Ethnic Diversity and Ethnic Movements in Taiwan: Profiles and Policy Impacts 報告 佐々木 裕子

Ethnic Diversity and Ethnic Movements in Taiwan: Profiles and Policy Impacts 報告 佐々木 裕子

日時:
2015年12月3日(木)
場所:
東洋文化研究所3階大会議室
主催:
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」「移動・境界」ユニット

12月3日、台湾中央研究院のMichael Hsiao先生による、台湾の民族多様性と民族運動についての講演があった。

民族の多様性は、言語、宗教、人種、民族、階級などといった様々な要素によって構成されるものであり、それらの差異を尊重した仕方での共存、文化的な豊かさの創出が模索されてきた一方で、多様性や差異は時にその存在を否定され、あるいはねじ曲げられることがあり、またそれぞれの間での差別や衝突が数多く発生してきた。またとりわけ、台湾の場合は、大陸中国に対抗してのアイデンティティや統一体の形成が目指されてきた一方で、中華民族としてのアイデンティティを抱える人々が多く存在するという状況がある。

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これらの問題背景が紹介された上で、台湾の諸民族の定住の歴史、民族政策の変遷、民族運動、そして1990年代以降の主に東南アジアからの移民の状況や、NGOの活動について議論が進められた。台湾では、日本による植民地支配から戒厳令下の時代において、政治的強者としての外省人、弱者としての原住民族、福佬人・閩南人、客家人という、エスノスケープの二極化がなされてきた。この時に「民族多様性は徹底的に無視され、歪められ、民族的関係性は完全に政治化された」という。1980年代から「台湾原住民族」の権利運動が高まったことにより、原住民族の自治、伝統的な言語の使用や土地の名前の回復が認められるようになり、1999年には憲法に原住民族条項が加わり、2005年には「原住民族基本法」が成立する。また、客家人の運動では、1988年に「母-語」への回帰を訴えるデモが行われ、以降、90年代の客家語ラジオ局の設立、2003年のテレビ局開設、2000年代の国立大学における客家研究の創立などがなされ、2010年には「客家基本法」が成立する。客家人の運動で特に注目されるのは、客家語だけでなく、その他全ての民族の言語の使用制限や差別の解消を訴えた点である。

この一方で、1990年代、東南アジアからの、主に工場労働者(70%が男性)、家事労働を含む福祉労働者(90%が女性)の移住が急増する。まず後者については、極めて差別的かつ搾取的なブローカーシステムによる、不平等賃金や、人身売買、偽装結婚が問題化するにつれ、人権問題としての関心が高まり、2006年に利益のための偽装結婚のブローカーシステムが法的に禁止されるに至ったが、水面下ではいまだ運営が続けられているという。またDVや虐待の問題も深刻なものとなっていると指摘された。外国人労働者については、既存の労働組合への参加は認められるものの、自分達の労働組合の結成は認められず、また雇用主を変えることも許されていない。これらは労働の基本的な人権に関わるものだと強調された。また、新たな移民に対するNGOには政府からの支援が手厚くなされているのだが、このことは一方で、NGOの活動を対処療法的なものにとどめるという効果をもたらしており、積極的な制度改変を訴える性格のものは少なく、また多くはトップダウンで設立されたNGO間の連携も少ないという。これまでの原住民族、客家人をはじめとする諸民族運動が、自治や、民族の主体性を認めさせる成果をあげてきたにも関わらず、新たな移民政策においては、いまだに政策的、法的な対処が十分になされていないという状況だ。

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講演では深く言及はなされていなかったが、これらの議論におけるジェンダーの問題についてしばし考えてみたい。質疑応答の時間では、なぜ客家人の運動は「母-語」への回帰を訴えたのか? という問いがあり、これに対して、多くの場合は父は外省人、母は客家人であったためであるという応答があった。政治的強者であった外省人の男性、弱者としての客家人の女性という組合せに、民族の差異の構造と、ジェンダーの差異の構造の交差を見ることができるだろうか。もしそうであるとしたら、どのような問題が起きていたのだろうか。単純な二項対立の交差、組合せには慎重であるべきであるものの、この点についての興味がおおいにかきたてられた。また、新たな移民については、ブローカーシステムへの警戒と批判が人権問題としての関心を促すに至ったとされるが、一方でそもそもいまだ十全に市民としての権利を手にしていない外国人労働者たちの中で、主に私的空間での労働に携わり、一般にはその被害の多くが隠蔽されるDVや虐待の被害に遭う女性たちは、外国人としての問題と同時に女性であることにもとづく差別や暴力にもさらされることになる。同様の問題は、日本でもすでに起こっていることであり、また特に近年、女性の活躍の推進の背景で、東南アジアからの安価な家事労働の担い手としての女性の移入の必要性の主張が高まる中、外国人労働者、滞在者の市民的権利についての問題、そしてジェンダー格差や、それにもとづく暴力の問題は、深刻かつ緊急に議論が展開されるべきものである。

聞き心地がよく、あるいは政治的進歩性のニュアンスを持つものとしてしばしば用いられる「多様性」という言葉は、実のところ、多様な差異を持つ者同士の対立や政治的支配、衝突に対して、一方的な統合や同化でもなく、あるいは差異にもとづく格差は無視したままの多様性の祝福でもなく、常に現状についての反省と再考、そして改善のための諸策の推進をせまるものである。また台湾の場合は特に、日本による植民地支配体制が、諸民族の関係性を歪め、対立を生み出してきたという事実がある。多様性、多文化共生を考えるにあたり、自身の属する集団の持つ支配性、それが行ってきた差別や暴力に対する反省を踏まえることの必要性を改めて確認し痛感する機会であった。