Diversity and Recognition: What does it feel like if no-one sees you? 報告 中村 彩

Diversity and Recognition: What does it feel like if no-one sees you? 報告 中村 彩

日時
2015年11月10日(火)16:50−18:20
場所
東京大学駒場キャンパス18号館4階コラボレーションルーム2
講演者
Dr. Catriona Elder (Faculty of Arts and Social Sciences, The University of Sydney)
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト5「多文化共生と想像力」

11月10日、講演会シリーズCritiquing Diversity の一環でシドニー大学のカトリオナ・エルダー教授が「オーストラリアにおける人種関係」と題された講演をおこなった。講演では、まず国民国家・承認・多様性といった鍵概念が説明され、そのうえで現代オーストラリアにおけるいくつかの事例に関して学生も交えて議論がなされた。

国民国家としてのオーストラリアは、19世紀からの大英帝国の植民地としての歴史をもち、今でもイギリス連邦の一部であり、公用語も英語である。しかし先住民のアボリジニーやその他英国以外からの移民など少数民族も多く住んでいる。そのようなオーストラリアにおいて多文化主義は、単にその多様性を記述するためのもの(description)としてではなく、その規定(prescription)として、すなわち国家が積極的に実施する政策として、採用されている。このように国家やその他集団が別の集団を「承認」(recognize)するということは、その人々を責任をもって権限を行使することのできる主体と見なして扱うことを意味する。これは古くから哲学・社会科学で論じられてきた重要な概念である。

今回の講演では以上のような概念的枠組みを踏まえ、現代オーストラリアの文脈における多様性の問題を示すふたつの事例が紹介された。

ひとつは、博物館や大学に保管されているアボリジニーの人々の遺骨や遺物の問題である。それは古くは西洋の王侯貴族が収集する世界の珍品の一部として略奪され、また後にはアボリジニー民族に対して科学的な関心をもった学者らによって集められた。一例として挙げられたのは、マンゴ・マンと呼ばれる4万年前のアボリジニー男性の遺骨である。これはオーストラリアのマンゴ地域で1974年に大学研究者によって発見され、紆余曲折を経て最近、アボリジニーの人々のもとへ返還されて話題になった。この骸骨の発見はアボリジニーの人々や文化について多くの新たな知見をもたらすこととなったが、問題はそれを発見した学者が住人に許可を取らずにそれを持ち去ってしまったことだと言う。このような行為は当然倫理的には許されるものではない。しかし当時はそのような研究倫理に関する法律やガイドラインが存在していなかった上に、周辺には複数の部族やグループが住んでおり、4万年も昔の遺骨に対して誰が管理の権限を持っているのかが必ずしも明確ではないという難しさもある。これは研究者側がアボリジニーを「承認」していなかったこと、彼らにたいする尊敬が欠如していたことから生じる問題の一例である。

このマンゴ・マンに関連する議論の中では、現在東大や北大など日本の大学で保管されているアイヌ民族の遺骨に関して、同様の問題が生じていることも指摘された。複数のアイヌの活動家らが戦前から戦後に収集されたその遺骨の返却を求めているが、大学側は今のところそれには応じていない。人権という観点からすると当然即座に返還すべきと思われるが、それができていない理由のひとつは、何を誰に返すべきなのかがわからない状態だからだという。解決策として、大学側とアイヌの人々が共同で管理できるような場所や仕組みを整備する計画はあるものの、もちろんそれがすべての人々が納得するような解決になるとは限らない。過去の過ちを少しでも正すためには何をすべきなのか。ある民族や人びとの集団をどのように制度的に承認すべきか。オーストラリアでも日本でも模索が続けられるだろう。

ふたつめに挙げられたのは、一大観光地としても知られ、長らくエアーズロックという英語名で呼ばれてきたオーストラリアの巨大岩石ウルルの事例である。この岩は1985年にはアボリジニーのアナング族へと返還され、今ではもともとの現地の名前でウルルと呼ばれている。しかしこれによってアナング族の人々が十分に「承認」されたというわけではないようで、講演では今なお残る様々な課題が挙げられた。ウルル周辺の現地の人々とその他国民との経済的格差は今でも解消していない。その格差は単に経済の問題ではなく、承認の心理的次元にもかかわる問題であることが指摘された。また観光客がウルルに登ることの是非については今なお議論が続いていると言う。以前から多くの観光客がこの岩に登ってきた。一種のエクストリームスポーツとして、あるいは国家主義的な理由から──オーストラリアのものなのだから、オーストラリア人にはそれに登る権利があるはずだとして──登ってきたのである。しかしこの岩はアナング族の人々にとっては、一部の人のみ登ることが許される昔からの聖地である。このことは近年ではよく知られるようになってきており、その文化を尊重するため登るのをやめるべきと考える人も増えているようだが、いずれにせよウルルは今でも様々な観点から議論の対象となっているとのことであった。

今回の講演で紹介されたのは、国家として多文化主義を引き受け、政策や制度にもそれを積極的に反映していく、すなわち規定的な(prescriptive)多文化主義を採用するオーストラリアの事例であったが、フランスの地域研究に携わる報告者として興味深く感じたのはやはり、オーストラリアの国家的政策としての多文化主義と、フランスの普遍主義──それは差異よりも普遍を重んじる同化主義であり共和主義である──との違いである。オーストラリアであればアボリジニーはアボリジニーとして制度的にも積極的に承認されるのに対し、フランスでは共和主義の名の下、人種や民族の違いを超えてフランス人として包摂され、その差別ははっきりと存在していても制度的には見えづらいものとなると言えよう。そこで問われるのは、普遍の理念を保ちつつもいかに他者を他者として承認するのか、という難問であろう。それをどのように制度的に実現すべきなのか。暴力行為が生じてしまったとき、果たしてどのようなかたちの承認が可能なのか。まさしく本プロジェクトのテーマでもある、他者に関する「想像力」の必要性を改めて感じさせられる機会であった。

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報告日:2015年11月23日