日中韓学生合同フォーラム─East Asian Interface: Re-Imagining Cultural Geopolitics─研修 報告
 加藤 大樹

日中韓学生合同フォーラム─East Asian Interface: Re-Imagining Cultural Geopolitics─研修 報告 加藤 大樹

日時
2017年11月9-12日
場所
韓国ソウル 成均館大学校
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト5「多文化共生と想像力」

本フォーラムでは、韓国ソウルの成均館大学をホストとして、中国の清華大学、韓国の成均館大学と西江大学、日本の東京大学から学生が集まり、各自の研究について発表するとともに、東アジアの抱える問題についての議論をおこなった。このフォーラムはホストとなる大学を変えながら過去3回にわたって開催されており、第4回となる今回は “East Asian Interface: Re-Imagining Cultural Geopolitics” というテーマのもとに、政治思想や歴史、芸術やメディアなど様々な領域で研究をおこなっている学部生、大学院生が集結した。東京大学からはエリス俊子先生、林少陽先生と、修士課程・博士課程の大学院生3名が参加した。以下においては、2日間にわたる本フォーラムについてまとめ、最後に今回の経験をもとに私自身が考えたことについて述べる。

1日目のフォーラムでは、近代東アジアにおける思想・社会運動、植民地主義や帝国主義、マイノリティや言語、戦後東アジアにおけるマルクス主義など、多岐にわたる研究テーマについて発表があった。特に1日目は、政治や社会思想といった切り口から東アジアの抱えている問題に迫った研究が多く、(前)近代の問題を現代社会における問題とも結びつけながら、刺激的な発表、議論がおこなわれたように思う。個人的に興味深かったのは、各研究テーマはバラバラであっても、方法論の観点から見ると多くの研究が「比較」を軸に据えた研究であり、「比較研究」という意味で類似していたという点である。たとえば、「1920年代、30年代における社会運動」や「戦後のマルクス主義の普及」といった枠組みを設定し、その枠組みの中で日本、中国、韓国の3か国(もしくは2か国)の状況を比較するといった方法が多く用いられていた。たしかに、「東アジアを考える」という本フォーラムのテーマを考慮すれば、ある問題について東アジアの国々で比較するという方法はテーマに沿った妥当な手法であるように思える。しかし、質疑応答でも意見があったように、比較研究をおこなう際は、そもそも国や社会を比較することなど可能なのかということも含めて、慎重に議論する必要があるだろう。このように考えると、「比較」だからといって各国の「違い」ばかりを強調するのではなく、それぞれの「類似点」についても言及しておく必要がある、という質疑応答での意見は、重要な視点であるように思う。というのも、全く異なるものを比較することにはあまり意味がなく、類似の文脈や土壌をもったもの同士の違いを比べるからこそ、その違いの重要性や意義が強調されるからである。また別の観点から今回の比較研究について問題提起をすることも可能だろう。それはすなわち、「東アジア」という比較の枠組みそのものを問題視するということであり、また国家を1つの単位として扱うことを問題視するということである。我々は東アジアの国々について比較するといった場合、「東アジア」という恣意的な線引きの枠内で日中韓を比較することの意味や価値、もしくはその是非について考えておく必要があるだろうし、またそれぞれの国内における多様性にも留意しておく必要があるだろう。以上のような反省的な議論を通じて、比較研究の難しさや奥深さを学び、今後の自分自身の研究にもつながるような視点を獲得できたことは大きな収穫であった。

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2日目の午前中には、北朝鮮から中国への脱北者に焦点をあてた映画 ‘Duman River’ (dir. Zhang Lu/Jang Ryul, 2010) が上映され、それを参加者全員で鑑賞した。この映画では、中国と北朝鮮の国境を流れる「豆満江」の近辺で繰り広げられる脱北者と地域コミュニティの接触、排除、暴力が、生々しく、リアリティをもって描かれている。一見、多くの日本人にとってあまり馴染みのない、特殊な(しかしそれでもやはり重要な)ケースを題材にした映画のように思われるが、この映画が描いているような北朝鮮との国境付近における問題の背景には過去の日本のおこないも深く関係しており、決して他人事では済まされない問題である。映画そのものは理解が困難な箇所もあり、完全に映画の内容を消化できたというわけではないが、だからこそこの映画に関する他の学生や教員との会話では多くの気づきもあり、非常に実りのある有意義な上映会だった。

