“Critiquing Diversity” 講演会シリーズ:「NO-NO BOYから考える〜他者との違いを超えて問う、自分は何者か」報告 宮田 晃碩

“Critiquing Diversity” 講演会シリーズ:「NO-NO BOYから考える〜他者との違いを超えて問う、自分は何者か」報告 宮田 晃碩

日時
2016年12月14日(水)19:00 - 20:30
場所
東京大学駒場キャンパス18号館4階コラボレーションルーム3
講演者
川井龍介(ジャーナリスト、ノンフィクションライター)
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト5「多文化共生と想像力」

アイデンティティの問題、という点に興味を抱いて講演に赴いた。

当の"No-No Boy"を未だ読んでいないものの、その簡単な内容を示しておくならば、これは第二次大戦下のアメリカで日系2世の主人公(収容所での生活を強いられている)が徴兵(もちろんアメリカ軍への)を断り逮捕され、その後も日系人としての自分とアメリカ人としての自分の間で葛藤し、様々な立場・考え方の人物たちと関わる中で揺れ動く様を描くものである。戦時下、日系人に対してアメリカへの忠誠を確かめるアンケート調査が行われたが、そのなかでも特に重要な二つの質問のいずれにもnoと答えた者が、no-no boyと呼ばれた。作者のJohn Okada自身、日系2世であるが、しかし彼は従軍している。はじめ1957年に発表したときは注目されず、1971年に亡くなるまで評価を受けることはなかったが、1970年代にアジア系アメリカ人たちを中心に再評価され、マイノリティ文学としての価値を高めていったということである。

折しも映画『この世界の片隅に』(片瀬須直監督、2016年11月公開)を数日前に見たところであった。当然と言えば当然なのだが、同じ戦争が立場を変えればこうも違った意味を持ちうるものかと、反省してみて竦然とする。それを意識したのは、John Okadaの父親が、『この世界の片隅に』の舞台である広島からの移民であった、ということもあるだろう。この不釣り合いな対比を頭に浮かべながら思ったのは、戦争とは、否応なく自身の帰属意識を表面化させ、あるいは再構成させるものなのだ、ということである。例えば何ということのない日々の暮らしが、その耐え難い苦しさのなかで「国のため」の戦いになる。また隣近所との支え合いが、「国のため」の連帯になる。普段とりたてて意識することのない帰属性が、ほとんど暴力的に、自分の生の意味を第一に規定する要素であるかのように、迫り出してくるのである。

その点について言えば、もうひとつ、福島とチェルノブイリを撮ったドキュメンタリー映画を思い出す。それは放射能の恐怖に向き合いながら子育てをする母親たちに焦点を当てたものだった。確かな支えの得られない福島の母親たちがこぼし、ときに小さく叫んだのは「国に見捨てられた」という句である。国家への帰属ということは、安らかな日常生活のなかであまり意識にのぼせられないが、おそらくこれは我々の意識と生活をかなり深いところで規定しているのである。これが与える安心は測り知れない。社会的な極限状況において、それが露わになるのだと思われる。

この小説においても戦争を大きなきっかけとして、自らのナショナリティが、アイデンティティの問題として表出している。とりわけ移民の子というのは、それも白人ではなく黄色人種というのは特殊な立場であった(例えばドイツ系アメリカ人やイタリア系アメリカ人などは比較的容易に「アメリカ人」として受け入れられたらしい)。アメリカ人として生まれながらも市民権を奪われ収容所生活を強いられたこと、その上になお徴兵をかけるという矛盾への怒りや、従軍を断ったことに対する友人や家族の強い非難などに晒され、主人公の苦悩は想像を絶する。

しかし同時に、自らのアイデンティティをめぐる煩悶は―そしてまた自らのアイデンティティについて苦しまねばならない、という事態そのものに関する苦悩も―根本的なところで普遍性を持つとも言える。この特殊さと普遍性の両面に向き合わねばならないと思う。

川井さんのお話を聞きながら特に印象に残ったのは、この小説がいままで専らマイノリティや移民問題に関する研究で盛んに取り上げられながらも、文学作品として正面から取り組まれることがあまりなかった、ということである。確かに研究という態度を取るとき、その対象がいかなる特殊的問題を扱っているか、ということは関心の中心を占めざるを得ないし、そもそもこの作品を手に取る動機からして、やはり特殊な状況についての関心からということになるだろう。しかし、そこで読まれ、理解されるのが依然として特殊的な内容に留まるとすれば、それは小説あるいは文学という形式の意義を等閑視してしまうことになる。それどころか、結局この問題は特殊な状況下での特定の人々にとっての経験に過ぎないのだといって、対話や理解を断念することにもなりかねない。川井さんが講演のなかで、この作品が普遍的なテーマを扱ったものであり、誰でも共感することができると強調されていたことは、極めて重要なことだと思われる。

もともと翻訳を専門にしているわけでない川井さんがこの作品の邦訳に取り組まれたことには、そういう意味でも感嘆させられた。翻訳にあたっての苦労の一端を伺ったが、表現の問題のみならず当時の生活の状況など事実面での確認にも多くの労を要したとのことで、一つの作品を翻訳するということは、まさにその作品の誕生を追体験するほどの仕事なのだ、ということを垣間見る思いがする。作品に込められた主題が根本的には純粋な、普遍的なものであるにせよ、それは具体的な諸事実のなかで描かれるものなのだ。川井さんは自ら奄美諸島を調査してドキュメンタリーを執筆されているが、その執念深いとも言える探究の姿勢に、私は大変惹きつけられた。それはおそらく、人間の極めて純粋なものを求めて、一つの断片もゆるがせにはすまいと真摯に迫っていく姿勢なのだ。

加えて、この"No-No Boy"が長い時を越えて邦訳されたことにも、私は深く心を動かされる。現在日本にいらっしゃるJohn Okadaの親族の方々も、この作家について特別な関心を抱いているわけではないということだったが、しかし小説を通じてしか表現し得なかったであろう彼の葛藤が、現在の、日本の我々に問いかけるに至っている。生前評価されなかった彼の胸中がいかなるものであったかは、資料もほとんど全く残っておらず、知る由がないらしい。けれども、やや傲慢な言い方になってしまうかもしれないが、彼がこの作品を残し、また真摯な訳者を得たということは、我々にとっての幸福だと思う。このことに感謝しつつ、あらためてこの作品をじっくり読みたいと思う。

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報告日:2016年12月31日