「桜の風 もみの木」訪問 武内 今日子

「桜の風 もみの木」訪問 武内 今日子

日時
2018年1月19日(金)
場所
社会福祉法人川崎聖風福祉会「桜の風 もみの木」(神奈川県川崎市)
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト3「科学技術と共生社会」

川崎聖風福祉会「桜の風 もみの木」は、川崎市にある、精神障害者を対象とした通過型施設である。「桜の風」は、身体障害、知的障害、精神障害の3障害を一つの施設で対象としている全国初の施設であり、私たちが見学・実習させていただいた「もみの木」は、そのワンフロアを占める、精神障害者を対象としたユニットである。精神障害者を対象としている施設にも様々な種類があるが、2年間という期限を設けて地域生活への移行に向けた生活の仕方を学んでいくという、通過型施設の数は多くない。そういった通過型施設が、実際にいかなる支援を行い、いかなる困難に直面しているのか。また、精神障害をもつ人にとって、施設を通過することがどのような経験となるのか。私はこのような関心のもと、本企画を計画し、参加した。訪問全体の流れとしては、朝早く訪問し、まずユニット内を見学させていただいた。次に、全体のミーティングと、ソーシャルスキルトレーニングに参加し、施設利用者の昼食利用の仕方を見学した。最後に、支援のあり方に関する職員の方のお話を伺った。

まず、「もみの木」は地域のなかで、また施設のなかで、どのような場であるのか述べたい。「もみの木」は、閑静な住宅地のなかに位置している。地域住民のなかでは、「もみの木」利用者は好意的に受け入れられている印象があると職員の方は言う。というのも、施設の前身の「もみの木寮」は50年以上前からあり、他の障害者施設や養護学校なども昔から周辺に多い。そのため、住民は多様な人が地域に暮らしているという事実に慣れているのである。また、ボランティア受け入れはまだそれほど進んでいないが、地域住民が施設に入っていき、地域での生活を話すような機会をつくることを考えているという。こういった試みは、障害をもつ人にとって、地域生活へ移行するモチベーションとなりうる点で、積極的になされるべきだと思われる。加えて、一般に偏見というものは、当事者間に直接の接触がない場合に生じやすいとされる。精神障害をもつ人が地域に暮らし、地域の人が施設に赴くということが当たり前になされ、相互に違いを理解するようになることが共生のために重要だと感じた。

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施設内部では、ルールが設けられながらも、施設を利用する人の自主性が重んじられていることが印象的だった。ユニット内は明るく、部屋には窓が大きく取られており、見晴らしがよい。精神障害というと連想しがちな、窓の格子や外出の制限といったものはない。冷蔵庫の管理、エアコンの温度調節、洗濯機や入浴など、日常生活で行うようなことも、基本的に利用者が自分で管理することになっている。施設の助けがあるのは、基本的に2年間であり、その後利用者はグループホームやアパートなどで生活していくことになる。施設後の日常生活が円滑に行えるよう、日々訓練できるような環境になっている。逆に言えば、ある程度の自己管理ができるが、地域生活には不安があるという症状をもつ人に適した場であると言える。

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次に、集団生活のあり方と、施設の職員の方々の働きのあり方、それでも生じうる困難について述べる。どのような生活をしていくかは個人の選択に任されているが、それでも施設は集団行動の場であるから、様々なトラブルも生じうる。そのときのルールづくりも、利用者同士の話し合いから生まれ、職員に伝えることができる。実際に施設内では、話し合って決められたルールの貼り紙をいくつも目にした。障害をもつ人にとって、職員と利用者の一対一の関係性であれば生じやすい権力関係も、他の利用者との共同によって、一面的ではないものになっていると思われる。「もみの木」の職員の方々は、利用者の自主性を重んじつつも、他者に危害を与えることは禁じ、またコミュニケーションなどに必要なことを教えていく重要な役割を果たしていた。そのことは、ソーシャルスキルトレーニング(SST)に参加させていただいたときに感じたことだ。

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SSTは、参加者が日常で困っているコミュニケーションの場面から、どうすればそれが解決できるか意見を出し合い、ロールプレイを行ってフィードバックし、さらにそれが宿題として日常生活で実践することが課される、という流れをとっていた。時に脱線していく様々な意見を、担当の職員の方々がうまくまとめ、それぞれにとって何が困難として感じられているかを整理していく様子が印象的だった。この日のテーマは、どのように自分の話を他人に聞いてもらえるか、断られたときにどうすればよいか、といった誰にとっても難しいテーマであった。多様な障害をもった人が共存するなかでのコミュニケーションにおいて、トラブルの生じるリスクも当然あるため、それを避けられるような断り方を学ぶことは重要だという側面もある。それ以上に、利用者にとってこうした練習は、自分のコミュニケーションのあり方を客観的に振り返ることに役立っているように見えた。集団の場で意見を言い、他者からのフィードバックを得ることは、病状を含めた自分の状態を言葉で把握することにもつながるだろう。そして自己理解は、他者との円滑なコミュニケーションの前提として必要なものである。

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このような「もみの木」という通過型施設の集団生活に、精神障害をもつすべての人が適しているわけではもちろんない。服薬やスケジュールに従うなどの自己管理がまったくできない人や、他の利用者との交流が苦痛であったり問題につながりやすかったりする人は、この施設には適していないかもしれない。重要なのは、多様なニーズがあるなかでそのすべてに応じられる施設はないものの、個人に適した場を自律的に広く選択できる多様な可能性があることだろう。そのために必要なことは、一つの施設や利用者の努力というよりも、より構造的な部分における改善であるように思われた。

施設の方々が挙げていた制度上の問題には、以下のようなものがある。まず、利用者に医療が必要となるところはどうしてもあるが、担当の病院のほかに、往診してどのような場での生活が適しているか、といったことを判断するような医師がいないという課題が指摘されていた。また、これとも関連して、ケアのあり方を決めていく、介護でいうケアマネージャーにあたる役割の人がいないことが、問題点として挙げられていた。施設利用者は、「もみの木」以外にも様々な施設を利用していることもあるし、病院に通う人も多くいる。グループホームや一般住宅での地域生活に移行したのちに、以前の利用者がどのような状況にあり、自立した生活への意欲はどのようなものか、就労への媒介はできているか、といった様々な課題も生じうる。そういったなかで、それらを総合的に把握し、利用者に適切な支援のあり方を提案していくことは、一つの施設の職員には荷が重すぎる。それぞれのアクターが役割を分担し、連携できるような仕組みを社会的に整えていく必要があると感じた。

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