2日目の午後からは、1日目と同じように学生による発表と議論がおこなわれた。この日は政治的な議論が主要だった1日目とは異なり、アニメやゲームといったポピュラー・カルチャー、映画や劇場、メディアに関する発表がメインであり、参加者それぞれが自身の経験にもとづいて活発に議論をおこなっていた。発表テーマ自体は身近なものが多かったが、内容としてはソフトな文化に埋め込まれた政治性や権力性について問題提起したものが多く、カルチュラル・スタディーズの流れを汲んだ示唆に富む議論が展開された。またこの日は院生だけでなく学部生による発表もあったが、いずれもレベルが高く、斬新な視点から文化的な問題に切り込んでいたように思う。2日目の議論で特に話題にのぼったのは、ジェンダーの問題である。たとえばe-sportsにおけるmasculinityやゲーム文化に垣間見えるsexismなど、性をめぐる政治的、権力的な問題をゲームやアニメといったポップカルチャーを通して可視化するような研究が数多く見られた。今現在、こうしたジェンダーの問題は東アジアにとどまらず世界中で議論されており、まさに国という枠組みを超えた議論の場が求められると同時に、それぞれの固有の状況を考慮した対応策の検討も必要だろう。一方、1日目の質疑応答では、今回の発表論文で取り上げられている個人(研究者)の多くが男性であるという「研究者の性の不均衡」が指摘されており、こうした指摘はジェンダーの問題が単なる研究対象(私たちの外にある問題)ではなく、まさに私たち一人ひとりに関わる問題であるということを示唆している。この2日間の発表や議論を通して、普段触れているポップカルチャーや何気なく取り上げた研究対象にもジェンダーの問題は潜んでいるということに気づかされ、改めてジェンダー・イシューの遍在性を自覚するよい機会になったのではないかと思う。性にまつわる問題は世界的なものであり、解決が望まれる大きな「社会問題」ではあるが、研究者を含め、まずは自分の身近にある問題に目を向けることがマクロな問題の解決に取り組むときの重要な第一歩となるだろう。

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そして最終日となる3日目には、ソウル市内にある景福宮や西大門刑務所歴史館を日中韓の教員、学生で見学した。見学中は、韓国の学生や教員から各建造物にまつわる出来事について説明を受け、また各見学地の現代的意味や社会的位置付けについても解説してもらった。彼らの話には私の知らなかったことが多く含まれ、非常に貴重な経験になった。特に、それぞれの場所で日本の植民地支配や帝国主義による抑圧・被害についての話も数多く紹介され、個人的に考えるところの多い市内研修となった。

今回のフォーラム全体を通して、個人的には「境界Boundary」という語がキーワードになっていたように思う。たとえば上記にもあるように、「東アジア」という境界設定への問題提起を行い、その線引きに自覚的になるといった文脈でも「境界」という語は出てきた。これは端的に言えば空間的な境界設定の問題だが、一方で過去の一時点と現在を分け隔てるような時間的な境界設定もあるだろう。たとえば1日目の発表では、「1920年代、1930年代」「近代」「戦後」といった語が数多く登場したが、このような言葉はまさしく歴史の一時点を切り取るための恣意的な境界設定といえるだろう。いずれにせよ、境界をひとたび作ってしまえば、そこには区別ができ、またカテゴリーができる。もちろんこうした作業は学問的に様々な事象を整理する際には非常に便利だが、一方で一種のステレオタイプや固定観念と結びついてしまう、もしくは境界の中の多様性を見落としてしまうといった欠点も生じる。またこれは現実の世界でも同じであり、性別や国籍、人種といった境界設定が、混沌とした世界を見やすくすると同時に、様々なものを見えなくしてしまっている。そう考えると、われわれは身の周りに溢れる便利な境界設定に身を任せ、それを前提にして議論するのではなく、恣意的な線引き対して自覚的になり、その線引き自体を問題視するような思考を常に意識的におこなう必要があるように思う。そういった意味でも、本フォーラムにおいて「東アジア」というフォーラムのテーマそのものを問題視するような議論ができたのは非常に意義深いものであり、また今後の議論につながる大きな一歩になったと信じている。

最後になりましたが、引率してくださったエリス俊子先生、林少陽先生、そしてたいへんなホスピタリティで歓迎してくださった成均館大学の方々に心からお礼申し上げます。

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報告日:2017年 11月 30日