタイルが後に日本にも導入されることでラジオの性質が変わったと理解できる。そして、インターネットが登場した後にも、アメリカでは即座にポッドキャストが普及したことにより、ラジオは場所や時間を選ばずに聴取することのできる快適なメディアとして認知されている。 以上のように、スマリヤン先生が講演会で繰り返し強調するのは、アメリカにおけるラジオ運営の主体と形態の変遷の特異性である。それは一方向的な発展とは異なり、社会状況やメディア環境の変化に柔軟に対応することによって文化的基盤を形成し続けていることが分かる。そこから、私達日本のラジオ聴取者が何を読み取るべきかを考え、締め括りとしたい。現在でもラジオを頻繁に聴取するアメリカ人の傾向に対し、日本ではラジオの聴取者は逓減傾向にあるという統計がある。確かな因果関係については改めて確認する必要があるが、テレビも含めて放送事業が個人に対して外在的に展開されてきた日本の放送事業に対して、アメリカでは放送事業が個人と社会を媒介する幅広いスペクトラムを持つものとして認知されているように思われた。技術決定論的な楽観/悲観を乗り越え、その都度適切な形態を模索していくことが放送の持続可能性においては重要なのではないだろうか。

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報告日:2018年1月20日