プログラム生自主企画:兵庫県豊岡市における調査実習(その2) 報告 小泉佑介、高邉賢史、千葉安佐子

プログラム生自主企画:兵庫県豊岡市における調査実習(その2) 報告 小泉佑介、高邉賢史、千葉安佐子

日時
2016年2月28日(日)〜3月2日(水)
場所
兵庫県豊岡市
共同企画者(順不同)
小泉佑介、高邉賢史、千葉安佐子
協力
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト5「多文化共生と想像力」

概要

今回の豊岡市での調査実習は、2度目のIHS自主企画として実施した。前回(2015年7月29日〜8月1日)は、豊岡市旧竹野町に滞在して、同地の農家さんがコウノトリ育むお米という新しい取り組みをどのように受け入れ、新たな技術をどのように習得されているのかを中心に聞き取り調査をおこなった。今回は、調査地を豊岡市の中心部を流れる円山川沿いの田園地帯、豊岡市の東部にある旧但東町、南部の旧出石町へと広げ、農家さんや集落営農の代表の方にインタビューをおこなった。

2月29日午前

29日はまずコウノトリ育むお米生産部会の方にお話を伺うことができた。日本海側に面している豊岡市の冬季の自然環境は、今年度は暖冬の影響もあって積雪は少なかったが、いつもは数十センチの雪が積もることも少なくない。そのため、冬に路地で作物を栽培することは難しい。そのため、専業農家の方の一部は冬季にハウスでの野菜栽培を行っており、イチゴやシイタケなどを栽培している。また、季節的な雇用として旧日高町のスキー場でスキー板などのレンタル業を営まれている方や、モチ米の加工といった仕事に携わっている方も少なくない。歴史を遡れば、昔は京丹後の酒蔵へ出稼ぎに行っていた農家さんも多かったそうで、冬季は農業以外での仕事が主である。その一方で、慣行米を栽培されている農家さんは、裏作で大豆などを栽培している場合もある。

その後、兵庫県農業経営士に認定されている方にも話を伺うことができた。農業経営士の方は、早い段階からコウノトリ育むお米に取り組まれており、農薬を使用しない稲作の技術に関しては、県外での取り組みなどを参考にして、試行錯誤の中で技術革新を先導されてきた。特に、除草に関しては様々な手法を組み合わせることによって、無農薬でも草が生えないような状況にまで達した。また、こうした技術を他の農家さんに普及することにも努められている。

このように、冬季の自然環境が厳しい豊岡市では、農業以外の就業機会と組み合わせながら生活されていることが分かった。その一方で、必ずしも豊岡市での農外就業の機会が多いというわけではないため、今後のコウノトリ育むお米の技術発展が、豊岡市全体の農業を支えるカギとなっていくと思われる。

2月29日午後

午後には豊岡地域にある営農組合の代表の方からお話を伺った。平成16年の台風23号によって円山川の堤防が決壊し農機具に大きな被害が出たことを契機に、地区内の農家さんをまとめる形で営農組合が設立された。営農組合の一番のメリットは、組合の管理する田を集約化することで効率的な稲作が展開可能な点である。平成19年からはコウノトリ育むお米を導入し、現在は組合の管理する田の半分以上でコウノトリ育むお米を栽培されているとのことであった。導入直後は減・無農薬栽培による雑草の対処等の苦労が絶えなかったそうだが、コウノトリ育むお米生産部会等での積極的な情報交換を通して年々技術改良を行っているそうだ。農業は「1年1年が一年生」であるとのお言葉は報告者にとって印象的であった。一方で、集約化による圃場整備の煩雑化や繁忙期の労働力の確保、作物の加工等の非農分野への参入といった課題があることも伺うことができた。

その後、青果市場に勤められている農家さんのお話を伺うことができた。豊岡市の青果市場は但馬地域で最大の規模を持つものの、取引額は減少傾向にある。その対策として、関連会社でハウス栽培を行うことで、地元産の商品の充実、安定供給に努めているとのことである。この方は兼業農家でコウノトリ育む米を栽培しておられる数少ない農家さんの一人である。慣行米と比較すればコウノトリ育む米の栽培には多くの労力を要するため、兼業農家さんがコウノトリ育む米を栽培することは容易ではない。それにも関らず挑戦されている理由を伺うと、青果市場での勤務を通じて消費者から農作物の安心・安全を求められているという強い実感を持っているため、ということであった。

このように、消費者へ安心・安全を届けるという農家さんの強い意志の下でコウノトリ育むお米は栽培されている。また、営農組合による効率的な農業や、コウノトリ育むお米の技術発展が情報交換を通じて地区を超えて伝播していく様子が明らかになった。

3月1日

はじめに,報告者たちは豊岡市日高町にある植村直己冒険館を訪問した。数々の山を制覇し、世界的に名を知られる冒険家植村直己を称えて、彼の出身であるこの場所に記念館が建てられた。その活動に因んでクレバスを彷彿とさせるデザインのエントランスから入ると、細長い展示空間が広がっている。北極付近の厳しい風雪と寒さに耐え抜いて頂上を目指す過程で使われた日々の道具や衣服が展示され、食事など生活様式に関する解説もなされていた。彼の謙虚かつ開拓精神にあふれた姿勢を示すエピソードには、現在を生きる者にも響くものがある。ここを訪ねる訪問客は大いに感銘を受けることが多いというお話を聞いたが、豊岡の一地方から日本全国、さらに世界へと発信する様子がここでも見られる。

続けて、報告者たちは但東地区へと移動し、米作りと養鶏を両方営み、加工・販売も行っている西垣養鶏場を訪ね、経営を担われている西垣氏にお話を伺った。豊岡市の中心部から車で数十分とやや距離が離れた場所にあるが、この地で西垣氏は農産物の直売所、卵かけご飯を提供する店、洋菓子店を営んでいる。養鶏は大消費地に近いこと、餌の調達がしやすい港湾部が近いことがコスト圧縮の条件であり、それらの条件を満たさないこの地では養鶏がかつては17軒で営まれていたが縮小を続け、現在は西垣養鶏所のみとなっているというお話であった。また直売に関しては集客が困難であることから店頭に供給される農産物の種類や量が減少し、さらに客足を遠のかせるという悪循環に陥っていた。米価の下落や設備コストの上昇も逆風であった。加えて平成16年の台風23号により田畑や道路が壊滅的な打撃を受けたことでさらに近隣農家は厳しい状況を迎えていた。西垣氏はこの台風後の助成制度を利用し、停滞する状況を打破するべく加工・販売に力を入れることを決意し、卵と米を自ら供給できることを強みに卵かけご飯の店とケーキの店を開かれた。卵かけご飯はごく日常的な食べ物だが、素材の新鮮さと手ごろな価格を強みに営業を続け、メディアに取り上げられたことをきっかけに集客を増やし、現在は2時間以上の行列ができるほどの盛況を誇っている。西垣氏のお話からは、天候や外部環境に大きく左右される農業の厳しさと、そこに立ち向かうための弛まぬ努力と試行錯誤が実感を伴って伝わった。また、加工・販売は現在順調であるが、さらにその先を見据えて新たな工夫を試みているとのことで、その姿勢には学ぶところが大きいと感じた。

2日間にわたって報告者らは多くの農業・その他の産業に従事されている方からお話を伺い、豊岡市の農業を多面的に捉える機会を持った。昨年夏の訪問よりさらに一歩踏み込んで、日本の農業が今後直面する課題と実際の取り組みを学ぶことができた。また、様々に試行錯誤を繰り返して成功をつかみ、さらなる改善を指向される姿勢を随所に感じた。

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報告日:2016年3月4日